第12話
授業があっという間に終わり、自由になった真理が教室に現れた。今日はお昼も予定があったようで、一緒には食べられなかったのだ。
だから、学校の終盤にして初めて、顔を突き合わせた真理は「髪切ってる!!」と驚きの声をあげた。
するといきなり「可愛い!」と言われて、ふわりと明日美は抱きしめられた。
突然の
なかなか離してくれない真理に恥ずかしくなってきて、顔を赤くしていると、明日美の目の先に彼が――須藤が歩いてくるのが見えた。
ひっ!と息を飲んで、明日美は真理に思わず隠れる。
すると「ん?どうした?」と真理は首をかしげる。
「山瀬さん、ちょっといい?」
すぐに上から声が降ってきた。
「なんなの、須藤――」
先に返事をしたのは真理だった。
うるさいのがきたと言うように、げんなりした顔で須藤を見上げる。
須藤はそんな真理を、じとっと呆れるような目でみると「お前さぁ……」とため息に乗せて言葉を紡ぐ。
そのため息を聞いただけでわかる。肺活量――凄そう、と。
日頃の苦労がそうさせるのか、それとも完璧な彼は歌も上手いのか。
二人の会話は少々荒々しいが、こんなやりとりでも決して険悪なものじゃなくて、かえって仲の良い、気安さを感じさせた。
「山田、離れろよな。俺は山瀬さんに用があるの」
須藤がそう言うと、茜は何かを耐えてるような笑みで「真理、まずまず……」と楽しそうに言った。
不服そうに真理は腕を離すと「須藤、いつの間に明日美と……変なことしないでよね」とたしなめるように言う。
「お前、俺を一体なんだと思ってるんだ……」須藤もまた不服そうに真理を見る――そして、急に明日美の手を握り、歩き出した。
「山瀬さん、行こう!」
大きな手に包まれるように繋がられて、半ば引きずられながら歩き出す。
「えっ」口からでた困惑の声は心の中で「えええええー!!!!」と反響しながら大きな叫び声となった。
なんでこんなことに――!
助けを求めるように振り返ると、茜と佐野は満面の笑みで、真理は額に手を当ててなにやら、呆れ気味に首を振っているように見えた。やれやれ、というように――。
廊下を歩いてる間、明日美は穴だらけになった。
放置されたらセーター。アニメでよく出てくるチーズ。月。決して、ドーナツではない。
その穴は人の視線だけあった。
言葉通り、本当に不躾に穴があくほど、見られているのだ。
明日美は戸惑いと恥ずかしさで爆発しそうだった。
向けられる視線は、反抗期の男系大家族の家の壁よりも、はたまた大事な会議があるのに平気で遅れてくる人よりも、遥かに穴をあけるのが上手い。
乾いた手のひらは須藤の温かさと力強さに、まるで手の中に心臓が移動したように、どくどくと熱い。――心臓を掴まれるようだった。
騒がしい廊下を抜け出し、やっと手を離してもらえたのは、人気のない学校の裏に着いてからだった。
「あのっ……!」
「あ、ごめん――俺……!」
立ち止まった須藤に明日美が声を出すと、手を繋いでいたことに今更気づいたかのように、須藤は慌てて謝る。
明日美はそんな須藤を見て、戸惑いが未だ強く残る頭で、怪訝に思った。
須藤のこの行動が自然に出たとしたのなら、世の女性に誤解を受けても仕方ないのではないか。
茜と佐野に『誤解』という犠牲を払ってまで、解いたことを後悔した。
茜は硬派と言っていたが、そんな人が自然に手を引くのだろうか。
ただ、そうは思ったも、焦る須藤になんて言えばいいかわからず、明日美は困ったように口を閉ざした。
すると須藤は覚悟を決めたように、瞳の中に光を集め、話し始めた。
「驚かせてごめん。――俺、山瀬さんと本当はもっと早く話したかったんだけど……色々と邪魔が……。だから、つい。今日やっと友達になれたのが嬉しくて―― 」
一生懸命に話す須藤に、警戒していた明日美も少し警戒心を薄める。
「山瀬さんを見たときから、なんかどっかで会ったことあるような気がしてたんだ」
そういうと須藤は、踏んでいた小石に視線を落とし、小石を逃すように転がした。
真理と話す時は砕けた話し方なのに、明日美に対して丁寧な雰囲気がまた違った印象に変える。
真理といる須藤のほうが余計な緊張感がなくて気楽なのだが、今の須藤は――こちらまで緊張が伝染してくるようで、逃げ出したくなる。
『明日美に気があるとみた』
突然、茜の声が頭の中で響く。
慌てて茜の声を否定し、吹き飛ばす。
そうだ。この緊張感が悪い。この緊張感がありもしない茜の言葉を誘うようで、そわそわして居心地が悪いのだ。
そして心臓にもよくない気がする。明日美がもし心臓が原因で亡くなったら、原因のひとつとして須藤も挙がりそうだ、と思った。
