覇者の咆哮
「ヴォァアアアアアアッ!!」
炭になった木の匂い。
ぷすぷすと音を立てて煙はあがり、山頂だというのにじりじりと熱さを感じる。
そして目の前には、ドラゴン。
咆哮を上げ、牙をむいた口元にはちらちらと火の粉が舞っている。
『……最悪だな。機嫌を損ねた竜と対面するなど……』
箒さんがため息交じりに呟いた。
うん、明らかにあれ、怒ってるよね……
「わたし、ドラゴン見るの初めてなんだけど……あれ、かなりマズいですよね?」
「ボクも初めてだよー。すごいね、迫力満点」
「クリスは気が抜けすぎです! マズいなんてものじゃないですよ!」
いつも通りのんびりした雰囲気のクリスと、焦ったエスメラルダ。わたしたち三人は、今ドラゴンから距離を取って、様子を窺っている。
「……どうする? 一か八か、行ってみる……?」
避けて通れるならそうしたいんだけど、出来ないんだよね。
何故なら、山のチェックポイントの魔法球は、あのドラゴンの真下に設置されているから!
『さしずめ財宝を守る竜といったところか。面白くも無い……』
「ホントに笑えないから……」
おとぎばなしでは聞いたことあるけど、わたしは勇敢な戦士ではない。
ドラゴンを打ち倒してお宝を手にするなんて、そんな真似は出来っこないんだ。
「ただ突っ込むだけでは危険です。やはりクリスとわたしで何とかしますから……その間に」
エスメラルダの提案に、わたしはうなづく。
とにかく、行かなければ話にならない。ドラゴンが怖くてレースに負けたなんてことには、なりたくない。
「それじゃあ行くよ……いち、にの……」
さんっ! 掛け声と共に、わたしは全速力で飛び出した。
ドラゴンを倒そう、なんて大それたことは考えない。
今ここで、球さえ手に入れられればいいんだ。
「ヴォルルルル……!」
だけど、接近するわたしにドラゴンが気が付いた。
ばさ、と翼をはためかせ、ドラゴンの首がわたしへ向かう。
金の瞳がわたしを見つめた。ぶる、と思わず背中が震えてしまう。
近付いていって分かった。ドラゴンの大きさは、二階建ての家よりも更に大きい。そんなものに攻撃されたら、ひとたまりもないって。
「頼むから、見逃して……!」
ぐ、と身体を縮こませて、魔法球の置かれた台座を目指す。
何をしようっていうんじゃない。ただあれが欲しいだけ。だから……!
……願いも虚しく。ドラゴンの気配が、動く。
「ヴォガァァァアッ!!」
咆哮と共に、ちり、と身体が熱くなる感覚。
思わず見上げると、わたしの真正面に迫る、火の塊。
『ブレス攻撃か!』
箒さんが叫ぶ。避けきれない。黒焦げになってしまう!?
頭が真っ白になりかけた、その時。
「やらせないよ。《鋼の意志よ、立ち塞ぎ、打ち払え》!」
クリスの詠唱と共に、わたしの目の前には結晶の壁が立ち並ぶ。
火炎は壁に防がれ、ぼわんっという空気の膨らむ音と共に爆ぜた。
ばらばらと、山肌の砂が舞う。
「ぶつからないようにね! それは魔法以外も止めるから!」
「うん! ありがとうクリス……!」
壁ギリギリのところでわたしは速度を落としきり、曲がる。
助かったけど、位置がずれた! 真っ直ぐ台座に向かうには、修正して……
「グルルル……」
考えている間に、ドラゴンは再びわたしに狙いをつけようとする。だけど。
「こっちを向きなさい!」
一喝する声と共に、ドラゴンの身体に雷が降り注ぐ。
「ヴォアアアッッ!!」
衝撃を喰らい、叫ぶドラゴン。
ぶるぶると身体を振るい、その声の主を探す。その動きだけで、周囲には風が巻き起こり、わたしの髪が吹き上げられる。
「さぁ、ステラ! 今の内に!」
エスメラルダの魔法雷だった。けれどその雷は、ドラゴンに衝撃を与えはしても、気を失わせることは出来ていない。
多分、ダメージらしいダメージは無いんだ。
流石はドラゴン、めちゃくちゃ強い。
……そんなのに、いつまでも狙われたくはない!
わたしはふぅと息を吐いて、台座へ一直線。その上に乗せられた球へと、手を伸ばす。
「もう、ちょっと……!」
『一度速度を落とすぞ、確実に掴め!』
「分かってる……!」
あと少し。もう少し。指先が、球を……!
「つかっ……」
焦ったのか。
指先ににじんだ汗が、わたしの手から球を、零れさせ――
「――つかむ!」
零れさせない!
箒から半分身体を伸ばして、わたしはしっかりと球を手に握り締めた。
「行って!」
『ああ!』
箒さんが再び速度を上げ、びゅん、とその場から離れる。
「エスメラルダ! クリス! 取ったよ!」
手にした球を掲げて、二人に知らせる。
これでもう、ドラゴンと顔を突き合わせる必要は……
「……って。あれ……」
『どうした、ステラ』
「見て、箒さん。ドラゴンの首」
ドラゴンは今、エスメラルダたちの方を向いていて。
だから気付けた。ドラゴンの首の後ろに、何かが突き刺さっていることに。
『あれは……魔力の込められた杭だな。刺した相手に苦痛を与える』
「苦痛って……それもしかして……」
ハッとする。恐らくそうだろう、と箒さんも肯定した。
あのドラゴンは、本来は温厚なのだと、逃げた魔法使いさん達が言っていた。 なのにどうしてあんなに怒ってるのかなって、考える余裕も無かったんだけど。
今、分かった。
誰かがドラゴンの首に杭を突き刺して、暴れるように仕向けたんだ。
あの竜は、ただ怒ってるんじゃない。訳が分からないまま、苦しんで……
「……。箒さん、ちょっと、ごめんね」
『……はぁ。キサマのそういう部分、オレ様も嫌いではないがな』
箒の柄先を、竜に向ける。
大きく息を吸った。出来るかな? でも、やれなきゃあのドラゴンは、ずっと辛いままじゃん。
ぐるぐると、怖い想像が頭に浮かびそうになる。
相手が相手だもん、仕方ないじゃん。でも。でも。でも!
ゆっくり息を吐いた。頭を空っぽにした。余計な事は考えない。
やることは、さっきと同じだ。
一点をめがけて……、飛ぶっ!
「ステラっ!? 一体何を……」
「竜の首! 杭! 取る!」
「あー……そっか」
「クリスは分かったんですか!?」
戸惑うエスメラルダだけど、事情を詳しく教えてる余裕はない。
クリスは察してくれたみたいで、す、とドラゴンの側面へと移動する。
「グルゥ……?」
赤竜が、後ろから近づいてくるわたしに、気が付いた。
お願い、じっとしてて! なんて願いが通じるわけは、やっぱりなくて。
ぶんっ! 風を斬る轟音と共に、その太い尻尾を、わたしへ向けて打ち付けようとする。
「はいはい、《鋼の意志よ、立ち塞ぎ、打ち払え》っと」
ばぎゃんっ! だけどその尻尾は、クリスの魔法で防がれる。
……ただ。砕けたような音は、尻尾でなく障壁の音。
「一撃で限界かぁ。ちょっと……面白いね」
にぃ、とクリスが笑う気配。面白がってる。この状況を。
敵わないなぁ、と思いながらわたしは大きく上昇。ドラゴンがこっちを向いたから、そのままじゃ杭に手が届かない。
飛んだわたしを見つめる竜の瞳は、やっぱり怒りに燃えていて。だけどその原因を作ったのは、きっと人間で……大会の、参加者だから。
「全く、貴方という人は!」
そこで、竜の背中に光の矢が放たれた。
ぱきんっ。音を立てて矢は竜の鱗に砕かれる。けど、気を引くには十分らしかった。グルゥ、と声を上げて、竜がエスメラルダの方を向く。
「今はレース中です! とっとと、終わらせてください!」
二発、三発と矢を放つエスメラルダ。その身体へ向けて放たれた火球を、クリスが障壁を作って防ぐ。ただ、その威力は高くって、そう何発も受けられないだろう。
