1-3 勇者をするなら手早く、手短に、後腐れなく

 ハローハロー。

 俺は今まさに、失われた自分の死体と対面しようとしています。

 目の前には典型的な屍術師ネクロマンサーと、ゆっくりと開かれつつある巨大な扉。

 重い扉の軋む音が緊張を高め、息が詰まりそうになります。

 しかし扉が開いた時、俺は思わず肩を落としてしまいました。

 そこに現れたのは恐れていた死せるもう一人の俺ではなく、巨大な黒いドラゴンだったのです。


「あれ……?」


 本来なら生で見るドラゴンの迫力に驚くべきところなのでしょうが、残念ながら今の俺は自分の死体との対面に覚悟を決めていただけに拍子抜けのほうが先に来てしまいました。

 いや、なんとなくおかしいとは思っていたんですよ。

 もしこの屍術師が本当に俺の死体を持ち去っていたのなら、俺の姿を見た時にもう少し驚いていたはずですしね。

 一方の屍術師も俺の反応にまったく納得がいっていないようです。


「貴様ら、なんだその反応は! ドラゴンだぞドラゴン! 絶滅し、今や伝説の中だけの存在だぞ! それをなんだ、そのがっかりした顔は!」

「あ、いや、たしかにドラゴンは凄いと思いますよ、はい……」


 感情むき出しに喚き散らす屍術師に対し、こちらもそんな言葉をかけることしかできませんでした。

 実際、異世界に行きたいと思った動機のひとつはドラゴンなどのファンタジー生物をこの目で見たいというのもありましたしね。

 まあその辺の願望に関しては、もっぱら連合都市世界ギルドシティで目にしてしまったので新鮮味がだいぶ薄れてしまったのですが。

 しかしそれより、屍術師の言葉の中にひとつ気になる情報が。


「そこでですね、その黒く壮大なドラゴンについてひとつお聞きしてもよろしいですか? あ、いえいえ、お時間は取らせませんから」


 揉み手をしながら屍術師にそう持ちかけます。

 こういう時、話というか最低限言葉の通じる相手だとありがたいですね。


「ほう、勇者のくせに妙なことをいうな。いいだろう、なにが気になるのか言ってみろ」

「ドラゴンって絶滅したんですか? じゃあその黒いドラゴンはどこから……」

「なるほど気になるだろうな。あの草原だ。おそらくどこか他の世界から紛れ込んできたのだろう。あの草原にはそういう伝承があるが、あれは真実なのだ。私のこの屍術も、かつてあそこに現れた男から授かったものだからな」


