4-3

 さて、言動にこそ敬意の欠片もないヨナだが、仕事ぶりはすこぶる優秀だった。


 朝食の席で大体の話を聞いて首輪の様子を確認し、リンが行けると判断するや否や、魔法に弱いレグルスが魔法で直接王都に飛ぶのは危険ではと陸路を提案し、その後「夕方までには何とか」と宣言した通り、日暮前に伝書鳩で連絡を寄越してきたのである。


 庭や温室に魔法をかけて回り、漸く準備が整うと、リンはレグルスに片手を差し出した。


「はい、レグルス。手、貸して」

「ん? ああ……」


 レグルスがリンの手を取ると、彼女は頷いて強く握り返す。


「首輪、今日はずいぶん安定してるみたいだけど、心配だから一応ね。結界を出るまで放しちゃだめよ。……にしても、どうして今日に限って都合よく……レグルス、何かした?」


 言われてみれば、レグルスに付けられた首輪はいつになく落ち着いており、重さも存在感も今日のところは変化していない。


「何か? んー……」


 問われて少し考えてはみたものの、ピンと来ずに首を振る。


「さあ? 機嫌でも良いんじゃねえのか」

「魔法に機嫌がいいも悪いもないわよ」

「そんなもんか? ……うーん、それなら他……あ、そうだ」


 空いた手をポケットに突っ込み、レグルスは例の小箱を引っ張り出す。

 何だかんだで結局昨日は見せる暇もなく、今日こそはと思って上着に入れたまま忘れていたのだ。


 薄汚れた小箱の登場に、リンはぱちぱちと瞬きをした。


「……なあに、それ」

「あれ、お前のじゃないのか? お前の部屋にあったぞ」

「こんなの知らないけど……ん? 何か入ってるの?」


 その「何か」が何なのか聞きたくて持っていたというのに、当のリンからそんな一言を返されて、レグルスは眉を垂れた。

 リンが知らないと言うのなら一体誰の物だというのだろう。それとも、手に入れたのがあまりに昔のことで彼女も忘れてしまったのだろうか。


 手渡された箱をあらゆる角度から眺めたり、振ったり指で弾いたりしていたリンは、最終的にはお手上げだといった風に肩を竦めた。


「まあ、何かの力が残ってるのは確かなんだけど……魔法っていうより、おまじないね。前に住んでた人の忘れものかしら」

「……他人の家だったのか?」


 ……言われてみれば、結界は魔女の術なのだから、リンが住み始めてから作ったものでもおかしくない。温室や庭なんて尚更だ。

 だが、小人の家みたいなあの小屋に、リン以外の人間が生活できたとは驚きだった。


 そんなレグルスの考えを察したのか、リンは頷いて付け加える。


「空き家だったの。家にあった本とか家具とか、ほとんどわたしが用意したんじゃないのよ。天井も棚も背が高すぎてわたしには不便だったから、ちょっと家は小さくしたけど」

「何だそれ便利。魔法みたいだな」

「そりゃそうよ、魔女だもの」

「……だよなぁ」


 気の抜けた返事を零し、レグルスは肩を落とした。そんな便利な魔法があるなら、もっと早く言ってほしい。あの小人ハウスで何度頭をぶつけたことか。


 恨めし気な視線には気付かないまま、夕日に箱をかざしていたリンは、ふと呟いた。


「鳥の絵ね。……わたしの時代のものだったら、これ、きっと成人祝いの贈り物だわ。物はいろいろでも、祝福のまじないと、絵は翼を広げた鳥がお決まりの意匠だったから」

「お前が貰ったのに忘れてるってわけじゃねえだろうな」

「まさか! わたし、国が滅んだ時、やっと十五よ? お祝いがもらえるくらい大人になってれば、今よりきっと背も高いし、胸だって……たぶん、もうちょっと、ばーんと……」

「ふーん……」


 あからさまに惰性で出ただけの相槌に、リンは少々ムッとしたようだったが、レグルスとしてはそれどころではない。箱の謎が解けるどころかこのまま迷宮入りしそうなのだ。


 リンのものでないのなら、おそらく箱の持ち主は千年前にもう死んでいるのだろう。それなら箱を壊して中身を確かめても問題ない気はする。

 けれど、万が一妙な呪いがかけられていたらと思うとゾッとしないし、死んだ者の秘密を暴くようでもあり気が引ける。


 無意識に眉を寄せて難しい顔をしていたレグルスに、リンはひょいと箱を押し付けた。


「ま、あなたが持ってた方がいいかもね。首輪が安定したのも納得だわ。このおまじない、あなたのこと守ってくれるはずよ。親から子どもへの愛情たっぷりだから」

「……他人のそんなもん勝手に持ち歩いてたらむしろ呪われそうなんだけど」

「まあそれは……ほら、よく言うじゃない。信じる者は救われる! ね? 平気よ!」


 からからと笑うリンに、適当なこと言うなよな、と渋い顔を返し、レグルスは息を吐く。

 とはいえ捨てていくのも忍びないので、一応レグルスも箱は受け取っておくことにした。首輪の拘束が緩くなったことに他の理由が見当たらないのなら、リンの言う通り、箱にかけられたまじないは確かにレグルスを守ってくれているのだろう。


「……さてと。ここから出るわ。反動で酔うかもしれないから、少し目をつぶっててね」


 歩みを止めたリンがそう言って、レグルスの手を握り直す。

 目の前にある森は普段と何ら変わりないが、「出る」とはきっと言葉のまま、森ではなく別の場所へ出て行くということだ。

 改めて、レグルスは緊張に息をのみ、小さく頷く。


「……行こう」


 先を行くリンに倣い、レグルスは一歩踏み出した。

 石柱の間を抜けた足が、水面を突き抜けたように空中に波紋を広げ、引きずり込まれると思った時にはもう遅い。


「! う……、わ!」


 最初に感じたのは、身体を後方に押し返すような抵抗感だ。

 傍目には水面と見えた空気の膜は、水よりずっと質量があって重く、熱くも冷たくもない。


 確かに踏みしめたはずの大地はそこには無く、落ちる、と思ったその時、ぐるりと視界が反転した。

 浮遊感こそないが、リンに塔から突き落とされた時の感覚とよく似ている。

 馬を飛ばした時の何倍ものスピードで景色が変わり、線のような緑や黄色がレグルスの傍を幾筋も通り過ぎていく。


 気が付いたとき、レグルスの周りにあったのは、湿った土の感触と草の匂いだった。


「……目、閉じなかったの? 気持ち悪くない?」

「……。少し」


 だから言ったのに、と困り顔で呟いたリンに、レグルスは恨めし気な目を向ける。当たり前みたいに言われたって、初めて自分の意思で魔法に触れたレグルスには、どの瞬間からいつまで目を閉じていればいいのか分からなかったのだ。


 それにしても、ここは一体どこなのだろう。

 確かにそこにあったはずの森はやはり姿を消し、代わりにあるのは、夕暮れ時の町はずれと思しきのどかな風景だった。

 昨日も今日も雨が降った記憶などないのに、足元の土は少々緩くなっている。


「それにしても、ほんとに耐性ないのね……この距離にしてよかったわ。歩けそう?」

「……頭痛い。もうちょい待って」


 うえ、と顔を顰めたレグルスを見て苦笑したものの、リンは結局、彼が立ち直るまで傍で待っていてくれた。

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