Patricia
AceMasax
Patricia
ぼくのアパートには居候がひとりいる。
歳上でありながら完全な無職。当たり前のように家賃はぼくが払っている。
ご飯は作ってくれる。美味しい……かどうかは作ってもらっている手前、評価しかねる現状だ。
ーーこの物語は、ぼく「ダイスケ」と居候「ユリさん」のお話。
大学とバイトでクタクタになったぼく。電車を乗り継いでようやく帰ってきた我が家。アパート201号室(2階)。夕日を浴びながら階段を登る。
いつも通り繰り返されるいつも通りの日常だったが、今日は最後が違った。お出迎えがあったのだ。
「おお、ダイスケお勤めご苦労〜オカエリ〜」
階段の終わりに腰掛けていたらしい出迎えのユリさんの声に誘われてそちらの方へ顔を向ける。何かがぼくのおでこに当たった。
ほのかな石鹸かなんかの匂い。まあるくて屋根まで飛んで消えるあれ。
「ユリさん、またこんなところでシャボン玉ふかしてたの?」
「うん。もうそろそろ帰ってくる頃かなあーって思って待ってたんだけど暇で。シャボン玉ふかしてました。実はわたくし、シャボンジャンキーなのでぇす」
さっき起きたかのようなボサボサの髪の毛なんてまるで気にせずに持っていたストローとカップをぼくに向けて見せびらかす。自慢げに。
「知ってる。だからぼくにも貸してよ」
嬉しそうな顔でそれらをぼくに渡してくれた。
ストローを液につけて、振り返ってふっとシャボン玉を飛ばす。
飛んだシャボン玉が夕日に照らされて綺麗だった。
しばらく二人でストローを交換しながらシャボン玉を飛ばしていると、遠くからドタドタと騒がしい声がきこえてきた。これはおそらく……
「ユリー! ユリー! サッカーしようぜー!」
近所に住んでいるユリさんの友達の3人組。彼らは小学4年生だがユリさん曰く友達なんだそうだ。年齢差は何歳なのだろう。
「宿題はやったのかおまえらー終わってからやる約束だぞー」
シャボン玉セットをぼくに預けて立ち上がって彼らを見るユリさん。
「終わったって! やったって! ユリ! それよりも早く早く!」
「トオル、おまえ本当だろうなー。へへへ、おーし、じゃあ行ってくるわダイスケ」
軽やかに階段を駆け下りてユリさんは彼らと合流する。
「行ってらっしゃい」
なにやらあーだこーだ言いながら走って行ったユリさん達を見送って、ぼくは自分の部屋に入ろうとした。入ろうとした、という表現は間違いじゃない。入ろうとしたら鍵がかかっていたのだ。ぼくは鍵を持っていなかった。この頃常に部屋にいる彼女のおかげでぼくに鍵を持ち歩く習慣を失っていたのだ。
「ユリさん……なぜシャボン玉飛ばすだけなのに鍵を……」
「あっははははー! ごめんごめん」
二時間後、もうお日様が沈んでからユリさんは帰ってきた。
それまでの間、ぼくは全くやることがなかったのでシャボン玉を飛ばし続けていた。液がなくなるまで。
今はようやく部屋に入れてユリさん製の晩御飯をいただいている。
「これ、カレーですよね」
「うん」
「でもなんか物足りないような」
気付いた?って感じの表情をしたユリさん。しばらく何が足りないのか食べながら考えると……あ、これ、
「肉ありませんね」
「ありません」
「どうしてですか」
「精進カレーにしといてください」
肉を買い忘れたようだったのでユリさん特製精進カレーということにして全部平らげた。
食後、食器を一緒に片付けていたらあまり広くない台所にかかっていたカレンダーを見てふと気付いた。
「そういえばユリさん」
「なんでゴザル?」
「再来週、ユリさん誕生日なのでは?」
「ギギギぎくヲヲヲ」
面白い擬音を開発したユリさんが面白い格好をして固まる。いつものことなので話を続ける。
「せっかくだしユリさんの誕生日記念でどっか旅行行かない?」
「ダイスケはまだうら若き青年だから気にしないだろうけどヨヨヨヨ」
面白い格好のまま変な表情を作ってなぜか涙目になってそのまま床にへたり込んで真剣な面持ちになるユリさん。その面持ちのまま彼女は宣言した。
「ダイスケくん。私、歳をとるのやめます」
それがあまりに面白くて。
持っていた食器を落としそうになって。
思わず笑い転げて。
ユリさんに怒られて。
またおかしくて。笑ってしまって。
ユリさんもつられて一緒に笑って。
なぜか大爆笑だった。
ーーしばらく日が経って、ユリさんの誕生日。
旅行は様々な事情があってアウトになってしまったがせっかくなんでぼくの大学帰りに外で待ち合わせて美味しいご飯でも食べに行く予定だった。
一緒の部屋にいるのに外で待ち合わせというのも変だが特別な日っぽい感じにしたい。というユリさんの提案だった。
そして待ち合わせ時刻。
予想通りというかなんなのかわからない。過去にも何度か経験があるからわかっていた。
「これは寝過ごしたな……」
ユリさん、待ち合わせの時間をまるで守らない。一緒に暮らすようになって気付いたが、家でうたた寝ばかりしているからよく寝過ごすのだ。
連絡をしようにも今月は料金未納でユリさんの携帯は止められている……早く払ってあげねば。
ーーーー
「いやあ、ごめんごめん、寝過ごしちゃって」
ユリさんが待ち合わせの場所に現れたのは一時間後だった。
そしてふと気付く。いつもよりもちゃんとした格好をしている。こうやってちゃんとして黙ってれば美人なのにユリさん手を抜くから……と思って顔を見ると、違和感があった。
あれ? ユリさんの前髪、こんなにパッツンだったか?
