アクイレギアの心臓
佐倉真由
序
魔女アクイレギアは誰も愛さない。
永遠を約束されたその美貌で時の皇帝を籠絡し、華やかな繁栄を謳歌していた国を傾け、果ては我が子をまでも、恐ろしい魔術の贄としたという。
「だけど、ねえ。よくある話だわ」
焼け焦げたドレスの裾が軽やかに揺れる。炎に巻かれ煤で汚れながらも、彼女は圧倒的に美しかった。
呆然と佇む娘の手を取り、魔女は楽しげに囁く。
「……だから、これでいいのよ。ご覧なさい。素敵な月夜でしょう?」
娘は窓を振り仰ぐが、陽炎で揺らめく視界に月の姿は見当たらない。
魔女アクイレギアは誰も愛さない。
猛り狂う民の怒号が、大勢の足音を掻き消していく。
――だから、魔女アクイレギアを誰も愛さない。
白亜の城は険しい山脈を天然の要塞とし、長らく難攻不落を誇ってきた。
その城を内から食い破った民衆の叫びが、寒々とした雪山に突き刺さる。間もなくこの国は滅ぶのだろう。
娘は導かれるまま窓枠に腰掛ける。
おかあさま、と物言いたげに開いた唇を、母の白く細い指先が制した。
熱を吸い込み焼けた母の声は、優しく、あまい。
「幸せ者ね。こんなにも美しい晩に……ひとり、逝くのだから」
花弁のようにあっけなく、頼りなく、娘は谷底へと落ちて行く。
娘が死の淵に見たものは、とろけるような微笑みを浮かべた魔女の姿だった。
確かに魔女は、生涯一度も、――我が子にさえも、愛していると告げなかったのである。
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