全力でやるから
「うん、それじゃあ……やろっか」
エスメラルダさんが魔力を注ぎ、コースを形作る光の幕が下り始める。
わたしは頷いて、正面を向いた。手のひらに、箒さんの気配を感じる。
とくんとくんと胸が鳴って落ち着かない。大きく息を吸う。
3! エスメラルダさんのキレイな声で、カウントダウンが始まった。
2! 息を吐きながら、箒さんを握る手に力を籠める。
1! ……顎を引く。もうそれ以上、何も考えず、ただ最後の一声を待ち……
スタート!
瞬間、ぶわり。全身に風を受けながら、わたしは空に舞い上がる。
体が吹き飛ばされそうになるのを、身を低くして堪える。
ちら、と横を見た。クリスさんはそこに……いない。
『アイツの箒を見たか?』
「……飛行用だったでしょ?」
『あぁ。それも特別、魔力の許容量の大きな木を使っている』
クリスさんの箒はたしか、紫がかった暗い色の木で出来ていたっけ。
落ち着いた雰囲気で、だけど目を惹かれる魅力のある箒だった。
『余計な事を考えている場合か。許容量が大きいということはな……』
箒さんが言い終わる前に。
わたしの真横を、突風が吹き抜ける。
抜かれた!
『……初動に時間がかかるが、その分、より強い加速を掛けられるということだ』
「言うのが! 遅いです!」
あっという間にわたしたちの前に出たクリスさんが、横目で一瞬こちらを見た。
その眼はまだどことなく眠そうで。まだ全然、クリスさんの脅威にはなれていないのだと、思い知らされる。
でも。ここからだ。
クリスさんの速度はそこで一旦落ち着く。そう、あんな速さで飛べるのは、どの箒でも一瞬のことだからだ。
「箒は、普通に飛行するのとは別に、貯めた魔力を一気に解き放って加速することも出来る……んだよね?」
エスメラルダさんに教えてもらったことだ。今までは何となく、速くしたり遅くしたり出来るんだ、くらいにしか分かってなかったけど。
クリスさんの箒は、クリスさんの魔力量に合わせたんだろう、すっごく魔力を貯められる木で出来ている。その分解き放った時の威力は凄いけど、そもそも貯めるのに時間がかかる。
なら、箒さんはどうかというと……
『……行くぞ!』
ぐ、と箒さんの動きがほんの少し重たくなり、次の一呼吸の間には、ぐわっ。より強い風を全身に受けて、わたしたちはクリスさんに接近する。
箒さんの魔力量は、飛行箒としては平均的なものらしい。でもその分、箒さんは力をすぐに開放出来る。一度では届かなくても……
「再加速!」
もう一度。箒の速さが落ちる前に、加速をかける。ぐんぐんとクリスさんとの距離が縮んでいく。
「……うん、やっぱり速いねー」
接近してきたわたしたちに、クリスさんはのんびりとした雰囲気を崩さない。
そう、問題はここからだ。クリスさんは何にも考えて無さそうな顔をしているけど、さっきからしっかりとわたしたちの目の前をキープしている。
抜かすには……やっぱり。
くい、と箒さんの柄を右に向ける。クリスさんはそれにしっかり反応して、わたしたちの右前へと移動する。
その動きを、待っていた。わたしは途端に、身体を一気に横倒しにする。ぐるん、と箒の位置がずれ、目の前が開く。そこで加速!
