研究者による見解
「…ちょっと!またあなたですか!いい加減にして下さい!」
研究所内部。
いまだに名前は知らないが、確かに見たことがある白衣の男二人組が、そう言って声を荒げながら俺の後を早足で追ってくる。
長く白い廊下の上を彼らの制止にも足を止める事なく俺は、一直線に目的の地へと向かって行った。
だが、その目的地となる場所は厚い鉄の扉で閉ざされており、その横にはIDカードで開くタイプのキーロックが備えつけられていた。
「…開けろよ。」
鉄の扉に阻まれた俺は、背後にいる二人に対して低い声でそう言った。
「無理です!ここは所長か副所長の承認がなければお通しすることはできません!」
そんな俺に対して二人は相変わらず声を荒げながら俺の肩を掴んだ。
「…開けろっつってんだろ!」
俺はその二人の手を振り払うと、怒りに任せてその鉄の扉を拳で強く殴った。
その瞬間…
重厚感のある機械音と共に重いはずのその扉が開いた。
「…相変わらず訪問が突然すぎるね、ダグラス。」
そう言って鉄の扉の向こう側から現れたのはケビン•アーロン。この研究所の副所長だった。
「今日は一体どうしたんだい?ちょうど今取りかかったばかりの研究があるから、出来れば後日にして欲しいんだが…」
俺に背後を向ける形で椅子へと腰掛け、顕微鏡を覗き込んだままそう話すケビン。
「これを調べてくれ。」
そう言って俺はカバンの中からある物を取り出し、ケビンの机の上へと置いた。
「これは?」
勢いよく置かれたそれの物音によって思わず顕微鏡から目を離したケビンは俺に向かってそう答えた。
ケビンの目の前に置かれていたのは…
以前ウェスカーさんからもらった例の瓶詰めにされた大量の飴だった。
「一体この飴は何なんだい?」
「…俺が今、取材の為に滞在している例の街の劇場の前で配られている飴だ。俺の同居人が集めてた。」
「わぁお、僕みたいな甘党には夢みたいな街だね。」
そう言って手をこまねきながら舌なめずりをするケビン。
「…そうとも言い切れないんだ。これを見てくれ。」
そう言って俺はロベルトさんの家から持ってきた手帳とスケッチブックを、ケビンに見えやすいように広げて見せた。
「いいか、この手帳の日付の○と×の日付の部分と、このスケッチブックに貼りつけてある飴の袋の下のコメントを見てくれ。」
手帳には10/3と10/6の部分に×印が記されている。
そしてスケッチブックの一面に貼られていた飴の空袋の下に書かれている10/3の部分には「悪夢」、10/6の部分には「突然のふらつき」と書かれていた。
多分この手帳に記されている○は症状があった日、×は何かしらの体調に変化があった日だと考えられている。
もしかしたらグレッグも発症者について独自に調べており、劇場前で配られているこの飴と自分の身に起こっている症状との因果関係を探っていたのかもしれない。
その飴の空袋の貼り付けは、10/1から翌年の2月まで続いていたが、日に日に手帳の×印が増えてきており、その印が書かれる間隔も徐々に短くなっていた。
2/18に飴の空袋の貼りつけが途絶えているのだが、不思議な事にその数日前から、書かれている文字の震えもひどくなっていた。
きっとこの時期から徐々にグレッグの発症が近づいていたのだろう。
…そして自ら命を経ってしまったのか…
そう思った瞬間、俺は急に込み上げてきた哀しみに思わず自分の眉をしかめた。
「その街では相変わらず原因不明の病気が流行っていてな。この”悪夢”だとか”動悸”だなんて症状は、実際に俺の身にも起きていた事なんだ。」
俺のその言葉に、手袋をしてペラペラとそのスケッチブックをめくっていたケビンは、溜息混じりにこう答えた。
「なるほどね。とりあえずこのスケッチブックは検査にまわしてみよう。ちょっと待っていてくれ。」
そう言ってケビンは、そのスケッチブックを持ち上げると、研究所内に備えつけてある電話機でどこかに電話をかけはじめた。
するとすぐに一人の研究員がケビンの元へとやってきた。
