少年論

多摩川多摩

第1話 クラスメイト

 わたしにとって、昼休みはすこしだけ特別な時間だった。

 他の人からしても、昼休みは一際開放的な休み時間だろう。けれど、わたしにはそれとも違う『特別』の意味あいがあった。


 わたしはふと手に持っている小説から目を離して、ちらりと隣の席へ視線をずらす。


 そこには、まるで人形のような端整な顔が横たわっていた。


 ふつうならば丸く大きな瞳がこちらを向いていてもおかしくない状況だけれど、その目は今は畳まれており、長いまつげが静かにたたずんでいるだけだった。

 さくらんぼのような色あいの唇が、少しだけ開いていて、小さくて綺麗な歯がその間から漏れている。

 細くてさらりとした黒髪が垂れて、白い肌の上で映えていた。


 もしわたしが初めてそれを見ていたならば、目を奪われてしまっていたかもしれない。

 まるでそれは、絶世の美少女のような寝顔だった。


 けれど、美少女という表現は明確に間違っている。

 彼は正真正銘の男の子で、今もカッターシャツに黒いズボン、まさしくうちの男子の指定制服を身につけていた。

 彼の名前は来栖くるす成美なるみという。

 名前まで中性的で、もし来栖くんが女子制服を着ていたならば、女の子と勘違いしてもおかしくはなかった。

 下手すると、わたしよりもはるかに可愛らしい子ができあがるかもしれない。それはすこしだけ困るような気がした。


 わたしの昼休みが特別な理由は、彼のその寝顔にあった。

 来栖くんは何らかの事情がない限り、昼休みに15分ちょうどの仮眠をとっている。


 どうやら、来栖くんは何らかの睡眠障害を持っているらしい。時々、彼は授業中に倒れるように眠りに落ちてしまうことがある。隣にあるわたしの席から見ると、それは明らかに変わった光景だった。


 今の時代、簡単にそれが何かを調べることはできるけれど、わたしにはその行為がはばかられていた。

 もし調べたことがうっかり周りにばれてしまうと、なんだかわたしが彼に興味があるように見えてしまうかもしれない。興味があることには何も間違いがないけれど、それが外に拡散されてしまうことを思うと、それだけで羞恥心が湧き出てきてしまいそうだった。


 わたしのそんな思考なんて知る由もなく、彼は自分の腕を枕にして、聞こえないほど小さな寝息を立てている。

 彼の寝ている姿は本当に無垢で、穢れを持たない妖精のようだった。


 少し前、わたしの友達が来栖くんについてすこしだけ話しているのを耳にしたことがあった。

「まるで『眠り王子』……みたいだよね」

 その子は『眠り姫』に例えて、来栖くんをそう評していた。

 彼女はそういう童話みたいな話が好きな子だった。

 わたしを含めた周りは、彼女の表現を茶化して笑っていたけれど、誰一人としてそれを否定することはなかった。


 もしも、わたしが寝ている彼にキスをしたならば、彼はその時、目を覚ますのだろうか。

 『眠り王子』という言葉から、そんなことを思いついて、わたしは体の奥から熱くなってしまった。周りから見れば、顔が赤くなっているかもしれない。わたしはすぐに、手に持っている文庫本へと視線を戻した。その本で顔を隠してしまいたかったけれど、それはあまりにも不自然だろう。


 なんだか、わたしは自分で自分を延々と振り回しているようで、すこし情けなかった。

 思わずため息をついていると、その時、教室にチャイムが鳴り響いた。

 来栖くんのポケットも、スマホのアラームのせいか揺れていて、いつの間にか時間が過ぎていたことに気づく。

「あーあ」

 わたしは誰にも聞こえないくらい小さく声を漏らした。


 わたしの気持ちについて、来栖くんが知ることはあるのだろうか。いや、むしろない方がいいのかもしれない。

 彼にはいつまでも、わたしにとって純粋な美少年でいて欲しかった。

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