倒れたままの身体を、風が一気に吹き飛ばそうとする。けど、耐える。そのままわたしは身体を回して、元の体勢へ。
戻った頃には、クリスさんはわたしの後ろだ。
「へぇー。前よりずっと良くなってるね」
「練習したので!」
前にやったときは、体勢を戻すのが遅れて、結局クリスさんに追い付く隙を与えてしまった。でも今回は違う。違うんだけど……
「……あれ、ちょっと差が……?」
差が、広がり過ぎてる。わたしがずっと前にいる。おかしい。そこまで速く飛んだ覚えはない……って。
「あぁっ!?」
「うん、残念でした」
びゅんっ! もう一度わたしの真横を突風が吹き抜ける。
気付けば、クリスさんは再びわたしの前に飛んでいた。
……わたしが抜こうとした瞬間から、魔力を貯め始めてたんだ。
その上クリスさんは、いつの間にやら手に小さな杖を握っている。
「《強固なる意志よ。全てを塞ぐ壁となりて輝け》ー……っと」
言葉の割に力の抜けた声で呟いたその、詠唱。
うわ、と思ったその時、クリスさんはわたしたちへと振り向いて。
「今度は、どうする?」
試すような言葉。無表情なその顔の前に、桃色の結晶壁が広がっていく。
またこの壁だ。……だけどあの時と違って、攻略方法は分かってる。
「あー……勿論、前と同じじゃないからね」
「えっ……あれ……!?」
そう、だった。前のクリスさんは、掃除箒を使って飛んでいたけど……
今は、違う。正真正銘、飛行用の箒。だから速い。
「箒さん! もっと速度出せる!?」
『……現状はこれが精一杯だ。瞬間的にならアイツより速く飛べるが……』
それじゃあダメだ。わたしは焦る。
前のやり方は、壁に激突する直前に魔力の放出を抑える、って方法だった。つまり、壁を抜ける間は速度が落ちていく。完全に抜け切る前にクリスさんとの距離が開いたら、結局壁を越えることが出来ないまま、やり直しになってしまう。
速さが、足りない。今のままじゃ。
「魔法、使ったって良いんだからねー。壁を壊せるやつ」
「……いや、えーっと、それは……」
「頑張ってたのは知ってるよー。試すだけ試したらー?」
「いやぁ、あはは……」
つい困ってしまってわたしは頭を掻く。
うん。確かにわたしは一週間、魔力を鍛える特訓を続けてきた。そして、分かったことが一つある。
わたし、全ッッ然魔法に向いていない!!
『キサマの魔力量は並以下だからな……』
「言わないでよ箒さん……」
特訓を始めて三日目のことだ。ランタンに灯った火を見たエスメラルダさんは、言い難そうにこう語った。
――才能のある方でしたら、もう成果が出始める頃なのですが……
――ステラさんの場合は、その、ええ……残念ですが……
――十年修行しても、恐らく大した魔法は使えないかと……
「分かってましたから! 分かってましたから!」
わたしに魔法の才能が無さそうなのは、分かってました!
でもやっぱり突き付けられると悲しいんだよね。
エスメラルダさんやクリスさんみたく、カッコよく魔法を使ってみたかった……
『で? どうするのだステラ。傷ついている暇はないぞ』
「箒さんは厳しいです……」
けど、うん。俯いている時間が無いのはホントのことだ。
ふぅと大きく息を吐いて、わたしは目の前の壁を見つめる。
「速さが足りないなら、速くしましょう」
『……ここでか。良いだろう』
用意が出来たら言え、と箒さんは静かに呟く。
わたしは深呼吸を一つして、そのタイミングを見定める。
……箒さんの速度は、全力でも壁を超えるほどにならない。
そしてわたしは魔法を使えるほどの魔力を持ってない。……でも。
魔力が無いわけじゃ、無い。
「じゃあ、行くね……!」
一度、速度を落とす。クリスさんはそれを察知して、振り向いた。
「ふぅん。同じ方法なんだねー」
「はい。でも、違います!」
手のひらに、箒さんの気配を感じる。柄の中に、箒さんの魔力が満ちているのが、今なら分かる。
いち、にの……さんっ! どん、と魔力を放出した箒さんが、今出せる最高の速度で壁に突撃していく。
でも。クリスさんもそれを見越してか、魔力を放出させて、速度を上げた。このままじゃ、壁を越えきる前に速度が足りなくなる。だけど。
両の手のひらに気持ちを集中させる。
ランタンと同じだ。肌から、温もりを与えるみたいに……魔力を、注ぐ!
『っ……! 届いたぞ!』
ぴたり、と。手と箒が一体になったような感覚がして。
次の一瞬、ぶんっ、と髪が風に跳ね上げられる。
「……っ!? この速さって……!?」
「簡単な話です! 箒さんだけで足りないんなら……!」
ほんのわずかでも。
わたしの魔力で、背中を押す!
