焦点の定まらぬ目でありがとうと言われるよりも、あなたの冷たい唇をただ貪りたかった。

春瀬由衣

プロローグ

「んあ……あなたとなら、夢を……私たちの夢を……か、かなえ……」


 唇が空を切るだけで言葉が続かない君に、俺は触れることもできないなんて。


 ヒーヒーと声帯を震わす能力を持たない息が病室にこだまする。いつもは愉快で騒がしい隣人たちもさすがの今宵は静かだ。


「夢を、ゆめを、ユメヲ私はッ」


 戯言ばかり口走る君の口を封じることもできないなんて。


 荒ぶる息、乱高下する心音、慌ただしく動く医師たち。


 ――そう、僕は彼らの頭上に居る。今にも死にそうな、たった一人のあの子を見つめて。


 俺は、死神。ただの死神じゃない。あの子は俺の身代わりになってこうなったから、秩序を戻すためにあの子を殺して自分は生きなきゃいけない。


 なにをする訳でもない。ただあの子の側にいるだけで、あの子は死期に近づく。


『死神は口吸いを欲する――。なに、お前にもじきにわかるさ』


 あの忌まわしい、しかしどこか懐かしい声が響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る