バリー・アンダーソン③

「…久しぶりだな。元気にしていたか?」


入り口のドアを開け、何の躊躇もなく堂々と部屋の中へと入ってきた俺は、病室の中央に置いてあるベッドの上に横たわっている人物に向かって、そう明るく声を掛けた。


相変わらずその体と命とを何とか繋ぎとめようとしている複数の機械類からは、規則的な電子音が発せられている。


「…って、元気なワケがないよな。」


バリー・アンダーソンのそんな様子を眺めながら、彼のベッドの側にあった椅子へと腰を掛けた俺は、そう小さく言葉を漏らした。


相変わらずバリーアンダーソンは、ベッドの上で横たわったまま、力なく一点を見つめ続けている。もちろんその瞳に光が宿る事もなければ、俺の言葉に反応して彼がこちらに顔を向けてくる事もない。


だが、そんな完全に生気を失ってしまった瞳とは反対に、痩せこけてすでに骨が浮き出てしまっているその胸元をバリーは必死に膨らませながら、彼は懸命に呼吸を続けていた。


…まだ生きたい。


その様子は、まるで彼がそうとでも言ってるかのように見えた。


「…バリー、今日俺がここに来たのは他でもない。たまにはあんたと話でもしてみようかと思ってな。」


もちろん、今のバリーの状態では彼が口を開く事は愚か、会話など不可能に近い状態だった。


だが俺は、誇らしげに彼にそう言うと、手に持っていた大きなカバンの中から、一枚の文字盤を取り出したのだった。


…これならバリーが言葉を発せなくても、彼の思考や想いを汲み取る事が出来るのではないか?


ロベルトさんの家から帰宅した後、昨晩必死に自分なりに考えて、編み出した秘策がこれだった。


ちょうどA4サイズの厚紙に書かれているのは、『YES』『NO』『知ってる』『知らない』『分かる』『分からない』と書かれた簡単で簡潔な単語の羅列達だった。


本当はアルファベットなども用意しておきたかったのだが、それを入れてしまうと文字自体が小さくなってしまい見えにくくなってしまう事を危惧したのと、そもそも今のバリーが体力的にも能力的にもどこまでの質問に答えられるのかが分からなかった為、今回はこの文字盤を使ってみることにした。


ちなみにバリーの首は自分で動かす事は出来ないので、俺はちょうどバリーの顔の正面にその文字盤がくるように構えながら、バリーに向かってこう説明した。


「いいだろ、これ。昨日の夜俺が作ったんだ!…いいか?俺が今からあんたにいくつかの質問をする。そして質問の後に、俺が『YES』か『NO』、『分かる』『分からない』、『知ってる』『知らない』の文字をそれぞれ順番に指で指していく。だからあんたはその中から当てはまると思った部分に指がさされた時に、まばたきをしてくれればいい。…どうだ?簡単だろ?」


そう言って俺は文字盤を指差した。


―――――YES


バリーは俺の指の動きに合わせて僅かにまばたきをした。どうやら俺の意図はきちんと彼に伝わっているようだ。


「…俺の事は知ってるか?」


―――――――知ってる。


再びバリーの瞼が動く。


「名前は分かるか?」


―――――分からない。



…良かった。実は今回一番心配していたのが、バリーに記憶や思考能力がきちんと残されているのかどうかという部分だったのだが、どうやらそちらの方は全く問題がなかったらしい。


もちろん、前回俺がこの部屋に侵入した際にバリーは俺という人物自体の認識は出来ていただろうが、その際に俺は自分の名前を名乗ってはいない。


つまりバリーが俺の名前を知らないと答えるのは正解となる。


この質問によって、少なくとも今のバリーにはここ最近の記憶の保持や、人物の区別はついているという事が分かった。


「…上出来だ。やっぱりあんた、自分で体が動かせない、しゃべれないってだけで、きちんとこっちの言葉は理解出来てるんだな。俺の名前はダグラス。やっと自己紹介が出来て良かったよ。」


そう言ってまるで握手でもするかのようにバリーの手を軽く握る俺。バリーの指はその見た目同様、かなり骨ばってはいたものの、まだ皮膚の暖かさは残されていた。


「じゃあ質問を続けるな?あんたは昔、マルッセル劇場の劇場支配人だったらしいが、自分が骨折した時の事は覚えているか?」


―――――――YES


「あれは…事故だったのか?」


―――――――分からない。


「分からない?分からないっていうのは、覚えていないって事か?」


―――――――NO


「それは純粋に『何が原因となったかは分からない』という意味か?」


―――――――YES


「…例えば事故ではなく、誰かに突き落とされたとかっていう可能性はあるか?」


―――――――NO


「あくまで自分で落ちてしまった?」


―――――――YES



…事故の時の事は覚えているが、原因は分からない…


これは一体何を示しているのか。

不思議にその状況が、例の症状の発症時の状況と重なってみえた。



「バリー、あんたは今街の中で起きているあの症状の事を知っているか?…こう、今まで普通だったような人達が、突然暴れだしたりするっていう…」


その瞬間…



ピリリリリリリ…!!