箒の穂先から、きぃぃ……と高い音が漏れ始めた。体の中から熱を奪われるみたいな感じがして、だけどその分、どんどん速度が増していく。
きぃぃぃぃ……っ! 穂先から何かがあふれ出ているのを、手のひらで感じた。速く、速く、速くなっていく!
目の前に、桃色の結晶壁が迫って来た。激突まで、あと、一呼吸で……!
「っぶはぁっ!」
魔力を、切る。箒さんも動きを止めて、その速度を維持したまま、壁に突っ込んだ。ががが、と残った魔力が穂先で引っ掛かるけど、関係ない。
この速さなら……
「抜けるっ!」
壁を、通り抜ける。
そのまますぐに箒さんは速度を上げ直して、クリスさんの前に、出る。
「……へぇ。やるね」
「驚きまし、た……?」
「うん、少し」
振り向くと、クリスさんはたしかにびっくりしたような顔をしていた。もう、さっきまでの眠そうな顔じゃない。
少しは、退屈しない勝負に出来てるかな?
「……でも。辛そうだね、キミ」
じっ、とわたしを見つめるクリスさん。確かに、わたしは肩で息をしてる。……さっきの一瞬で、魔力の殆どを使っちゃったからだ。
息が苦しいし、頭がちょっとふらふらする。全力で走った直後みたいな感じ。魔力を一気に使うと、こんなにしんどいんだ。
「なのに笑ってる。……やっぱり、楽しい?」
「もちろん、ですっ……」
っていうか。辛いからこそ、楽しいんだ。
「勝てないかもしれないくらいが、丁度いい……ですからっ……」
本気で、手を伸ばして。
それでも届くかどうか分からないから、届いた瞬間が輝く。
「飛べない、って、わたしは最初、思ってましたけど……!」
自分は地面を歩くだけの人間だって諦めてた。それで満足していた。
だけど。今は箒さんがいるから。飛べるから。
もしかしたら、手の届かなかった何かに、届くかもしれない。
魔法が使えなくても。才能なんて全くなくても。だから楽しいって思える。
「クリスさんだって、最初は楽しかったんじゃないんですか……!?」
そんな時間が、クリスさんにもあったんじゃないか、ってわたしは思う。
箒レースを始めたその時に。エスメラルダさんに誘われたその時に。
何一つ、楽しいって思えることはなかったんだろうか?
「……どうかなぁ。もう、前のことだし」
クリスさんはわたしから目を逸らす。その手には、小さな杖が握られていて。
「《強固なる意志よ。砕け、散り、煌めきと共に圧し潰せ》」
ばりんっ!
音を立てて、クリスさんの背後にあった桃色の結晶壁が、砕け散る。
何をして、いや、これは……?
『来るぞ、備えろ!』
箒さんの叫びとほとんど同時に、砕けた結晶の破片が、わたしに向かって飛んできた。
「わわわわわっ……!?」
右へ、左へ、時としては身体を逸らせて。わたしはその結晶を避け続ける。
「遅くなってるよー」
そうして動きが鈍くなったのを狙って、クリスさんが距離を詰めてきた。
『数が多い! ここはオレ様が操作すべきではないか!?』
「ダメ! 一回抜かれたら……だから箒さんは速さを……!」
もし抜かれて、もう一度結晶壁を使われたら。
その時にさっきと同じ手は使えない。だって、わたしの魔力量じゃ、あの速度を何回も出すことは出来ないから。
でも。わたしの操縦だと、やっぱり無駄が多いみたいで。何個かは避けきれずに、わたしの頬を切ったり、背中に激突したりする。
「むぐぐ……!」
痛みを、堪えて。進む。追い付かれないように。でも、クリスさんはじりじりと迫ってきていて。
「ねぇ。今も楽しい? ……このまま抜かれても、同じこと、言える?」
クリスさんは問い掛ける。
分かってるんだ、と察した。クリスさんは、わたしが同じ手をもう一回使えはしないのだと分かっている。
だから。ここで抜かれることは、殆ど負けを意味するんだ。
――負けたらさ、楽しくないんじゃないの。やる前からさー、誰が勝つか分かってたら、面白くないよね……?
あの時。クリスさんはわたしにそう聞いた。
それはエスメラルダさんとクリスさんが、ずっとそういう勝負をしてきたから。
当たり前だよ。負けるって分かってたら楽しいわけない。
――……ですからどうか、楽しい勝負をなさってください
ちら、とわたしは、コース下のエスメラルダさんに視線を移す。彼女はただ、真剣なまなざしで、わたしたちの勝負を見守っていた。
楽しい勝負って、何だろう?
そんなの決まってる。どっちが勝つか分かんない勝負だ。
お互い全力を出して、それでも勝てるかどうか分からない。そんな勝負だ。
「……ねぇ、箒さん。今何周目? 全然数えてなかったんですけど」
『八周目だ。回復の時間は無いだろうな』
「そっか、うん」
いつの間にか、あと二周だった。短いコースだ、本当にここで抜かれたらお終いだと思う。
なら。簡単。抜かせなければ良い。
『……っ!? おいステラ!? これは一体……!?』
ぐ、と手のひらに力を籠めると、箒さんは慌てた声でそう言った。
「決まってるでしょ、箒さん。飛ぶのに必要なものだよ」
「……? なにしてるのー……?」
クリスさんの姿が、目じりに入ってくる。もう人一人分くらいの差まで縮まってる。このままじゃ、抜かれる。だから。
魔力を、注いだ。
「んっぐ……!?」
ぐわん、と頭が揺れる感覚がした。
限界だ、と身体が叫んでいた。でも、良い。
少しくらい残ってるでしょ。ないなら作れば良いでしょ。
きぃぃ、と箒が音を鳴らし始める。速度が増す合図。心臓がどくんどくんと高鳴って、視界がちょっと狭くなってきた。
「無茶だよー! もう魔力ないんでしょ……?」
「そう思うなら! 抜いてみてください!」
叫んだ。つもり。あんまり声は出なかった。
でも、聞こえたみたい。背後の気配が、ちょっと変わった。
「良いんですか、このままで! わたし、勝ちますよ……っ!?」
きぃぃぃぃんっ……! 箒から力があふれ出すのを感じる。それは箒さんと、わたしの力。
速度はどんどん増して、一度は詰められた距離を、ぐんぐん引き離していく。
『……ここまでしろ、と言った覚えは無いがな……』
はぁ、と箒さんはため息を吐く。
そうだね。でも、わたしはわたしのまま飛べばいいんだ、って言ってくれたのは、箒さんだ。
だから。わたしは、わたしに出来ることをしただけ。
わたしが楽しいって思う勝負を、仕掛けただけ。
……なんて、伝える力も残ってない。わたしはただ、飛ぶ。
「良いよ。……抜けばいいんだよね」
クリスさんは呟いて、気配が消える。
いや、距離が離れたんだ。あの時と同じ。
ぐんっ!
後ろから、強い気配が迫る。速い。わたしより、ほんの少し。
『あと一周!』
箒さんが叫ぶ。それで勝負が決まる。それまで抜かせない。絶対、抜かせない。
追ってくるな。近付いてくるな。思うと同時に、願う。来い。来い。来い!
「んっ……ぐぅぅ……!」
息が切れそうになる。視界が暗くなる。
でも、良い。勝ちに行く。抜かせない。
勝てる、なんて思わせない。余裕なんて持たせない。
クリスさんは強い。なんで強いのかって考えてた。速いから。結晶壁が強いから。それだけで、エスメラルダさんが負ける?
