夢と現実の狭間に潜む僕の記憶
薪槻暁
第1話
辺りはそよ風でざわつき始める雑木林。頂上へと繋がる道は傾斜60度もあると言っても過言ではないこの階段のみ。
50段は登ったところで小学生の体力は限界を迎えたらしく、心臓が警笛を鳴らす。が、鼓動とともに僕はまた一歩登り始める。
何のために登るのだろうか。僕は幾度となく考え続けたような気がする。頂上に何があるかそれすらも分からない。ただ、先に見えるのは誰だろうか。この目まぐるしい熱風と光によって身長さえも分からない。ただ、ただずんでこちらを見ている。それだけは何となく分かるような気がした。
一歩、一歩また歩き始める。あの人に近づくために。
だが、顔が見える位置についた途端、視界が薄く白い世界に包まれる。
また、これか。
夢だと気づいたときにはもう、夢の記憶が薄れている。それは夢のリスクというか逃げられない宿命なんだと最近知ったような気がする。細かい記憶はその代償によって奪われてしまうけれど、どうしてかあの階段を登っていることだけは鮮明に覚えていた。
「あ、気づいたな」
馴れ馴れしく呼び掛け、傍の椅子にもたれ掛かっているのは僕の弟。弟とは年は一年程度離れているだけで年の差を感じさせない。だが生きている場所が違う。僕はここからもう十年は出られていない。彼はこの広い世界で羽ばたいている人間。こちらの方が一般的だ。僕がレアケースなんだろう。とは言うのも僕は5歳のころにある高台から落下し意識不明に陥った。そして今から約一年前に目を覚ましたということだった。
この病室には弟を含め、家族が見舞いに来ていた。
珍しく家族全員が集まっている。それだけ、この僕が眠り続けていた十数年が悲痛な期間だったのだ。
「今日も階段だったよ」
僕はこの病室で眠るか外を見るだけ。だから会話をするのさえも話す話題というものが限られていた。
だけど、それを聞く家族の顔はうつ向いたまま。そのまま静寂が過ぎ去るのを待つだけだった。
「じゃあ、今日も帰るね」
と家族のうちのだれかが切り出すとこの面会も終わりを告げる。
そのままドアを左にずらし、人影が消えていく。ドアの向こう側からはもう何も聞こえない。あるのは静寂と風の音だけ。
だけど、一人だけ僕の面会に家族と来てくれたあの少女は一体誰だったのだろう。
そう考えていると、また眠りについた。
夢というのは唯一僕の拠り所でもあった。歩くことも出来るし、外に行くことも出来る。けど覚えているのはこの階段のことだけ。それ以外はどこかに消えてしまう夢しかなかった。
また、あの階段だ。そう気づいたのはいつ頃か。僕には分からない。だけどまたここにいるのか。場所だけは分かってしまう。
そしてあの頂上の近くに人影。誰なのか。いや、これで何度目なのだろうか。
僕は力が入らない両足を片足ずつ痙攣させながら踏み出し登り始める。
やはり、あの影は立ち止まったまま。
あと数段。見える場所に。この夢が終わる前に。
僕は足が棒になるというよりも折れるまで歩いた。
そして、ようやくあの影の段まで登り詰めた。
「君は……」
名前を言い出した途端、意識が遠ざかる。
君―あの影の正体は僕の妹だった。
またこの病室で目を覚ます。もう何度目だろうか。
今日はまた家族が面会に来ているようだった。
「あっ、気づいたな」
どこからか男の声が聞こえる。やけに馴れ馴れしい声。
「誰だ。お前」
僕にはもう弟の記憶が無かった。そしてその代わりに覚えていたのは、今まで隅の方にひそかにたたずむ女の子の姿だった。
あとで分かったことだったが、病室の片隅にいたあの少女は実の妹だった。どうやら家族と常に面会に来ていたらしい。けれど僕の方は名前すら分からない状態のままのようだった。
でも、この僕の傍で驚嘆の色を顔に浮かべている男は分からなかった。
僕はまた眠りにつき、階段を登り始めた。
夢と現実の狭間に潜む僕の記憶 薪槻暁 @Saenaianiwota
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