「悪いがこれをライズ総合研究所のイーサンという男に届けてくれ。連絡は私からしておくから、このことは所長には内緒で頼むよ。」
そう言ってケビンは口元に手をやると、その男の肩を軽く叩いた。
「イーサンというのは私の大学の同期でね。今は別の研究所で働いているんだが、かなり優秀な男だよ。…そして何より秘密も守れる。もしかしたらこの検査の結果が出るまでに数日ほどかかってしまうかもしれないし、かなり古いものだろうから何も出てこないかもしれない。それでも上手くいけばあの飴の空袋の表面から何か分かるかもしれないと思うんだ。私が1人で調査するよりも、イーサンと手分けして検査をしていく方が早く結果が出るし、それに…あっちの研究所の方がここよりも設備がいいしな。」
そう話しながらケビンは手袋を外し、自分のポケットから取り出したスマホを手際よく操作すると、備え付けてある洗面台で入念に自分の手を洗ってから、再び新しい手袋をその身につけた。
そして、元の席へと戻ったケビンは、声をうわずらせながらこう言ったのだった。
「…それでは〜…甘党の僕はこっちを…今からお料理してあげまちゅからね〜」
プラスチック製のゴーグルをつけ、沢山の飴を前に、手をこまねきながら舌なめずりをするケビン。
その姿はさながら、”マッドサイエンティスト”という感じだった。
熱心な研究者や、飛び抜けて何かに特化した天才というのは、どこかぶっ飛んでいると聞いた事があったが、まさかケビンもその分類に属していたとは思いもよらなかった。
そんなケビンの姿に顔をしかめながら首を傾げている俺の後ろで、再び低い機械音と共に例の鉄の扉が開いた。
扉の向こうから現れたのは…
「久しぶり。…今度はコーヒー、飲んで行くでしょ?」
そう言ってその部屋の入り口で、両手にコーヒーのカップを構えながら佇んでいるリサの姿だった。
「…まだ原因が分かってなかったのね。」
そのリサの問いかけに、ぼーっとケビンの手元を眺めていた俺は、視線をそのままリサへと戻す。
「リサもここで一緒に作業をしたりするのか?」
リサが座っているデスクに、ケビンとリサの写真が置かれているのを見た俺は、そう答えた。
「私も最近ではケビンの仕事を手伝う事が多くなって来てね。半年前からこの部署に異動してきたの。」
リサのそんな言葉に耳を傾けながら、彼女の入れてくれたコーヒーに口をつける。
こちらに向かって微笑んでいる写真の中の2人はとても幸せそうだ。
一方のケビンの方はというと、大袈裟なくらいの防護服に身を包み、ピンセットのようなもので無数にある飴の包装紙を丁寧に一つ一つ開いていくと、そのまま中から出てきた飴を金槌のような物で砕き、その飴のカケラを試薬に入った試験管の中に入れてから、分離機のようなものにかけていた。
そして機械から出てきた数字とアルファベットの羅列が印字されたレシートのような用紙としばらくの間にらめっこをすると、その飴を包んでいた包装紙をこれまたピンセットで小さなビニール袋の中へと小分けして入れ、表にその検査結果を丁寧に貼りつけていた。
「…地味な作業だな。」
自分で依頼をしておきながら、思わずそんな不満が俺の口からこぼれ落ちる。
時計を見ると、ケビンが検査を始めてから悠に1時間を超えていた。
「研究というのはどれも地味なものだよ。あらゆる可能性を考えて、少しずつの変化をじっくりと確認してゆくんだ。よくある映画やテレビのような華やかさなんて、ここにはないよ。」
そう言ってケビンはつけていたゴーグルを外すと、自分の眉間をつまんでからこう言葉を続けた。
「ちょっと休憩しよう。リサ、コーヒーをくれるかい?」
そう言って手袋を外してリサからコーヒーカップを受け取ると、そのまま口をつけて飲みはじめるケビン。
だがすぐにコーヒーを口から吹き出してしまう。
「どうしたのよ!ケビン!」
それを見ていたリサがハンカチを持って急いで駆け寄る。
「…すまない。コーヒーが思ったよりも熱くて…」
「気をつけてよ、あなた猫舌なんだから。」