……多分。クリスさんの強さは、対処する力だ。
クリスさんは、わたしが前に行くと、すぐに別の手で前を取り返す。色んな手を、多分まだ他にも持ってる。
だったら、想像してないようなことをすればいいでしょ。
半分はやけくそだ。ほんのちょっとしかない魔力をガンガン注ぎ込んで、空っぽになっていくのが分かる。どんどん視界が狭くなってくる。息が苦しくなってくる。でも、速度は落とさない。抜かせない。
ここまでするって、思ってなかったでしょ。
わたしだって思ってなかった。少し前のわたしなら。
でも、やっぱり負けるのって悔しいから。
全力でやればやるほど、勝ちたいって気持ちになるから。
『あと半周!』
箒さんの声がする。
持つかな? わたしの身体。
クリスさんが追ってきてるのかどうか、よく分からなくなってきた。もうそこまで気を配れない。あとは気絶しないように踏ん張りながら、飛ぶだけ。
でも、思うんだ。
なんでもかんでも分かってるって風に動いて。結果は分かってるなんて言って。負けないから楽しくないなんて言って。
そんなの。負けたいって言ってるようなもんじゃん。
どうぞ予想外の手で自分を負かせてくださいって、言われてるようなもんじゃん。
だから、そうする。勝つ。
あと、数秒!
最後まで、持て! 気を失っちゃダメ!
ゴールラインはすぐそこで。
目の前で。
――越えた。
「っっ……!」
周りを、見ようとした。
勝てた? 負けた? クリスさんは、どこに……
……って。あれ。力が、抜けて……
*
「起きましたね、ステラさん」
気付けばわたしは、頭をエスメラルダさんの膝に乗せて眠っていた。
「ぅ……え……? あっ、レース……!」
起き上がろうとしたけれど、全身が痛んで起き上がれない。
「うぐぐ……なんで……」
「無茶をするからです。何ですか、あの魔力の使い方は……!」
ぐ、とエスメラルダさんはわたしの額を抑えて、まだゆっくりしていてください、とたしなめる。
「だって、その……うぅ……」
なんか声も出ない……っていうか、勝負の結果はどうなったんだろう……
「……楽しくなかったよ」
気にしていると、どこからかクリスさんの声がした。
……そっか。それじゃあ結局、わたしは――
「負けるのは、全然楽しくない……!」
「えっ。あれ、勝ってるんですかわたし!?」
完全に負けたと思ったんだけど!?
「キミの勝ちだよー……次は負けないからねっ……!」
どこか拗ねたような口調で言って、クリスさんの足音がどこかへ行ってしまう。
「えぇ……? あの、クリスさんは……?」
「……レースが終わってからずっとあの調子です。よほど悔しかったのでしょうね」
ふふふ、とエスメラルダさんは嬉しそうに笑う。
でもわたしは笑えない。いや、勝ったのは嬉しいんだけど……結局、わたしは自分が楽しい勝負をしただけなんじゃないか、って。
「……実の所、クリスは最初、なかなか箒に乗れなかったんです」
するとエスメラルダさんは、悪戯っぽい顔でこっそりと耳打ちしてくる。
あのクリスさんが? 正直ちょっと、信じられない。
「勝負にこそ負けたことはありませんが。その頃はさっきのように、よく拗ねていましたね」
「そう、なんですか。意外ですね……」
「でも、箒に乗れるようになった時は、弾ける様な笑顔を見せてくれました。……きっと、出来ないことが出来るようになったのが、嬉しかったのでしょうね」
だから、とエスメラルダさんは続ける。
「今はあの子に、悔しさを思い出させてくれたことが……喜ばしいのです」
「忘れてたーっ!」
ひそひそ話していると、どたどたいう足音と共に、クリスさんが戻って来た。
「訊こうと思ってたんだけどねー。ステラ、って呼んでもいい……?」
「ああっ、クリス!? それ私が先に聞こうとして……」
「あれー、そうだったの……? ごめんね……?」
クリスさんの質問に、エスメラルダさんが慌てる。
いや、別に慌てなくても良いんですけど……名前くらい、好きに呼んでもらって良いですよ、とわたしは答える。
箒さんだって、最初から呼び捨てだもんね。
「で、では、そのように……! 私たちの事も、呼び捨てで構いませんからね」
「えっ。良いんですかそれ」
「良いんです! 同じチームの仲間なのですから、当然です!」
すっぱりばっさりと言い切って、さぁ、とエスメラルダさんはわたしに促す。
「えっと。……エスメラルダ。クリス」
二人の名前を呼んで。なんかちょっと恥ずかしいなぁ、と思いつつ。
そっか、これからこの二人と一緒に戦うんだな、って、改めて思い出す。
王都での連隊レースは、一月後に迫っていた。
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