「――行けるよね、箒さんっ!?」
『オレ様を何だと思ってる? 竜に遅れをとるような箒ではないぞ』
上昇したわたしたちは、竜の真上で一回止まって、箒の柄先を、真下に向ける。
さっきみたいに、速度を緩める余裕はない。
正真正銘、一発勝負。覚悟を決めて、目を見開く。
『――行くぞ、ステラ!』
真っ直ぐに、落ちていく。
大地に引っ張られるみたいに、わたしと箒さんは真っ逆さまに竜の背中へ。
その時間は長く長く感じられたけど、実際はほんの瞬き程度だろう。
紅の巨体が、眼下に広がっていく。鱗の一枚一枚がハッキリ見えてくる。
同時に……わかる。首に突き刺さった杭が、肌に食い込み、痛々しい傷を作っているのが。
手を伸ばす。待っていて、今……!
伸ばした手は風に吹き飛ばされそうになるけど、ぎりぎり平気。片手で支える箒とも、ドレスローブの力で離れはしない。
だから、思いっきり。身体を動かして、杭に、手を……かけて、引き、抜く!
「ヴォアアアアアッッ!!?」
瞬間、咆哮と共に身もだえし、暴れるドラゴン。
そりゃそうだ、抜く時も痛いに決まってる……忘れてた……
ばふっ、とその翼膜に激突したわたしは、ぐんっとその身体を膜につつまれて、次の瞬間、宙に放り出される。
「のわわわわっ!?」
コントロール出来なくなった身体が、空中でほんの一秒、動きを止めて。
ドラゴンと、目が合った。
「……っ」
息を呑み、何にも考えられなくなった、次の刹那だ。
「っと、もう良いですねステラ!?」
「ひやひやしたー!」
がしっ。わたしの身体は両脇から掴まれて、その場所から一気に攫われていく。
「あっ、うん、ありがと……」
それがエスメラルダとクリスだと気付いたのは、数秒経ってからだ。
バクバク言う心臓を落ち着けて、ようやくお礼を言ったわたしは、そっと後ろを振り返ってみる。
ドラゴンは、まだこちらを見ていた。
だけどその眼は、さっきまでの怒りに満ちた目じゃない。……と、思う。もう遠くになってしまったから、ハッキリとは言えないけど。
「ステラ。その杭はわたしが預かっておきます」
エスメラルダが、まだ竜の血の残る杭をわたしの手から取る。
後で組合に提出し、使用者を調べるのだ、という。
「恐らくは大会参加者でしょうが……故意のレース妨害など、赦すわけにはいきませんから」
「罠魔法はぎりぎりOKなんだけどねー」
「それも大会規定によりけりですがね……」
参加者の、誰か。
わたしたちの先を飛ぶチームの一つだろうか?
「でもさー、ステラ。わくわくしたねぇ?」
「えっ。いや、めちゃくちゃ怖かったですよ?」
「そう? でもステラの顔、満足そうだよー」
言われて初めて、わたしは自分の心臓の高鳴りの理由に気が付いた。
いや、怖かったっていうのは確かなんだけど。うん、振り返れば、そうかも。
ドラゴンをあんな間近で見たのも、ドラゴンと一緒の空を飛んだのも、初めてだから。……ドラゴンには悪いけど、ドキドキした。
『……今回は故意の妨害であろうがな。大会によっては、危険な生物と鉢合わせることはそう珍しくない』
と、箒さんが付け加えた。
例えば、洞窟の蝙蝠。あれはまだ危なくない方だけど、場所によっては森の大蛇だとか、怪鳥だとか、巨大魔蟲だとかに気を付けないといけないことも、あるんだって。
「そっか。それも箒レースの一部……なんだね」
自然の中を飛ぶという事は、その脅威にも身をさらすという事でもある。
『それを箒レースの魅力と取るか欠点と取るかは、貴様ら次第ではあるがな』
……わたしは、どっちだろう?