ケビンの胸元についたコーヒーをハンカチで叩きながらリサはそう答えた。
「…ところで、この飴は手作りなのかな?多少成分にムラが見られるけど、格別何かおかしい物が混ぜられているような形跡はないよ。」
そう言ってリサから受け取ったハンカチでコーヒーがついた自分の指を拭くと、ケビンは突然机の上に残されていた砕けた飴を自分の口の中へと入れた。
「…馬鹿!何してんだよ!?」
ケビンの突然の奇行に思わず驚きの声をあげる俺。
この一連の奇病の原因につながるかもしれないあの飴を、自ら食べるだなんて頭がイカれているとしか思えない。
「研究にはどうしても生物実験というものがつきものでね。こういう実験用のラットに与えて生体反応を見るっていうのももちろん研究を行っていく上では必要な事なんだ。研究者の中には、実際に虫や植物に含まれている毒を実際に少量ずつ自分に投与して、人体にどんな影響が出るか反応を調べて成果を上げた人物も多数存在しているんだ。もちろん、生命に危険のない程度の量に決まっているけどね。研究の為に自らを実験台にしているのに、それで研究が出来ない体になってしまったら、元も子もないからね。」
そう言って近くに置いてあった透明のケースの中にいる三匹のネズミに対して、小さな飴のカケラを指でつまんで与えるケビン。
「ネズミにだけこういった食べ物を与えて反応を見るなんて、そんなの不公平だろ?人間だって同じような目に合うべきなんだ。」
三匹のネズミはそれぞれケビンの指へと群がると、両前足でそれを受け取ってすぐに口へと運んでいた。
ネズミの齧る、カリカリとした乾いた音が、部屋の中に響き渡る。
「…だって、僕だって甘い食べ物を沢山食べたいからね。」
…そっちかよ。
ケビンの呆れたその言動に、思わず俺の顔が曇ったが、隣を見るとリサもそんなケビンに対して何とも複雑そうな表情を浮かべていた。
「…アイツ、絶対糖尿病だろ。」
相変わらず飴を砕いては、実験で余った飴を口にしながら、リサが入れてくれるコーヒーを飲むという作業を繰り返しているケビンの姿を眺めていた俺は、リサに向かってそう呟いた。
ウェスカーさんが飴を入れていた瓶の大きさから考えても、ざっと見その飴の数は100個以上はあるんじゃないかといった印象だった。
「…それが、血糖値は普通なのよ。」
俺のその言葉に、自分のデスクで仕切りにパソコンのキーボードで何かを打ち込んでいるリサ。
「中性脂肪は?」
「…もうぶっくぶく」
そう言ってパソコンに向かったまま目線は決して逸らさず、俺に向かって両手を上にあげるジェスチャーをしてみせるリサ。
その様子は、”まさにお手上げ”といった様子だった。
「すげぇな。こんな近くに元看護師のお前がいても生活習慣が変えれないなんて、相当だぞ。」
俺はリサのデスクの本棚にあった雑誌を適当にめくりながらこう答えた。
「…あんまり太らすなよ。そのうち立ち上がれなくなる…」
リサに向かって俺がそう言いかけたその瞬間…
ガタン!
ケビンがいる方向から、突然椅子が倒れるような物音がした。
思わず一斉に振り向いたリサと俺だったが、床の上には倒れた椅子と共にケビンの巨体が転がっていた。
「ケビン!」
「どうしたんだよ!ケビン!」
ケビンの突然の異変に驚いて、一斉に駆け寄って行く俺とリサ。
だがケビンからの反応は全くなく、力なく横たわっている彼の全身の色は青白く、口の端に溜まった白い泡のような物が、彼の体に起こった異常を如実に表していた。
心なしか、わずかにケビンの全身も痙攣している。
「ケビン!どうしたんだよ!?」
そう言って俺がケビンの体を揺さぶり起こそうとすると、
「触らないで!今救急車を…」
咄嗟の判断で俺の行動を制止したリサが、すぐさま部屋の内線から電話を掛けようと受話器を取ったその瞬間…
「がぁぁぁぁ!」
突然起き上がったケビンが、唸り声をあげながら俺の体を激しく突き飛ばしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます