雪が解けたら

@n-nodoka

雪が解けたら、何になる?

「雪が解けたら、何になると思う?」

 唐突な質問に、肉まんを頬張っていた私は「んふぁ?」と呆けた返事をした。

 降り積もった雪を避けながら歩いていた、下校途中のコンビニ。

 あんまんが食べたいと急に言い出した美紗が、嬉しそうにあんまんを一口頬張った後に出てきた質問だった。

「雪が解けたら、何になるか? この質問で、答える人の深さが分かります」

 ぴっと立てた美紗の人差し指を見ながら、相変わらずよくわからんなこの子は、と口の中に広がる肉まんの旨味と暖かさを堪能した後に、

「んー……雪が解けたら、かぁ……そりゃ、科学的なことを言えば水になるよね。そして、ドブに流れる」

「それはもっともポピュラーな回答だよ、ワトソン君。言い換えれば、在り来りで平凡で凡庸でツマラナイ答えだね」

「ここまで貶されるのか? 良くわからない急な質問に、丁寧に答えたのに? てか、そもそも私ワトソンじゃねぇし」

 言い切って、もふっ、と肉まんをもう一口。うむ、美味い。

 冬晴れの空は綺麗な蒼で、今朝方まで降っていた雪は、しばらく降らないようだった。でも、空気は相変わらずの冷たさで、私達の手にある暖かで柔らかい物体とは対称的な存在となっている。つまり、寒い。

そんなことは意に介さずなのか、美紗は、はっはっは、と違和感バリバリの笑い方で、

「もっともな文句だ、ワトソン結衣君」

 なぜ急に、そんなにも偉そうな口調になったってしまったか。その手にあるあんまんのせいか。てか、私の名前に変なミドルネームつけるなし。というジト目で隣りを見返す。

 美紗は、ふふ、といつも通りの笑みで、あんまんを一口。幸せそうに頬張ってから、

「ん……ずっと幼い頃に、私も同じ質問をされたのよ。昔、隣に住んでいたお兄さんに、だったかな。それで、私も結衣と同じように答えたわ。ドブのことは言わなかったと思うけど」

「んむっ……、ほりゃほうでひょ。らって、ひひふらんらから(← 訳:そりゃそうでしょ、だって、事実なんだから)」

 小学生どころか、幼稚園児でも答えられそうな問題だし。確実に間違いではないはず。

 私の日本語が伝わったらしい美紗は、そうね、と口元についたあんこを拭きながら、でも、と続ける。

「私の答え……結衣の答えも正解だって言ったけど、他にも答えがあるんだよって、教えてくれたのよ」

「ふぅん……なんて?」

 もぐ、と最後の肉まんのひとかけらを頬張ると、美紗は空を見上げて答えた。

「春になる」

「んふぁ?」

 さしたる興味は無かったものの、予想外の答えに、思わず最初と同じく呆けた声を出してしまう。てか、なんだって?

「春になるって、教えてくれたのよ。ああ、なるほどって、幼かった当時の私も納得しちゃったわ」

 ふふ、と小さく笑って、美紗も残りのあんまんを口に運ぶ。

 先に食べ終わった私は、指先をペロッとひと舐めしつつ、道路脇に積もった雪を眺める。

 ふむむ、と一人で悶々と思考を巡らせた後。

「…………恋が、叶う」 

 唐突に紡いだ言葉に、

「んふぁ?」

 今度は私ではなく、あんまんを咥えたままの美紗が妙な声を出す。 

 何が? という顔でこっちを見る美紗に、

「恋が叶う、と言ったのだよ、ホームズ」

 先ほど肉まんの皮が付いていたので舐めとった人差し指をぴしっと向けて、私は言う。

「雪が解けると、確かに春が、春の季節がやってくる。これもまた、詩的で素敵な表現だとは思う。しかし、私はその上を行くのだよ」 

 いったい何を言い出したのこの子は、といった様子で私を見つつも、黙って聞いてくれているのでそのまま続ける。

「私の解釈はこうだ。雪が解けるのは、ある一定以上の熱量を必要とする。しかしその熱量とは、太陽光のような自然的熱量なものだけを指すものではない。それは、なんだと思う?」

「……あんまん?」

 どれだけあんまんが好きなんだ。そりゃ温かかっただろうし美味しかっただろうけどもさ。

 しかし、何とも美紗らしい回答だと思い、内心笑みを浮かべてしまう。

「確かに、あんまんは冷えていた君を温めてくれたかもしれないが、少しばかり力が、熱量が足りないと思われる。より継続的で永続的な、強い熱量が求められるのだよ。すなわち――」

 と、一旦言葉を区切って、きっと美紗を睨む。

 え、という驚きの言葉を小さく発した唇に、私は真っすぐに向かっていき、

「――……っ」

 唇を重ねる。とても柔らかくて、暖かくて、少しだけ、甘い唇。

 しっかり数秒たってから、ゆっくりと離れて、

「――すなわち、人の想いだよ。好きという強くて熱い想いであり、その想いが叶ったときこそ、雪をも解かす二人のラブラブ熱が発生し、春がやって来るのだよ。――私達のようにね」

 真っすぐに、美紗を見つめる。

 私の視線に負けたように、浅く伏せた瞳を揺らしながら、

「……不意打ちは、卑怯じゃないかしら……」 

「私の前で、昔の男の話なんかをする美紗が悪い」

「昔の男って……全然、そんなんじゃないのよ?」

 苦笑気味にぼやく美紗の頬は、見るからに赤かった。

 ふふん、と私は自慢げに胸を張って、

「どう? 私の方があんまんよりも甘くて、もっと美紗を温められたでしょ?」

 言ってのける私に、ん、と小さく頷いた美紗は、マフラーに顔を浅く埋めつつ、

「そうね……でも、結衣? 私よりも、あなたの方が温まっているように見えるけど?」 

 悪戯っぽく言われて、コンビニのガラスに映る自分を見る。まあ、見るまでもないけど。

 美紗の言う通り、私の頬も、随分と赤くなっている。

 まだ不慣れな私達には、刺激が強いのだ。自分からしておいてなんだけど。

 もふっ、とマフラーに赤い顔を埋めて、美紗に手を差し出す。

 なに? という顔で私を見る美紗が、無性に可愛く思えた。いかん、これ以上温まると暴走しそう。

「温まっている今の内に、行こっ。こんな所にいつまでもいたら、また冷えちゃうよ」

 んっ、と伸ばした手を更に美紗へと突き出して、催促する。

 私の意図に気付いたらしく、美紗は柔らかく微笑む。そして私の手を握り返して、

「じゃあ、今度冷えたら、私から温めてあげるね」

 嬉しすぎる言葉に、

「……ん」

視線を少し外して頷く。そうよ、照れ隠しよ。

ふふ、と楽しそうに笑う美紗が隣にきて、そのまま二人で歩き出す。

握った細い手は、手袋越しでも温かく感じる。

この温かさが、ずっと私の心に降り積もるだけだった想いの雪を、解かしてくれた。

だから、触れるこの指先を、更に解けないようにと絡ませて。

ずっと傍に、と想いを込める。

一足先に訪れた、あなたという、この春に。


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