機器の波形が激しく波打ちはじめたと共に、けたたましいアラームが鳴りはじめ、バリーの呼吸が荒々しくなってきた。


「大丈夫か!?分かった!無理に答えなくていい!質問を変えよう!!…あんたの家族は、嫁さんと息子さんだけか?」


すると呼吸がおさまっていくと共に、けたたましく鳴り響いていたはずのアラームがすぐにおさまった。


見るとモニター画面の波形も穏やかなものへと変わって来ている。


俺は、バリーの呼吸がおさまったのを確認すると、再び文字盤を指差した。


――――――――YES


いまだその表情に少しばかりの辛さが残されてはいるものの、バリーは俺の指差す文字盤に合わせて、きちんと瞬きをして意思表示を続けていた。


バリーの家族はやはり妻と息子だけなのか。

ならば…


「…家族はたまには面会に来るのか?」


―――――――NO


「…そうか、そりゃ寂しいな…」


俺は腰掛けている椅子にもたれながら小さくため息をついた。


…そうだ、家族といえば…


ふと、グース一家の事が頭をよぎる。


「そういやあんた、前に俺に合った時に三文字の言葉を話していたが、あれはって言葉で合っているのか?」


―――――――YES


俺はようやく本日バリーに聞こうと思っていた本題に入る事が出来た。


だが、それと共に再び荒くなり始めるバリーの呼吸。ベッドサイドに置いてあるモニターの波形も先程までに比べて、また少しずつ早くなってきている。


「何であんたは俺にという言葉を伝えたんだ?…もしかして、あんたの今の病気には、そのパン屋が関係しているのか?」


俺がバリーに向かってそう言った瞬間…


ピリリリリリリ…!!


再び呼吸と共に乱れ始める波形。

病室の中には、またけたたましいアラーム音が鳴り響いている。


「…バリー!大丈夫か!?」


バリーのその容態の変化に慌てた俺がそう声を掛けた瞬間…


「どうされました!?」


アラームの音を聞きつけて、看護師が二人、病室の中へと入ってきた。


その声にいち早く反応した俺は、すぐさま側に置いていた帽子を目深に被り、持っていた文字盤をカバンに隠した。


「バリーさん!バリーさん!…ミランダさん、すぐにホルター先生を呼んで来て!!」


看護師の一人が、もう一人の看護師に向かってそう指示を出しながら、バリーに声を掛け続けている。


バリーは目を上に見開いたまま、ベッドの上でビクンビクンと痙攣のように体を震わせていた。


「…あなたは?ここは職員とご家族以外は立ち入り禁止のはずですが?」


バリーの血圧を測り終えた看護師が鋭い視線をこちらに向けている。


幸いバリーの痙攣は少しずつおさまってきているようで、バリーの体と波形の揺れは徐々に小さくなってきている。


俺は、頭に被った帽子を整えるとその看護師に向かって言葉を発した。


「私は消防設備を点検する業者の者でして…以前依頼を受けたこの部屋のスプリンクラーの点検に来たのですが…」


そう言って、俺は「スプリンクラー点検」と書かれた書類を看護師に差し出した。


もちろんその書類は、こんな事もあろうかと昨晩俺が適当に作っておいた虚偽の書類であった他、こんな場面に遭遇した時の事も考えて、俺は前もってどう見ても作業員にしか見えないような衣装で身を固めていたのであった。


「…この患者さんは少しの刺激でも痙攣が起きてしまいやすい方なんです。病室の前に面会制限の札が掲げてあったでしょう?とにかく、今度からは病室の前に面会制限の札が掲げてあるお部屋に入室する際は、きちんとナースステーションで確認をとってからにして下さいね!」


