小さな火
エスメラルダさんの特訓は、確かに辛かった。
「そもそも魔法と言うのは、魔力をエネルギーとし自然に介入する術であり……」
午前中は、エスメラルダさんによる魔法の講義。
「ちょっと、聞いていますか!? ステラさんっ!?」
「ふわっ!? あ、ごめんなさい……意識が……」
朝から難しい話をされるので、どうにも眠くなってしまう。
だけど、魔法について知ればレース中にも有利なのだ、とエスメラルダさんは言うし、頑張らなくちゃ!
『魔法の知識だけで言えば、オレ様がカバー出来るのだがな』
「箒さんにばっかり頼ってられないよ。飛ぶのに集中してもらいたいし」
『だがオレ様は……むぅ……』
「そこ! お喋りする余裕があるんですかっ!?」
エスメラルダさんは厳しい。だけどなんだか楽しそうに教えてくれる。
……もう少し分かりやすいと良いんだけどなぁ……
お昼ご飯を挟んで午後は、箒さんとの飛行訓練。
「私は留守に致しますけれど、しっかり基本を覚えてくださいね。……それから、クリスを見かけたらきちんと練習するようにとお伝えください!」
エスメラルダさんは、色々と仕事が忙しいみたいで、午後はいない。
「それじゃあ今日もよろしくね、箒さん!」
『あぁ。……だが、また地面に激突するのは御免こうむりたいな……』
「あっはは……ガンバリマス……」
レース中はぶっつけ本番でどうにか出来たりもしたけど……箒さんの操作は、まだわたしには難しかった。
大きく動いたり旋回したりはまだ出来るんだけど、微妙な位置調整とかになると、箒さんの力を借りないといけない。
それに……油断すると……
「あわわっ!? バランスが……!?」
『おいまたか!? 流石に動かすぞ!?』
「いやでも、持ち直す練習だってしなきゃ……ってわぁぁっ!?」
ずざざざざ! わたしは体勢を崩して、草の上で転げ回ってしまう。
「うぅ……地面の近くで良かった……」
『空の上はまだお預けだな』
「そうですね……あ、すりむいてる……」
危なくないように、わたしは低い位置でしか飛べてない。それでも、こうやって落下すると怪我は多い。
エスメラルダさんの侍女さんが怪我の治療をしてくれるけど、ちょっと申し訳ないなぁ。
『やはり、細かい操作はオレ様の方でやるべきではないのか?』
「うーん……でもさ、箒さんは全力で飛ぶと操作出来ないんでしょ……?」
全速力で飛んでいる間、箒さんは細かい移動が出来ない。わたしが箒を動かせるようになれば、そこもカバーできるはずなんだ。
「ただ乗ってるだけじゃなくて、わたしがちゃんと飛べるようになりたいんだ」
『むぅ……それならもうしばらくは付き合ってやるがな……』
「ありがとう! それじゃあもう一回……!」
そして、これらと並行してもう一つ。
「よし、点いた……!」
わたしは、魔力を鍛える特訓もしていた。
両手で持ったランタンには、爪の先くらいの小さな火が揺らめいている。
これは、わたしの魔力で灯った火だ。わたしには魔法使いさんみたいな強い魔力はないけど、誰しもほんの少しは魔力を持っているものなんだって、エスメラルダさんが言っていた。
だから、それを強くする。才能が無ければあんまり増えないみたいだけど、それでもやらないよりはずっと良い。
魔法が使えさえすれば、って場面、レースの中で何度もあったもんね。
……ただ、これもなかなか大変で……
「あぁっ、消えそう……!?」
ちょっとでも気を抜くと、火は簡単に消えてしまう。
集中して、魔力を注ぎ続けないといけない。
たしか、そう……手の平から、じんわりと熱を与えるみたいなイメージで……
ぼっ……。集中しなおしたことで、消えかかっていた火が安定する。……すっごくちっちゃいのは相変わらずだけど。
「ねぇ、箒さんならどれくらいのサイズに出来そう? ……って、いないんだった」
その日の夕方は、箒さんが姿を消していた。
なんでもエスメラルダさんに話があるとかで。会話の準備とかいろいろあって長くなるから、わたしは練習場の隅で、ランタンの訓練を続けていた。
……周りには誰もいない。空は夕焼けに染まって、少し冷えてきた。
その中でわたしは、何度も何度も消えそうになる火を守り続ける。
「……辛くないの?」
と。
突然後ろから、声を掛けられた。振り向いた瞬間、火は音も無く消えてしまう。
「あー……。ごめん、邪魔しちゃったね……」
「いや、良いんですクリスさん……ホントはこれ、見てなくても点けられるくらいじゃないとダメみたいだし……」
声の主は、クリスさんだった。
小さな袋を手にした彼女は「そっかー」と答えながら、かくんと首をかしげる。
「……あれ。今日は箒、持ってないの?」
「はい。箒さんは用があるみたいで」
「ふぅん……そっかぁー」
聞いて来たわりには興味無さそうな雰囲気で、クリスさんはわたしの隣に腰かける。
「えーっと……」
……ううむ。どうしよう。クリスさんと二人きりになってしまった。
何を話して良いのか、よく分からない。っていうか、わたしにはクリスさんがどういう人なのか、いまいち分かってない。
せいぜい、スゴく速い箒レーサーで、強い魔力の持ち主だ……ってこと、だけ。
「リンゴ、食べる? おいしいよ」
「えっ。あ、はい。もらいます……」
突然、クリスさんは袋の中からリンゴを取り出し、わたしに差しだしてくる。
断るのも変だしと受け取って、一口食べる。……甘くて汁気があって、とても美味しかった。
「あはは。キミ、顔に出やすい方だね。……うん、疲れた時は、特に美味しいよねぇ……」
クリスさんは嬉しそうに笑って、自分の分のリンゴを齧り始める。
……気を、遣われていたんだろうか?
