雨の日には傘をさして
蒼野海
前編
ぽつぽつ来たと思ったら、瞬殺だった。この夏はどうしてだかゲリラ豪雨と呼ぶらしい、バケツをひっくり返したような雨が多い。
曇っているからと油断して外に出していた花の苗が、みるみるうちに降ってくる水の弾丸に撃たれ揺れている。
――今日も虫の居所が悪いのか
お天道様は時々機嫌が悪いらしく、水を込めたマシンガンを四方八方お構いなく撃ち下ろしてくる。
バシャバシャと水溜りを踏みながら苗を店に押し込む。花屋というのも大変なものだ。思ったより体力勝負なところがあって、センスと知識も要る。
出してあった物を全て店に入れて一息つく。ベージュのエプロンは斑に焦げ茶色になって濡れていた。
この分じゃ当分の間お客さんは来ないだろう。住宅街の小さな花屋は、地域住民がお花を買ってくれるから成り立っていられるようなもので、その重要なお客様達が外に出ないとなると、その日はもう売れない。
だから、みんなに可愛がってもらいよ。と、先代店主の祖母は言っていた。
シャッターを閉めようかと迷ってそのままにする。もし万が一、雨の中誰か来てくれたら申し訳ない。
目の前の公園に出来た水溜りはどんどん池のようになり、水面は雨粒が落ちるたびに大きく跳ねて揺れる。
その小さな池の先に、人影が見えた。見たことのない、女の人。
可愛らしい花柄の白いワンピースは、雨に濡れて彼女の肌に張り付いていた。肩に小さなカバンをかけ、踵の高いサンダルを履いたまま立ち尽くす彼女を見て、どうしてか居てもたってもいられなくなった。
店の入口に置いてあった傘を握り締め、公園に走る。裾が汚れるなんて気にする暇もなく、小さくて浅い池をバシャバシャと踏みしめて渡りきる。
そこでようやく傘を開いて、思っていたよりずっと華奢なその人に差しかけた。
「雨降ってますよ」
ゆっくりとこっちを見た彼女の目は赤く、頬は水で濡れていた。
「すいません、ありがとうございました」
くるりと踵を返して足早に立ち去ろうとする彼女の手を反射的に掴んでしまった。
目を大きく開き、驚いた顔の彼女と目が合う。
この雨の中また傘もささずに歩くと風邪をひいてしまうかもしれない。泣いていたであろう
言いたいことと考えが頭の中で洪水を起こして言葉が出てこない。
「ま、マーガレットは」
何とか言葉を発したものの、一番言いたいことと違う言葉が出てきた。
「水分がありすぎると、良くない、です」
しどろもどろになりながらもどうにか言葉を紡ぐ。
呆気に取られた顔をしている彼女は、目を瞬かせて一呼吸置いてから、合点が行ったような顔をした。
「……あ、これですか」
彼女は腿に張り付いた裾を指で少し摘んで持ち上げて、漸く自分がどのくらい濡れているのかを確認するように広がった裾を見た。
「それ、だけじゃなくて」
「え?」
視線を戻した大きな瞳が、少しだけ揺れていた。
「花は、水が無いと枯れてしまうけど、水を浴びすぎると、よくない、です」
真っ直ぐに目を見て言った。目の前の彼女にちゃんと伝わるように。
「俺、そこの花屋で。雨宿りしてきませんか」
「あの……」
「風邪引きます」
恐る恐る頷いた彼女に大きく傘を傾けながら、たった数十メートルを無言で歩いた。
彼女からは、ほんの少しだけ男物の香水の匂いがして、無性に腹が立った。
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