そう言ってその看護師は、俺の差し出した書類にかなり苛立った様子でサインを済ませると、再びバリーの元で処置をしはじめた。


俺の元へと戻された書類の下には、メアリー・タナーという名前が記されている。


「先生、こちらです!」


その声と共に病室へと入って来たのは、ミランダと呼ばれた先程の看護師と、背の高い若いドクターだった。


「…それでは、俺はこれで…」


ふとそのドクターと目が合ってしまった俺は、帽子をさらに目深にかぶりながら病室を後にしたのだった。



「…やっぱこの建物、どこかで見たことあるんだよな~…」


ウェスカーさんの家へと戻り、ウェスカーさんが入れてくれたブラックコーヒーに口をつけながらそう呟く俺。


俺が眺めていたのは、バリーに見せようと思って、今朝ロベルトさんに俺の携帯へと送ってもらった例のグース一家の写真だった。


「…一体何の話だい?」


俺の目の前の席へと腰掛けながらそう声を掛けてくるウェスカーさんに向かって、俺はその写真を見せながら言葉を続けた。


「ほら、ここ。このパン屋の建物の後ろにデカい工場みたいなのがあるだろう?これって、どこにあるのかなぁって…」


そう言って、その工場の部分を指で示す俺に向かって、ウェスカーさんは笑いながらこう答えた。


「何言ってるんだい。この化学工場は、今もあるじゃないか。…もっとも、マルッセル劇場が出来てからというもの、かなり見えにくくはなってはいるだろうけど―――――…」


ウェスカーさんのその言葉を聞いた瞬間、俺は再びスマホを操作し、以前マルッセル劇場を検索した時に出てきた劇場建設前の更地の写真を見つめはじめた。


すると確かにその更地の奥には、グース一家の写真に写っているのとほぼ同じ位置にその化学工場が写り込んでいた。


「…どこかで見たことあると思ったら、この更地の時の写真だったんだ…。」


そう呟いたまま、愕然とする俺。


…グース一家が営んでいたガチョウのパン屋の跡地に、マルッセル劇場が建設されている。


…これは一体何を意味しているのか…


そう考えはじめた俺の目の前で、


ビリリリリリリ…!!


突然俺のスマホが鳴りはじめた。


「…失礼。」


バリーの病室で鳴り響いたアラームにもよく似たその音に、俺は飛び上がりそうなほどに驚いてしまったのだが、なるべく平静を装いながらウェスカーさんにそう一言断りを入れてから席を立った。


見ると、画面にはケヴィンからの着信と表示がされている。


「…もしもし。」


「あぁ!ダグラス、久しぶりだな!お前さんの血液検査の結果がやっと出たぞ!」


ウェスカーさんに気を遣って、抑え気味の声で電話に出た俺に反して、電話の向こうのケヴィンの声はとても大きく明るかった。


「…そうか。で、どうだ?俺の血液からゾンビウイルスでも出てきたか?」


そう冗談混じりに話す俺の言葉に、ケヴィンは明るい声のままこう答えた。


「…それが、ゾンビウイルスどころか全くもっての健康体でな。リサがあまりにせかすもんだから、あらゆる方面から色々と調べてみたんだけど、残念ながら性病すらなかったな。これじゃあ長い時間をかけて調べまくった甲斐がないよ。」


そう言って笑うケヴィン。


「…馬鹿言え。最高な事じゃないか。」


ケヴィンのその笑い声につられて、俺も思わず笑顔がこぼれる。


「…という訳で、君は全くもっての正常だよ。リサまで呼びつけたというのに、とんだ取り越し苦労だったな。」


「まぁ何事もなくて良かったよ。」


そう言って近くに置いてあった置物の上を無造作に指でなぞりながら答える俺。


本題である血液検査の結果に異常がなかったと分かった瞬間から、ケヴィンの話に対する俺の興味はすでにかなり薄れてしまっていた。


そんな俺の様子など全く気にするような素振りもなく、さらに言葉を続けるケヴィン。


「…ただ、一つ気になる事といえば…お前さん、あの時風邪をひきかけてたんだな。」


「…何でだ?炎症反応でも高かったか?」


ケヴィンの突拍子もないその質問に、俺は軽く鼻で笑うと、いつも風邪をひいて受診をする度にケヴィンや他の医者が言っている「炎症反応が高い」という文言を真似して口に出してみた。


「いや炎症反応も普通だし、白血球の数も正常で、血液検査上では風邪の兆候すら見られなかったよ?ただ…」


「…ただ?」


「君の血液から、ほんの僅かだが風邪薬のような成分が検出された。」


「…何だって!?」


ケヴィンのその言葉に、思わず声を荒げる俺。


…もちろん、俺は風邪薬など全く口にはしていない。


絶対に自分では飲んでいないはずの風邪薬が、何故か自分の体の中から検出された…


あまりにも理解し難いその突然の出来事に、この時の俺は、電話を構えたままただただ呆然とする事しか出来なかったのである。



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