そこでふと、最初に掛けられた言葉を思い出す。
「辛そうに、見えましたか……?」
「どうかなぁー。疲れた顔はしてた。エスメラルダもよくしてる」
クリスさんはこっちを見ないで、むしゃむしゃとリンゴを食べている。
「……キミってさー。なんでそんなに頑張れるの?」
「なんで……って」
「エスメラルダみたいに、家の事情とかないんでしょー?」
不思議そうな顔のクリスさん。
そういえばレースの時も、わたしに色々聞いて来たっけ。結果の分かる勝負は面白くないんじゃないか、とか。
「……楽しいから、じゃダメ……ですか……?」
エスメラルダさんも、最初はわたしの気持ちを認めてくれなかった。
大会のあとは、何故だか何も言ってこないけど……今はどう思ってるんだろう?
っていうか。やっぱりそういう考え方って、レーサーとしては失格なのかな?
「別に、ダメじゃないけど。分かんないなって」
箒レースの、どういう所が好きなの。
リンゴをむしゃむしゃと齧りながら、クリスさんは更に聞いてくる。
「どういう所、って言われるとやっぱり……」
高い空の上。全身に浴びる風の爽快感。
地面の上を歩いてる時とはまるで違う速さ。
魔法使いさんの魔法を潜り抜けたり、追い抜いたりする時の興奮……
……全部が全部、わたしの心をがっしりと捉えてしまったから。
「それに。レースを通じて知らなかった頃を色々知れるのも、嬉しいです」
ほんの少し前のわたしなら、きっと触れずに生きてきたようなことに。
箒さんを手にしてから、出会うことが出来た。
「でもー。負けたらさ、楽しくないんじゃないの。やる前からさー、誰が勝つか分かってたら、面白くないよね……?」
クリスさんは確認するみたいに聞いてくる。
それは、レース中にも言っていた疑問だった。もしかして、とわたしはその問い掛けの理由に思い至る。
「クリスさんは……箒レース、楽しくないんですか?」
「うん。ボクはねー、森の中とかで、果物食べてる方が好きかなぁ」
あっさりと。
クリスさんはそれを肯定した。
箒レースが楽しくない人もいるんだ……。当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど、わたしはその事実に、今更ながら驚いた。
「じゃあどうして、クリスさんは箒レースを……?」
「エスメラルダがねー。才能があるから、やるべきだって」
うつむきながら、クリスさんは前髪を指にくるくると巻き付ける。
キレイな桃色の髪。それは体の中の魔力が溶け出した結果なのだと、箒さんが言っていた。
「ボクの髪、変だって。みんな言ってた。……けど、エスメラルダはボクの髪を見て、スゴいことだって言ってくれたから」
魔法使いになるべきだと。箒レースをやるべきだと。
そう言われて、誘いに乗った。
認めてくれたのが嬉しかったんだと、クリスさんは語る。
「でもねー。ボクが本気で飛ぶと、いつもエスメラルダが負けるんだ。エスメラルダは、いつも辛そうにする。褒めてくれはするけど、しんどそうだった」
「……それは……」
大会の時の、エスメラルダさんの様子を思い出す。
負けたくないと。負けるわけにはいかないと。
そう叫ぶ彼女は、追い詰められたようにも見えたな、と。
「だからねー。分からないんだ。レースが楽しいって気持ち……」
クリスさんは、ぼんやりとした声で呟く。
ああそうか、とわたしは思う。クリスさんは、わたしと逆なんだ。
勝てるから。負けることが無いから。
胸が高鳴らない。ただただ、相手の事を気にしてしまう。
自分が勝つのが当然だから、勝った後の相手の気持ちを、先に考えてしまう。
前のレースで、もう止めない、ってわたしに聞いたのも。きっとわたしが負けると思っていたからだ。
負けるなら、最後まで戦う理由は無いと、無理に傷つく必要はないと。
「……でも、だったら」
そんなレースを続けてきたのなら、楽しくないと思ってしまうのも当然だ。
だからこそ。わたしは問い掛けた。彼女の話を聞いて、思ったことを。
「わたしがクリスさんに勝てれば、楽しくなりますか?」
必ず勝つのが辛いなら。負けた相手の顔を見るのが辛いなら。
わたしが勝てば良いんじゃないのか、って。
「……不思議なこと、言うんだね」
クリスさんはわたしの質問に、目を丸くした。本気で驚いてるみたいだ。
「でも、無理だよー。エスメラルダにも勝てなかったんでしょー?」
「それは、その時のわたしなので」
今やれば勝てる、なんて思ってはいないんだけど。
毎日毎日練習して、少しは強くなれたと思ってる。
あの日のわたしと同じじゃないし、明日のわたしも、同じじゃない。
「もし今勝てなくても……この先、どこかで必ず勝ちます」
そういう道を、選んだつもりだった。
「それにクリスさん。変ですよ」
クリスさんの言ってることは、ちょっとだけおかしいんだ。
「ボクがー……? 変じゃないよー」
「だって、前に戦った時、本気を出そうとしてくれたじゃないですか」
わたしが結晶壁を抜けた後。ほんの一瞬だけど、彼女は本気で飛ぼうとしてくれていた。
本気でレースが楽しくないなら。やる気が全くないんだったら。そんなことをする理由はない。勝って相手に辛い思いをさせる理由が、無い。
「それに、掃除用の箒で戦ったのは、飛行用だと勝負にならないと思ったから……なんじゃないですか?」
裏を返せばそれは、対等な勝負がしたいっていう意思表示だ。
だって、ただの箒でも、手を抜こうと思えばいくらでも抜けたんだ。
「……キミが結晶壁を抜けた時はねー、びっくりしたんだ」
クリスさんはわたしの問いに答えず、だけど少しだけ明るい声で、言う。
「魔力が無いのに、スゴいなぁって。……それに、ねー。エスメラルダは最近、前より楽しそうなんだ」
なんでだろう、って考えてた。とクリスさんは言う。
どうして、あんなに辛そうにしていたエスメラルダが、あんなに嬉しそうに勝利を喜んでいたのか。
「……キミを見て、ちょっとだけ分かったよー。……ふぅ、ごちそうさま」
「あっ、いつの間にか食べ終わってる!?」
よく見たら、クリスさんが食べていたリンゴはもう芯だけだ!
いや、よくよくみるとリンゴの芯は二本ある。ってことは二個食べてる!?
「食べ終わったから、ボクもう行くね」
そしてクリスさんは立ち上がる。
夕陽はもう沈みかけていた。辺りは暗くなり、クリスさんの表情がよく見えない。
「あの、まだ質問に答えてもらってないですけど……!?」
「それはねー。……あはは、実はボクにも分からないんだー」
負けたことがないからねー、とクリスさんは間延びした声で答える。
「うん、でもねー……」
そして彼女は、わたしの傍らにおいてあったランタンをひょいと掴み……ぼぅっ! 今にもあふれそうな真紅の炎が吹き上がり、クリスさんの顔を照らす。
不敵に、笑っていた。
「もしそうなったら、面白いかもねー……?」
*
……それから、一週間。
「よく頑張ってくださいましたね、ステラさん」
「こっちこそ、ありがとうございますエスメラルダさん!」
わたしは、エスメラルダさんに課された特訓を一通り終えた。
『まだ未熟な部分は多いがな。それでも以前よりはずっと箒乗りらしくなったと言えるだろう』
「箒さんに褒められるとなんか、やっぱり変な感じしますね……」
むずがゆいというか、何というか。
そんなわたしと箒さんを見て、エスメラルダさんは微笑みながら「しかし、本気ですか」と改めて問う。
「クリスに本気の勝負を挑む、というのは……まだ早い気も致しますが」
「良いんです。絶対勝てる、なんて思ったこと、わたし一度もないですし……」
エスメラルダさんの気遣いに、わたしはちょっと情けない返答をしてしまう。
そう、勝てるかどうかは分からない。でも、だからこそ挑む価値があるんだ……とも、思ってる。
「そう、ですよね。貴方の場合は。……正直言って、感謝しているのです」
「え、何にですか……? 特に何かした覚えは……」
「そうですね……貴方といると、初心に帰れると言えばいいのでしょうか……。それに、クリスだって、きっと……」
そこでエスメラルダは言葉を切る。
これ以上は、今言う事ではないですね、と。
「チームメイトとして。私は貴方もクリスも応援いたします。
……ですからどうか、楽しい勝負をなさってください」
彼女はそう言って、わたしを練習場まで送り出す。
そこには既に、自分の箒を手にしたクリス・ローズが待っていた。
「……来たねー。準備は良い……?」
「はい。いつでも大丈夫です!」
楽しい勝負を。
エスメラルダさんの願いはきっと、わたし一人へのものじゃない。
『あまり考え込むなよ。お前はお前として飛ぶのが一番良い』
「分かってます。っていうか、他にどうしようもないから……」
自分が楽しんで飛ぶ以外の飛び方を、わたしは知らないから。
全力で楽しんでやろう、って心に決めて、箒にまたがる。
「うん、それじゃあ……やろっか」
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