再会

「やぁ、随分と遅かったじゃないかダグラス。今日は何か収穫があったのかい?」


俺がウェスカーさんの家へと戻って来た頃には既に19時を過ぎていた。


来客だろうか。

後ろ姿しか見えなかったが、リビングのテーブルからそう俺に声を掛けてきたウェスカーさんの席の前には、見慣れない男が座っていた。


正直あまり進んではいない取材の事に触れられてしまった事で、何となくその質問に対する返事をしたくなかった俺は、軽くウェスカーさんに会釈をすると、そのまま二階の自分の部屋へと上がってしまおうと考えていた。


「夕飯はもう食べたのかい?まだならこっちへ来て一緒に食べないか?」


ウェスカーさんのそんな誘いに、俺は正直気分が乗りはしなかったが、ウェスカーさんが心配そうにこちらを見る眼差しがどこか寂しそうで、俺もその会合に参加することに決めた。


テーブルの上にはクラッカーやローストビーフ、あとは簡単なサラダとピザなどが置かれている。


「…とは言っても、今はただの酒盛り中でね。実はつまみ程度の食い物くらいしかないんだが、何か飲むかい?」


「…じゃあそこのウイスキーを頼む。」


そう言って俺は肩に掛けてきたカバンを床に降ろすと、ウェスカーさんの横の席へと腰かけた。


席についた瞬間、ふと目の前の男と目が合ってしまった俺は、彼に向かって無言で軽く会釈をした。


男は年の頃なら50代前半だろうか。

ウェスカーさんよりもやや広すぎる額と異様にギョロりとした大きな瞳が印象的な男で、額と眉間に深く刻まれたシワが、より一層彼の眼差しを険しいものへと思わせた。


「…はじめまして。」


その男と目が合った瞬間、まるで間をもたせる為かのように俺は彼に向かってそう声を掛けた。


すると男はほんの一瞬だけその表情をさらに険しいものへと変化させると、すぐさま体を深く机の上へと突っ伏せて、突然小刻みに自分の体を震わせはじめた。


男の突然のそんな行動に驚いた俺が、心配してその男の顔を覗き込もうとしたその瞬間――――…


「ぶっ!



あははははははは!!」



男は突然、その場で堪えきれなくなった様子で吹き出したかと思うと、今度は椅子にもたれかかった体を大きく仰け反らせながら、豪快に笑い始めた。


見ると、前に座っているウェスカーさんも腹を抱えて大笑いをしている。


「…あの…一体何を笑って…」


いまだ状況が掴めずにいる俺だけを置き去りにして、二人は相変わらず息が止まりそうなほどに大笑いをしていた。


俺がそんな二人を怪訝そうな表情で見つめていると、ウェスカーさんが笑いすぎた事によって自分の目尻へと溜まってしまった涙を指で拭いながら答えた。


「…いやぁすまない、すまない。君と彼とは実は初めてではないんだよ。」


ウェスカーさんのそんな言葉に、慌てて俺は再びその男の事を凝視する。


そう言われて改めてじっくりと見たその男の顔は、見慣れてきたせいもあってか、だんだんとどこかで見たような顔に思えてきた。


…が、どうしても彼の事を思い出せずにいた俺は、そのまま眉をひそめながら自分でも無意識に軽く首をかしげていた。


するとその男は、そんな俺の様子を悟ってか、初めて俺に向かってこう口を開いたのだった。


「…久しぶりだな。あの時は撃たないでいてくれてありがとう。」


男から発せられたその言葉に、俺の脳裏では俺が初めてこの家に来た日の夜の出来事が横切っていた。


「あんた…まさかジョンか!?」


やっとその男の正体に気がつく事が出来た俺は、驚きのあまりに思わずその場で立ち上がり、そしてようやく彼の名を口にしたのだった。



「…いや~、ビックリしたよ。まさかあんたがジョンだっただなんて…あの時のあんたは、その…まるで…」


そこまで言って口ごもる俺に対して、ジョンはグラスに注がれたワインを口にしながら、全てを分かりきったような表情で答えた。


「…ゾンビみたいだったかい?」


「…はい。」


俺が言おうとした寸前で何とか言い留まったその言葉を、ジョンは全く気にもとめていない様子で続けた。


「…あの時は撃たないでくれて本当にありがとうな。あの時ウェスカーがいなければ俺は今頃この世にいなかったんだなって事を考えると、今でもゾッとするよ。」


「…俺もウェスカーさんがいなかったら今頃殺人犯になっているところでした。」


机の上で両手を組みながら静かにそう語ったジョンに対して、俺は無意識に壁に掛かっている猟銃を眺めながらそう答えた。


「ジョンはどうやらあの時の事を全然覚えてなかったらしくってな…」


ウェスカーさんがナイフでローストビーフを裁きながら、俺に向かってそう呟いた。


「…全く…覚えて…いない?」


慣れた手つきで次々と皿へと盛られていくローストビーフを眺めながら、そう不審そうに答える俺に対して、ウェスカーさんは軽く静かに頷いただけだった。


その頷きを確認した俺は、思わずジョンの方へと目を移す。


「本当に何も覚えてないんだよ。ウェスカーに金を渡した事も、ここに来た事も。もちろん、あんたに銃を突きつけられた事さえもな。とにかくあの日の事は何一つ覚えていないんだ。昨日久しぶりにこの家の前を通った時にウェスカーに呼び止められてな。その時に初めてあんたに撃たれそうになったという事を知ったんだよ。」


