多元宇宙の迷い妻

安藤 政

 僕は妻が好きだ。


 新緑の若葉を思わせるようなみずみずしい笑顔に、一流のコメディアンのようにひょうきんな話しぶり。初めて出会った頃から、僕の心を掴んで離さない。

 今日も彼女は素敵なはにかみで僕を起こしてくれた。


「起きて、朝だよ」


 朝日が瞳を包み込み、小鳥のさえずりが耳に気持ちいい。フィルムの温もりは、妻の匂いを溜め込んでいる。

 離れたくない。そんな甘えが頭を過った。


「おーい!起きろー!……お・き・ろ!!」


 だが、だんだんと優しいまどろみからへヴィメタルのシンガーのように妻の声が変わってくる。

 なる程、今朝の機嫌はまずまずのようだった。


「ああ、起きたよ」

「いいえ、恒温フィルム布団から出るのが起きたってことなんです!」


 相変わらず朝の妻は僕に厳しい。

 耐え難い誘惑に打ち勝ち、僕は素足を床につけた。



 今日は出張の日。

 僕の仕事は辺境の惑星に行き、その銀河の時空間を監視、点検する。

 ただのしがないメンテナンスであった。


 今回の出張も、それはそれは長期に渡るが、妻と共にご飯を食べていく為なので、仕方がない。


「まあ、そんなにへこんだ顔しないでよ、すごく遠くって訳でもあるまいし、会うのは来週よ、すぐじゃない」

「まあそうなんだけど……」


 もちろん妻と離れる寂しさもある。

 しかし、お互い離れるのは慣れていた。


 だが僕が言葉にしたかったのは、この暖かいサード・アースから離れることだ。

 最近、ローンで買ったこの家に一分一秒でも長く居たい。

 でもこんなことを言ったら彼女は怒るだろう。だから濁しておくのが一番だ。


「ほら、来週向こうで料理を作り置きしてあげるから……」

 妻は僕のジャケットの襟を直した。

「そうだね、じゃあ、ぼちぼち行くよ」

 僕は妻の唇にそっと重ね、中心街に高くそびえる<ポート>へと移動ワープした。




***


 <ポート>は相変わらず混雑していた。ここ、サード・アースは経済の中心地として数々の惑星を束ねている主要惑星の一つだった。

 ここに家を買えたことは誇っても良いくらいだった。

 僕は搭乗ゲートに向かう。


「お客様、今回はどちらまで?」


 僕は前回の出張で受付を行ったカウンターを選んだ。というよりも、いつもここに決めていた。


「えー、<第5オデン>まで」

 僕は指令書を見ながら答える。

「承りました。では、ディスクの手配を致しますので少々お待ちくださいませ。」


 カウンター・レディはお辞儀をして奥のモニタールームへと下がっていった。


 僕の記憶にある、前回の受付嬢——ブロンドの性格がきつめな方がタイプだったな、と頭の隅で考えつつ、僕は給仕マシンにコーヒーを注文した。

 彼女はが激しいのだ。



 カップをダッシュボードのサイドに置き、少し固めのクッションに深く腰掛けた。


 ディスクの手配は、僕が思っていたよりも案外早かった。

 カウンター・レディが優先してくれたようだった。

 

 もしかしたら、向こうも何かの印象を僕に感じ取ったのかもしれない。

 いつだかのを覚えていてくれたとか……?