怖い目には遭いたくないんだけど。見知らぬ生き物に出会って、箒一本で競い合う。そのこと自体には、心が惹かれるような気がして……
「……しかし、困りましたね」
考えていると、エスメラルダがぽつりと呟いた。
「さっきの攻防で、魔力を消耗してしまいました……」
そうだ。大魔法や連続魔法で、エスメラルダはけっこう魔力を消費してる。
「ボクもー。あっちの壁は重たくって……」
魔法でないものも防ぐ壁は、クリスの力でも疲労する代物らしい。
コースは山を終え、草原へ入る。まだ先頭集団との勝負が済んでいないのに、この疲れはマズい……かも……
『……幸いなことが一つあるとすれば。相手取るチームが少なくなっている、ということか』
見ろ、と箒さんは草原の上を示す。ぽつぽつと、人の影。
……墜落したレーサーたちだ。ということは……?
「どうやら、ルビディアたちがやったようですね……」
広い草原の向こう。小さく見えるのは、九人の魔法使い。
いや、六人か。三人の魔法使いが、雷に打たれて墜落したから。
気を引き締めながら接近すると、仮面の男が。気だるげな男の子が。紅の瞳の少女が、わたしたちの事に気が付いた。
「あらあらあら。エスメラルダ、ようやく追い付いてきたんですの?」
「えぇ。取り込み中なら、先に行かせてもらいますが?」
問われて、エスメラルダが答える。
こちらを振り向いたルビディアさんは、どうやら他のチームと戦っていた最中らしく……だけど彼女は、そのチームの事を見もせずに、氷柱の魔法を軽く回避する。
「お気になさらず! すぐに終わらせますので!」
にぃ、とルビディアさんは笑って、ぐっと箒を上向きに、空へ空へと舞い上がる。
当然、それを狙う相手チームの魔法使い。だけど攻撃は全て、地表から飛んできた岩石によって弾かれ、防がれる。
「知っていますのよ! 貴方たち、姑息な罠や妨害で、レースを滅茶苦茶にしようとしていたでしょう!」
ルビディアさんは叫ぶ。その言葉に、わたしたちはハッとした。
今彼女たちと争っているチームが、そうなのだ。洞窟に罠を張り、竜に杭を打った、犯人。
「なんでそんなこと言い切れるんだよ!」
「『見えて』いるのです! 貴方たちの悪事も、そして結末も!」
腹の底から放たれる声に、よどみはない。嘘を吐いているわけじゃないのだ、とわたしは何となく、感じ取り。
「《我が声は怒り。我が杖は導き》」
そして、見知った詠唱が耳に届いた。
これ、エスメラルダも使ってる……
「《天より出でその偉大なる姿を現したる者よ。我は拍手で出迎えよう! 故に、ここに来りて示せ。万雷の力を! 覇王の咆哮を!!》」
黒雲が草原の空を覆う。
唸るように、稲光が数度、周囲を照らして。
「――《砕きの、稲妻》ッ!」
破壊が、降り注いだ。
相手チームは防御魔法によりそれを防ごうとするけれど、足りない。一度は防げても、二度三度の落雷に耐えきれず、障壁は砕け、三人の魔法使いがまた、墜落して。
「さぁ、これで片は付きました。決着をつけましょう、チーム・エスメラルダ?」
咆哮のような雷鳴と共に、最終決戦の幕が開いた。
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