明日美は容姿に自信があるわけでも、特別人より優れているものもなかった。
それどころか友達も最近でき、やっと人並みになれたのだ。そんな明日美と須藤に何かあるはずがない。
「……同じ学校だからじゃないでしょうか……?」
そう言うと須藤はすぐに「違う、違う」と首を横に振って否定する。
「もっと懐かしいというか――俺らどっかで会ったことない?!」
――ドッペルゲンガー。
明日美の頭に一つの考えが浮かんだ。きっと、これなのではないのかと。
世の中に似た人は三人いると言われている。
もしかして、明日美に似た人を須藤を見たのかもしれない。
懐かしいほどに昔に――どこかで会ってることはあり得ない。
何故なら明日美はここが地元というわけではなく、最近引っ越してきたのだから。
だが、須藤の熱を持った声はその熱に浮かされるように、返事を待たずに続けられた。
「『ティア』――その名前にも聞き覚えない?」
明日美は何のことだと首を傾げた。
全く思いある節がなく、聞いたことも見たこともない。
「いえ、全く知りません」
明日美がそういうと、瞳に集まっていた光は消えていくようだった。
イチ足すイチは――『ニ』と答えるように、当たり前に即答するものだと思われていたのか。だけどこれは難解な問いだ。
答えられなかった明日美に、須藤は肩を落とし、わかりやすく落胆した。
その姿になんだか申し訳なくなった。
――『ティア』……?
そもそも人名なのかすらわからない。
ペットの名前かもしれないし、物の名前かもしれない。
明日美はそれを指し示す名前に、それほど身に覚えがないのだ。
「……じゃあ『ラークユクナス』は?『ザラン』は?――――『フレイ』はっ!?」
「…………全く知りません」
立て続けに質問する名前に、やはり思いある節がなかった。
目的地にたどり着くために歩かなければいけない。だが、周りには隙間なくびっしりと蟻(あり)が這っている。それを仕方なく踏み潰すような申し訳ない気持ちになる。
苦々しい気持ちで正直に答えると、連続で攻撃を喰らい、最後にはカウンターで倒れるゲームのキャラクターのように、須藤はぐったりとうなだれ、瞳には完全に光が消えていた。
……かける言葉すら見つからない。
期待に応えられなかった明日美は、ただ須藤を同情に満ちた目で見る他なかった。
すると須藤は「ああ!」と苛立ちと落胆が含まれた声で、突然頭を抱えてその場にしゃがみこむ。
あまりの予期できぬ奇行に、明日美はたじろぎ、後ろに下がった。
「ごめん、ごめん!!俺、勝手に期待してて……ちょっと気持ちの整理つけたくて――」
膝から聞こえた声は、くぐもった声だったが、大きな声で言っていたから、ちょうど良く明日美の耳に届いた。
「…………あの、すみません……」
明日美が出来ることは、もはや謝ることだけだろう。
何故こんなに気を落としているのか甚だ疑問だが、きっとよほど気にかけていたことだったのだろう――それとも人はこれだけ完璧だと、やはり反動がきてしまうのか……。
明日美は須藤の精神状態が少し心配になった。
ただ『懐かしい』その言葉だけには、引っかかりを覚えた。
しかし、明日美は今まで、人にだけはそんな感覚を感じたことがなかったのだ。
『懐かしい』そう感じるのはいつも人間以外だったから――――
「俺――」やっと復活したのか、膝につけていた顔を上げた。
「思ったこと口にしたいたちだから――ここからは独り言だと思って聞いてほしい。出来れば問い掛けには答えて欲しいけど……」
「…………わかりました」
「もうここまで山瀬さんを引かせておいて、怖いものはもう無い!」
開き直るように須藤はそう言い、立ち上がった。
しゃがみこんだせいか、立ち上がるとこんなに大きかったかと目を見張る。四足歩行をしていた熊が立ち上がったのみたときのようだ。
そして透き通るような真っ直ぐな目がカチッと合う。
「……なんでしょうか?」
須藤が人気のないところまで連れてきて、言いたいことがわからない。
この様子から察するに、きっとかなり覚悟がいる話なのだろう。
もしかしたら――――要くんと何か関係があることかもしれない。
予想の出来ぬ言葉に、緊張した唇は酷く乾いている。
明日美は唇をそっと内側にしまいこんで、噛むように湿らせる。
そして須藤から紡がれる言葉を、交わる視線の中、静かに待った。
「山瀬さんって魔法つかえたりする?」
本当に予想外の言葉だった。それは息が止まるほどに。
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