 そんなことは聞いても分からないので僕は早々と出発の準備をする。



「システム・オール・グリーン、こちらスタンバイ・オーケーです」

 周りの計器のランプと、乗り心地と、忘れ物を確認し、僕はオペレーターに話しかけた。


「承知しました。これより発進シークエンスに入ります」


 ハッチが開き、目の前に星屑の煌めきが広がった。


「マルチ・トラベリング起動」


 僕のディスクの窓から見えるその星の空に、虚空の広がる大きな隙間が出来た。

 いつ見ても異質でおっかない感じがするのであまり僕は好きではなかった。


「では、よい旅を」

「ありがとう」

 僕は正面のスティックを倒し、その隙間に落ちていった。



 窓の外は冬の夜空のように澄んでいる。しかし、何も見えない。このみちは、生命が知覚する、ありとあらゆるものすべてから切り離された孤独な通路というわけだ。


 ……面白味もありもしない。

 僕は早々に計器類を奥へ押しやると、耳にケーブルを接続し、映画を視覚に発振させた。



 映画を二つほど見終わる頃には、<第5オデン>の<ポート>に着いた。僕はケーブルを切り離すと、レバー・スティックを起こして着陸態勢に移った。


 無事に終え、入星手続きを手短に済ませると、僕は簡易転送装置テレポーターのドアを開けた。

 簡易転送装置の見た目は聞くところによると、とてもとても大昔の、テレフォンボックスに似ているらしい。

 流行りの商品の広告がモニターに流れて、目的地の入力を邪魔する。指令書に記載されたアドレスを打ち込んで転送を開始するセレクトボタンをフリックした。

 行き先は僕の仕事場に設定した。


 初日に仕事するのは尺だが、アパートメントにいてもやることなんて有りはしない。

 僕の体は、ボックスの中で上下に引き伸ばされて、消滅した。






***


 出張七日目の休日、言ってた通り妻が僕のアパートメントにやってきたことを知らせるベルが鳴った。


「お疲れ様、元気にしてた?」

「ああ、なんとか」


 妻は挨拶もそこそこに、リビング奥のベットへと急ぐ。妻はベット脇にいくと勢いよく恒温フィルム布団を引き剥がした。

 どうやら妻は、浮気をされたことがあるらしかった。


は大丈夫なようね」

のところはね」

 僕は、ダイニングに案内し、椅子を引いて彼女を座らせた。僕は水をグラスの注ぎ、彼女の隣に座った。

 妻は羽織っていたカーディガンを脱ぐと、僕の膝に手を置いた。

「ごめんなさいね、それよりどこか出かける?」

 その手に僕は自分のを重ねた。

「いいよ、君の好きなところに連れていこう」


 はサービスを怠らないのだ。




「美味しかったわ、ありがとう」

「こちらこそ、楽しかったよ」


 僕らは<第5オデン>で有名なフルコースを楽しんだ帰り道だった。この惑星はいつも雪が降っているので、見る景色全てが白い。

 僕の住むサード・アースは気候制御も完璧なため物珍しく、だからか、ちょっとばかり散歩を楽しんでいるのだ。


「わたしね、あなたと出会えて良かったと思ってるの」

「それは僕に対してかい?それともに対してかい?」

 妻はむくれた。

「もぅ、それは察してよ、ムードのないひとねぇ」


 コーヒーを持つ反対の手で、指を絡ませ、僕らは積もる雪を踏みしめた。


「明日、帰るのかい?」

「ええ、私もね、仕事があるの」

 妻は伏し目がちに答えた。


「そうなんだね、どんなだい?」

「うーん、食品関係と言えば良いのかしら」

「つまり、分からないんだね」

「モニターを見てそれに打ち込むだけだもん」

「じゃあ、僕と同じ末端の末端だ」

 妻は紅の利いた唇を上げ笑った。

「そうなのね、じゃあ似た者同士」


 僕はかっと胸が熱くなり、妻を抱き寄せた。彼女は何も言わずに、そっと手を背に置いた。



 翌朝、妻と朝食を食べ終え、始発のディスクで帰るために、先に出ていく妻を僕は見送っていた。


「じゃあ、また来週ね」

「うん、今度は手料理、食べさせてよね」


 妻は振り返り、掌を振った。

 そのしぐさはとても色っぽかった。






***


 「うわー、結構狭いのね」


 出張十四日目の休日、妻は派手なコートを着てやってきた。


「うん、時空管理局の社員だからね」

「へぇー、そうなの……」

 妻は興味を途端に失ったように答えた。ソファに座るとディスプレイを発振させる。


「私、仕事があるから少し待っててね」

「コーヒーでも飲むかい?」

 妻は少しだけ、嫌そうな顔をした。

「ごめんなさい、紅茶がいいわ」

「そっか、了解。……買い置き、あったかなぁ」

 僕は呟くとキッチンへコップを2つ取りに行った。



 数時間後、妻はディスプレイを閉じると何杯目かの紅茶を飲み干した。

「ご馳走さま、美味しかったわ」

「おきに召して光栄だね」

「いや、貴方の紅茶はいつも素敵よ」

「実は、初めてだったんだ、妻に紅茶を出したのは」

 妻ははにかむとコップを持って立ち上がった。


「今回はちょっとるようね」

「お互いにね」


 僕はコップを受けとると、洗浄機に入れる。


「君は休んでなよ、今日は僕がご飯を作ろう」

「いいの?」

 妻は申し訳なさそうにこちらを見ていた。


 その困り顔はなんだか、子犬のようで少し可笑しくみえた。

 僕は自然とにやけてしまう。

「ああ、いいんだ」

 にやけ顔がばれてしまったのかリビングから、なによー、と拗ねた妻の非難が聞こえた。



「美味しかったわ、ありがとう」

「こちらこそ、楽しかったよ」


 食卓の上を片付け、僕らは食後のお酒を楽しんでいた。この<第5オデン>でしか造られていないらしい。

 ライス、と呼ばれる穀物で造っている、ワイン、という名前の酒だそうだ。少しきつめだが、とてもいい香りがした。


「そういえば、先週ね、こんなもの買ったの」

 そういうと妻は分子分裂格納庫ポケットからきらびやかな装飾の箱を取り出した。


「なんだいこれ?」僕は箱を、手の平で転がした。

「ふふ、驚くわよ」

 妻はその箱を開けた。中には2つの人形が抱き合っている。


「これは、オルゴールというやつかい?」

「正解よ、あなた」

 妻がにまっと笑った。

「こんな、よく手に入ったね」

 オルゴール、それは骨董品の中でも手に入りにくい一品だった。


「この前やっている仕事が上手くいってね、ご褒美に」

「そうかい、よくやったね」

 妻は目を細めて喜んだ。


「回してみない?貴方と聞くためにわざわざ取っておいたの」

「嬉しいよ」


 僕は妻の手に僕の手を重ねた。

 妻の手は、いても、いつも通りに温かった。


 どこか、懐かしさを感じさせるオルゴールの音色が、僕を、故郷のセカンド・アースへと呼び寄せているようだった。

とは、そこで初めて出会ったのだった。


 目の前の妻も、どこか遠くを眺めていた。



「じゃあ、また来週ね」

 今朝の<第5オデン>は珍しく晴れている。

 雪に恒星の光が反射し妻の顔がよく見えなかった。


「今度は、君の好きな料理を作るよ」

「楽しみね」


 妻は簡易転移装置テレポーターの扉をくぐった。僕はちょっとだけ寂しくなった。

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