「昨日見た
「うん、よく似合ってるよ」
これは自分で切ろうとして失敗したな、と思い、あえて言及はせずに褒めるとすごく嬉しそうな顔をした。実際よく似合ってるし、自身の失敗を女優さんに例えるのは流石だな、と思った。
「よし、行こうか」
「ダイスケは私になにを食べさせてくれるのかなぁ? 楽しみだなぁフフフ」
「ユリさん……遅刻ぐせ直さないと予約するようなレストランには行けないよ」
「グフゥ、ごもっともです」
こんな感じで予約のいらないレストランでユリさんと色々話しながら食事をしていると、ユリさんと会った時のことを思い出す。
ユリさんと出会ったのはちょうど一昨年の今頃だった。
大学に入ったはいいけど親しい友人もいなくて誰とも仲良くもなれなくてゼミの人とつまらないことで喧嘩したりして辛くて大学に行きたくなくて。でも親に無理言って大学に来た以上行かないわけにはいかなくて。公園のベンチでずっと座っていて。誰もいなかったから泣きたかったけれど、なんだか泣いたら負けな気がして一人で我慢していて。
ちょうどその時に飲み帰りだったというユリさんが通りがかった。
「よう、青年。死にそうな顔でどうかしたのかい?」
持っていたミネラルウォーターをぼくに渡してきて、なにも言わずに隣に座ってくれた。
なにも話す気になれなかったから、彼女が隣に座っていてもなにも話さなかった。
それでもユリさんはなにも話さず聞かずそのままじっと座っていてくれていた。
余計に辛かった。泣きたいと思った。死にたい消えたいと願った。涙目だったかもしれない。でも隣にユリさんがいるから、泣けないと思った。我慢していた。
そうしていたら、ユリさんが自身の顔を手で覆っていることに気付いた。次に気付いたのは鼻をすする音だった。
「え……? どうして」
びっくりした。泣きたいのは自分の方だったのに、どうして彼女が泣いているのだろうか。
「だって……キミが、泣きたい、のを我慢してるから」
代わりに泣き出してくれた彼女に、本当に信じられないかもしれないが恋をした。
この日、ユリさんが泣き止むのを待った。色々話して連絡先とか交換したりした。
そのあとご飯食べたりデートしたり付き合い始めたり、ユリさんが会社で社長をぶん殴って解雇されたりアパートが火事になったりして、今僕たちはこうして一緒にご飯を食べている。
「ダイスケ〜。なにやらぼんやりしてるけど、君はこのお肉嫌いなのかな〜?」
「いや、好きです、好きだって、食べますとも! ええ!」
ぼくは相変わらず大学ではあまり友人はいない。
ゼミも問題がないというだけで特に込み入った人間関係は構築していない。
バイトもそんなに仲のいい人はいないし、うわべだけだって気付いている。
辛いと思うことは正直ある。悲しいと感じることもままある。
でもいいんだ。ユリさんがいてくれるなら一緒にいるだけでなんでもない日でもなんだか幸せになれる気がする。辛いことも乗り越えられる。これからどんな嵐がやって来てぼくを襲っても、ユリさんが隣にいてくれるなら。なんとかなる。
ーーこの物語は、ぼく「ダイスケ」と居候「ユリさん」のお話。
世界を救うだとかハーレムだとか異世界転生だとかそんな展開はぼくには必要ない。ユリさんが隣で笑っていてくれるだけで、それだけでぼくの世界は輝いているのだから。
(BGM : the pillows「Patricia」)
Patricia AceMasax @masayuki_asahara
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