亜人の行進

しまうま

行進曲 : 出会い

第1話 狼は月夜に吠える

 深い森。木漏れ日が草花を照らす。


「お父さん、川にはまだ着かないの?」


「もうすぐだ。ほら見えてきたぞ!」


 親子であろう2人。それぞれ大きな籠を抱えている。水の澄み切った川には数多の魚が銀色に輝いていた。


「で、どうして今日は僕を連れてきたの?いつもは村の外には出るなって……。」


「ん?お前ももう12歳だ。今年から戦士になる訓練をしなきゃいけない。」


 その言葉を聞いた瞬間、子供の目が輝いた。


「僕も狩をしていいの⁉︎」


「狩は戦士になってからだ。これは俺たち"ワーウルフ"の牙の掟。絶対に守らなくちゃいけない。」


 ワーウルフ。その名の通り彼らは人間ではない。人並みの体躯を持つ、二足歩行の狼。鋭い牙と爪を持つ半狼半人。全身には黒灰色の毛で覆われ、尾を持ち、耳は頭の上に存在する。


「え……じゃあなんで僕は。」


「基本となる狩猟技術を教えるためだ。」


 また子供の目が輝いた。

 男はこれ見よがしに籠を持ち川縁に立つ。


「俺たちワーウルフは他の種族より優れた脚力を持ってるんだ。そして、利き足のつま先に渾身の力を込めて地面を蹴る!!」


 ——ドゴォオン

 大きな水しぶきが上がる。水しぶきが晴れる頃には男は10m先の川向こうに立っていた。


「とまぁこんな感じで魚を取れるわけだ。」


 籠の中には数匹の魚が活き活きと跳ねていた。



 ワーウルフの村はこの川の先にある谷の横に立っていた。50人ほどの小さな村である。家は動物の皮を繋ぎ合わせた布に木の骨組みで建てられた簡易的なもの。それが20〜30程、軒を連ねている。


「まだ全然できないや……。」


 しばらく練習をしていたのだが、日が暮れる前に帰路についた。子供は抱えた籠を見つめ、トボトボと歩く。


「当たり前だ。簡単にできたら戦士の尊厳って奴がなくなっちまう。」


 そう言って落ち込む子供の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 家では母が夕飯を作ってくれていた。家に近づくほどにスープの良い香りが濃くなっていく。


「おかえりなさい。シヴァ、あなた。」


「ただいまーあのね母さ……」


 ——カン!カン!カン!

 シヴァの言葉を遮るように村に金属音が響く。


「何? この音……」


 シヴァはとてつもない不安感に駆られた。優しい両親の顔がいつになく強張っているのだ。


「敵襲だ。シヴァ……お前がこの村の子供たちの年長だ。みんなを奥の洞窟まで避難させてくれ……。」


 村の入り口にある鐘が鳴らされたのだ。

 シヴァの頭を先までとは違い優しく撫でると男は手に槍を持つ。


「お父さんは?」


「戦士の仕事をしてくる……!」


 そう言うと家を飛び出した。

 シヴァも母を連れて家を飛び出すと村の至る所が火に呑まれていた。煙と共に無数もの悲鳴が上がる。


「シヴァ!早く走るのよ!」


 2人は煙の中を駆ける。他の住人も同様に崖際の険しい道をただひたすらに走っていた。


「女、子供が奥に逃げたぞー!!」


 その掛け声と共に馬に乗った奴らが村から数人追いかけてくる。


「シヴァ! 私がここで食い止めるから後は頼んだよ……!」


 誰かが時間を稼がなければ全員が死んでしまう。シヴァにもそれは理解できた。振り返りたい気持ちを堪え走り、幼い子供達を誘導する。

 だがここで、シヴァの耳がピクリと動く。



 シヴァは母の断末魔を聞くまでは必死に自分の役目を果たしていた。だが、それが聞こえた瞬間にシヴァの頭は真っ白となった。母を助けに行かなければならない。その想いだけでいっぱいになったのだ。母の元へ。ただ、必死に。

 そこには騎馬兵により、崖際に追いやられた母の姿。腹には槍が突き刺さり、全身はぐったりと力無く地面に膝を着いていた。大量の血が谷底に流れている。


「うわぁぁああ!!」


 叫ばずにはいられなかった。

 母を突き刺した騎馬兵に飛びかかる。

 兵は馬から転がり落ちた。シヴァは必死にこの男にしがみつき闇雲に暴れ散らす。その勢いで兵士の甲冑が脱げ落ちた。敵の姿はまるで毛の少ない猿のような見た目をしている。幼い頃から両親が聴かせてくれたこの世で最も残酷な生き物、ヒトだ。シヴァは怒りのままに男の首に噛み付くと男はその痛みのあまり暴れまわり、谷底にシヴァごと落ちていった。



 目がさめると朝になっていた。辺りを見回す。ここが昨日父と魚を取った場所だとすぐにわかった。幸運にも浅瀬に乗り上げ、遠くまで流されなかったのだ。

 朦朧とする意識の中、村まで戻る。

 そして、眼前には頭の中の靄を吹き飛ばすには十分すぎるほどの光景が広がっていた。

 シヴァが目にした光景。それは焼け焦げた家々と地面に染み付いた赤い血。だが、人の死体はあるがワーウルフの死体は1つもない。戦士達が撃退に成功したのか。そう思い、村を出て洞窟まで歩く。母の死体もない。洞窟にも誰もいなかった。

 もう一度村を歩く。父の槍が折れて地面に突き刺さっていた。


「大事な戦士の槍なのに……。お父さんはドジだなぁ。」


 シヴァの声は震えていた。胸中に抱いてしまった、あってはならない光景を振り払うようにして槍を引き抜き、また歩く。そしてすぐに、村の外れから空に上がる細い煙を発見した。村の人達かもしれないと辺りを探してみると……。

 そこには毛皮・爪・牙を全て剥ぎ取られたワーウルフの死体の山が築き上げられていた。まるで藁でも積むかのように、落ち葉でも掻き集めたかのように、邪魔であるから一箇所に固めた。それ以外を何も意味しないであろう冒涜の印がそこにあった。もはやどれが誰なのか判別などできない。ただの赤黒い肉の塊。見開かれた無数の目は恐怖と絶望を写し、シヴァを睨んでいた。

 シヴァは敵が何のために襲ってきたのかを嫌でも知ることとなった。ヒトという生き物は異種の命に対し敬意など持ち得ない。そう理解したシヴァの腹の奥底からは燃えるような怒りが込み上げてくる。そして、その怒りを覆い尽くすように深く真っ黒な憎しみが夜の如くシヴァを染め上げた。

 シヴァは空に雄叫びを上げる。太陽を雲が覆った。


 *


 そして四年の月日が経つ。暗い洞窟の中をシヴァは1人佇んでいた。身体は大きくたくましく成長し、背は170cm半ば。父と同じくらいまで高くなった。


「父さん・母さん。俺…… とうとう戦士になるよ。」


 昔一度だけ見た戦士の儀式。目の下に獲物の血を塗り、しゃがむ。そして地面に拳を突き立てる。


「戦士にならないと狩をしちゃいけないって掟は守れなかったけど…… 認めてくれるよな?」


 もう一つの手を心臓に当てる。

——アオーーン!

シヴァの雄叫びが洞窟に響く。


「シヴァ=ハンズ! 仲間のために! 家族のために! そして種の尊厳のために戦う事を誓う!」


 朝日が昇る。


「戦士としての仕事を果たそう……」


 村の跡地。木でできた無数の墓からは長い影が伸びていた。

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