 なるほどなるほど。

 つまりあの草原にはそういった異世界とのつながりが強いなにかしらの効果があるということなのでしょう。

 しかしそれはさておき、これでひとつハッキリしたことがあります。

 とても残念な情報です。

 ドラゴンが存在しない世界ということは……。


「なんだテメエ、実はドラゴンだったのか?」

「いやいやそんなわけないでしょう。だいたい、元の世界で最初に死体じゃない時の俺に会ってるじゃないですか。俺はれっきとした人間ですよ」


 そんなどうにも平凡な人間だから、異世界に憧れたりしたんじゃないですか。


「じゃあテメエの死体はどこにあるんだよ?」

「ここではない、どこか。ということでしょう。まあこの世界はということです」


 あの空を思い出します。

 ほんの少しだけの記憶。

 空に浮かぶ二つの太陽と翼竜の影。

 あの時の俺は確かに『異世界に来た』という感慨に浸っていたのです。

 それはほんの数秒でしたが。

 つまり、のです。


「あっそ、じゃあさっさと片付けて次行くか」


 こちらの感傷など気にすることもなく、リータがそう提案してきます。

 まあ、俺の方もそれを断る理由は特にありません。

 典型的な王宮にドラゴンまで見せてもらって、この世界には感謝です。


「おい、いつまでそっちで盛り上がっている! ドラゴンの話はもういいのか!」

「ああ、すいません。そうですね、ドラゴンの正体も気にはなるところですが、それ以上踏み込んだことはあなたに聞いてもわからないでしょう?」


 この屍術師は、ようするに外部から力をもらったことでちょっと調子に乗っているだけの下請けさんですからね。交渉相手としての格もたかがしれています。

 もちろん、そんなことを言われて怒らない人もそうそういませんが。


「おうおっさん、そんなわけで悪いけどアンタもう用済みなんだわ。さっさと降伏しちまえば、痛い目を見なくて済むかもしれないぜ? どうする?」


 そこにさらにリータが怒りを焚き付けます。

 ローブの下の青白い顔がさらに真っ青になって震えています。


「黙って聞いていれば好き放題言いおって! もういい、貴様らをこのドラゴンの最初の餌食にしてくれるわ!」


 ドラゴンと戦うのは予定通りといえば予定通りです。

 もっとも、戦うのは俺ではないのですが。


「はい。そんなわけであとはお任せします」

「へいへい、任されてやるよ。それに、こういう異世界の力で粋がってる奴は、ちょっと懲らしめてやらないとな……」


 リータは唇の端を舐め、その目つきが鋭くなります。

 そういえばその能力が凄まじいことはわかっていましたが、実際に戦うところを見るのは初めてですね。


「なんだ小娘。ドラゴンだぞ、ドラゴン! かつて世界を恐怖で支配した存在だぞ!」

「あーはいはいすごいすごい。だが、


 そんな宣言とともに、リータの突き出した右手が青白い光に包まれ、その光はそのままドラゴンをも包み込み、巨大な輪郭を曖昧にしていきます。


とっとと帰りなアンサモン


 そんな二重に聞こえる言葉が飛び出したかと思うと、光と輪郭がはじけ飛び、その場にはもうなにも残っていませんでした。

 あの巨大なドラゴンが一瞬にして消え失せてしまったのです。


「き、貴様、何を……!」

「なんてことはない、ちょっとした手品だよ。あれがアンタのドラゴンなら、すぐにでも再召喚できるんだろうけどなあ。借り物じゃあなあ。いや残念残念」

「な、なにが残念だっ!」


 余裕綽々のリータの笑みと、威厳もなく怯えた目を向ける屍術師。

 それだけでもう勝敗は決したようなものです。

 それでも最後の抵抗を見せようと屍術師は魔導書を取り出しますが、それが返って仇になりました。


それも認めねーよネゲート


 再びの二重発声とともにリータの手から一陣の風が吹くと、瞬く間に魔導書が砂粒となって崩れ去ります。

 そしてそれと同時に、屍術師もがっくりと膝をついて崩れ落ちました。


「ま、同情はするぜ。相手というか、間というか、ようするに運が悪かったな」


 リータの意見には俺も同意です。

 そもそもの話をすれば、ここに我々がいる事自体が手違いに手違いが重なったようなものですしね。

 運のない悪党というのは、なんとも物悲しいものです。

 いずれにせよ、これにてゲームセットとなりました。




「そんなわけでこれで俺達の仕事は終了です。あとはまあ、あの人を適当に処罰してやってください」

「ありがとうございます! 城で宴の準備させますので、是非、今回の戦いぶりを語ってくださいませ!」


 しかし、それを聞いて俺とリータは顔を見合わせ、俺はあらためて首を振りました。


「いえお気遣いなく。我々はもう行きますので。この世界が平和であることを祈りますよ」

「え、どうして……」


 その答えは簡単だけど難しいですね。

 まあ、勇者稼業を続ける気がないならここらがリセットタイミングでしょう。


「勇者は時間がないものなのです。それでは、また機会があれば」


 曖昧で事務的な笑みを浮かべながら俺は手を振り、リータの合図で温かく鮮やかな橙色の輝きが俺達を包みます。

 かくして、俺の勇者としての役割は終わったわけです。

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