そう言って、ジョンはウェスカーさんの手によって目の前へと置かれたローストビーフをフォークで口へと運びながら、ポツリポツリとそう語り始めた。


「…不思議だよな。金を払わずに飲むのが俺の昔っからのポリシーだったはずなのにな。」


そう言いながら手にしたワイングラスを無造作にまわすジョン。グラスの中ではその動きに合わせて濃い赤紫色のワインが静かに揺れている。


「…ぷ…!…くくく…!!」


ウェスカーさんは再び堪えきれなくなった様子で、含み笑いを浮かべはじめた。


真剣な雰囲気でシビアにそう語るジョンに向かって、突然沸き起こった笑いに、思わず怪訝そうな表情を浮かべる俺とジョン。


「いや、悪い悪い。確かにジョンが私と飲むときに金を払った事なんて、一度もなかったな~と思ってな。ジョンはいつも何かしらの理由をつけては飲み代を踏み倒して人の金で酒を飲むのが大好きな男でな。この界隈では本当に有名な話だったんだ。むしろ私達は、ジョンと飲む時は自分が奢ることを想定してから誘っていたくらいだからね。…それがが出た途端にきちんとお金を支払いに来たって考えたら…なんだか無性におかしくってな。」


そう言ってまた堪えきれずにクスクスと笑い始めるウェスカーさん。


当のジョンの方は恥ずかしそうに顔を赤らめながら頭を掻いている。


「あと私とジョンは幼なじみなんだが、ジョンは昔から本当にあまのじゃくな性格でね。私の言うことは頑なに拒否をするくせに、あの日だけはちゃんと私の言うことを聞いて、ちゃんと翌日には自分の足でマルッセル劇場まで行ったらしいんだ。…彼が私の言うことを聞いたのなんて、実に50年来初めての事なんじゃないかな?」


「そんな事はないだろう!?」


「いやいや、本当にそうだよ。」


ウェスカーさんのその言葉が気に触ったのか、思わず大声となって反論するジョンに向かって、ウェスカーさんは決して動じるような様子すらなく、穏やかにそう答えた。


きっと普段からこの二人は、ずっとこのようなやり取りを繰り返し行ってきたのだろう。


激昂したジョンに対するウェスカーさんのなだめ方は実に手慣れたものだった。


「昨日ウェスカーから聞いて、やっと君を驚かせてしまったという事実を知ってな。それで今日は急いでお詫びの品を準備してここまでやって来たんだよ。」


「そのお詫びの品っていうのがこのローストビーフでね。あとは…ほら、ジョン。」


「…あ、あぁそうだった。」


そう言って再びローストビーフを口へと運んでいたジョンは、ウェスカーさんのその言葉に、フォークを握る手を止めると、テーブルの上に準備されていたナフキンで自分の口元を拭いながら、まるで何かを思い出したかのように自分のズボンのポケットの中から古びた一枚の紙を取り出した。


ジョンの手によって、テーブルの上へと広げられたその一枚の紙は、黄色と赤色のインクで形成されたどこか懐かしいデザインの、古めかしい広告のようなものだった。


「…これは…!!」


なんの気なしにその広告を覗き込んだ俺は、すぐさまその正体に気がつくと、思わず大きな声を漏らした。


「…そうだよ。これがマルッセル劇場開演当初に各家庭に配られていた広告さ。」


俺のそんな反応を察してか、ウェスカーさんが俺にそう声を掛けてきた。


「ウェスカーに君へのお詫びの品は何がいいかを聞いてみたら、君がマルッセル劇場の大ファンだという事を教えてくれてね。そういえば以前に祖父の家の小屋を掃除していた時に、この広告があった事を思い出してね。急いで持って来たんだよ。」


そう語るジョンを尻目に、俺に向かって軽くウインクをするウェスカーさん。


どうやらウェスカーさんはジョンに、俺がライターであるという事実は伏せ、ただの『マルッセル劇場マニア』ということにしてくれていたようだ。


もちろんその方がこれからも動きやすい。


これでマルッセル劇場のチケットも広告も揃った。


「ありがとう!大切にするよ!」


そう言って俺はジョンとウェスカーさんに深々と挨拶を済ませると、広告とカバンを手に、自分の部屋へと階段を駆けあがっていったのであった。

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