第3話

「僕が研究してその方法を見つける、だから」




「無理だ。バカじゃないのか?」



「僕は頭がいいんだよ?」




「俺の次にだろ?ああ、あの頃が懐かしいな。よくこんなやりとりをした」





 トラになった男は自嘲気味に笑う。少し泣いているような声色だった。草むらに隠れて表情はわからないが、大学時代の彼の苦笑いを思い出していた。


 彼の皮肉なものいいを嫌うものが多かった。プライドが高く、望んで1人になりたいようだったが、よく声をかけにいってはバカじゃないかと言われた。ライバルと仲良くなるやつがどこにいる、と。






「なら前みたいに僕に教えてよ」



「俺はお前に教えたことはない」



「いつもそうやって言う。僕はすごく助かってたよ」





 唸り声が漏れる。




「お前はあとほんの少しのところでツメが甘いんだよ。それがもどかしくて苛つくんだ。そんな話をしただけだろ?俺は他の誰より一番、お前と自分を比べていた。自己満足のための試験でしかお前に勝つことはできなかった。他のどれを取っても劣っていて、そうだ、写真も」





 声は草むらから続く。男は録音している。





「写真が好きで、お前にいろいろ教わって、初めて人と趣味を共有した。恥ずかしながら卒業後もずっとお前の綺麗な写真を見ていたよ。どこに行っても人に囲まれて楽しそうにしている姿と近況を知るたび、自分との差を思い知らされていた。お前はすごいな立派になって。俺は1人を好んだ、そのくせ他人の評価を気にする臆病者なんだ。そうしてついに1人になった。本当に1匹だ、他の誰もいない」







 滅多にイラつくことのない男だがトラになった男に対して怒りのようなものを感じていた。






「お前に頼みたいことがある。俺のスマホが軽トラにひかれてなかったら、〇〇〇〇の田んぼ道にあるんだ。そこに少ないけど俺の撮った写真がある。投稿だけして欲しい。あと数少ない友だち、お前の知ってるやつらだ。そいつらに死んだって伝えてくれ。もし万が一聞かれた時で構わないから。どうした?呆れてるのか?そうだよな、こんな頼みバカバカしいもんな」




 いつの間にか辺りの空気が変わる。空が明るくなろうと準備を始めている。トラになってしまう時が近いかもしれない。そう彼は焦り始める。





「もう少し人里に進んで、崖の方を見て欲しい。俺もそこでお前を見る。写真を撮って欲しいんだ。俺のこの姿を、こんなおぞましい姿を。二度と誰もここに来る気が起きなくなるように」





 そこでようやく黙って聞いていた男は口を開く。録音をオフにして。







「なあ〇〇〇〇?僕がここまで頑張ってお前を探していたのはもう一つ理由があるんだ」





「なんだよ、早く言え」





 トラになった男はやはりな、と思った。彼は優しいだけの男ではないことを思い返していた。


 大学時代に俺の不正を疑ったやつを正論で黙らせたことがある。もちろん俺のいないところでだ。だいぶ後にその事実を知った。俺と比べられたり、ひがみや悪口は一切無視する彼だが友達のことになると怒りだす。こんな俺でも友達としてみなしてくれているのが嬉しかった。決して顔にも態度にも出さなかったが。







「僕は動物が好きなんだ。ネコ科は特に好きだ。もしよかったら背中に乗せてはくれないか?」




「は?」




 トラになった男は思わず顔を出す。さっきとずいぶん様子が違う彼に意表をつかれたようだ。





「お前、バカじゃないのか?」




「バカじゃないって言ってるだ、ろ!」





 だんっ!と地面を蹴り上げてトラへと跳ぶ。驚いたトラの顔を見る。そしてその手が伸びてきてツメが見えた。彼は目をつむった。











 あれ、痛くない。




「お前が運動神経抜群なのも思い出したよ。俺の負けだ、好きにしろ」




 そんな声がトラの呆れたような顔から漏れてくる。口が動いているわけでもないのにはっきりと聞こえる。男はそーっと撫でる。




「あ、言っておくが」





 今度はくわっと口が開き、口の中の赤色が見え、ビビって手を引っ込める。




「怖いならやめろよな、バカだろ?」



「な、何ですか?」



「いつトラになっても恨むなよ」



「もともとそのつもりだよ。というかもうトラになってるじゃないか」



「…ふん、触らせないぞ」



「待って待って」

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