ダイナディア篇

喋るホウキと地上の少女

 ばぎゃんっ!!


「ぅぁっ……いたた……またやった……」

「ステラー? すごい音したけど、どうしたー?」

「こけただけー! 気にしないで、お父さん!」


 わたしは、部屋の外の父に向けて答える。ヒザや頭がひりひりと痛んだが、こういう痛みにはもう、慣れっこだ。だってわたし、よくこけるし。

「えーと、何してたんだっけな……」

 そう、確か。

 わたしは、お父さんに頼まれて、客室のお掃除をしようとしていた所だった。

 この時期、宿屋はどこも大忙し。空いた部屋があれば、すぐにお客を通したい。

 だから大急ぎで片付けようとかけ込んだら……何かに足をとられて、転んでしまった。

 にしても、確かにすごい音がしたよね。まるで、何かが折れるみたいな……

「……折れ……ああっ、折れてるっ……!?」

 折れていたのは、わたしが持って来た箒だった。

 ばっきり半分に折れたそれは、しかも穂先のしばりヒモが解けてばらばらになってしまってる。

「なんで……そうだ、ドアに箒が引っ掛かって……」

 部屋に入る時、ドアに箒が引っかかって、バランスをくずした。

 バランスをくずしたわたしは、更に箒に足を引っかけて……ずこん。

 箒はきっと、その時に折れたんだ。

「これじゃ掃除出来ない……今すぐには直せないし……」

 買いに行くしか、ないかぁ。


「はぁ。……何やってだろ、わたし……」


 街をとぼとぼと歩きながら、わたしはもう何度目ともしれないため息を吐いた。

 わたしがこういうヘマをするのは、珍しいことじゃない。雑巾を掛けようと思えばバケツをひっくり返すし、シーツを洗ったと思ったら地面に落として汚すし。料理をすれば絶対に何かを焦がす……

 要するに、すっとろいんだ。きっと、生まれつき。

「はぁぁ……あっ、すみません……!」

 だんっ。わたしは道行く人に肩をぶつけてしまい、にらまれる。

 街は多くの人で賑わっていた。

 慣れた様子で商売をするお店の人や、わたしのように街に暮す人。

 そして、街の外からやってきた観光客と……

「そこのお嬢さん。魔法組合に行きたいんだが、何処にあるか知らないかい?」

「えっ。ええと、向こうの道をずっと真っ直ぐ行った、鐘のある建物がそうです。見たらすぐわかると思いますけど、少し、遠いです」

 突然男の人に話しかけられて、わたしは戸惑いながらもどうにか返答する。

「そうかい、ありがとよ」

「あの、もしかして……今度の大会に出る魔法使いさん……ですか?」

 男の人は、黒いローブを羽織って、背中の荷物には、キレイにみがかれた箒を差していた。魔法使いであることは間違いないだろう。

「実はそうなんだ。今年こそ優勝してやろうと思ってね」

 魔法使いは得意げに笑って、それじゃあ、と人ごみの向こうに消えていく。

「凄いなぁ。優勝する、なんて……」

 よほど腕に自信があるんだろう。感心しつつ、けど、本当に優勝なんて出来るんだろうかな、と考える。


 この街では近々、三年に一度の大きな大会が開かれる。


『ダイナディア魔箒レース』


 その名の通り、魔法使いたちによる、箒のレース大会だ。

 魔法使いは各々自分の箒にまたがって、お互いを魔法で牽制しながら、一位を目指しひたすら飛ぶ。

 この街の名物大会で、今街に来ている観光客も、ほとんどがそれ目当て。


「……って、のんびりしてる場合じゃなかった。箒を買わなきゃ……!」

 そう。だからこそわたしは、忙しいんだ。

 箒レースに出るのは魔法使いだけ。わたしはただの宿屋の娘。

 レースのおかげで旅行客の多いこの時期、どんくさいわたしの手だって、お父さんには大切な人手だ。

 急いで箒を買っていこう。そう決めたわたしは、ふっと、路地の間にたたずむ、小さなお店に目をうばわれた。

「あれ、古道具屋さん……? こんなとこにあったかな……」

 覚えがないけど、古道具屋ってことは、箒も売ってるかもしれない。ちょっとのぞいてみよう。

「こんにちはー……」

 店内はうす暗く、人の気配がない。本当に開いてるんだろうか?

 疑問に思いながら店の中を見回すと、確かに、古い道具がいっぱいだ。

 なんだかよく分からない形の壺に、ホコリっぽい鉄なべ。なんとなく色あせたアクセサリーに、正体のよく分からない、動物の置物。

 変なお店だった。こんなところに箒は売ってるんだろうか……

 不安を抱きながら奥に進むと、店のすみっこに、汚れた一本の箒があるのが目についた。


「これ……ちょっと古びてるけど……けっこう良さそう……?」


 手に持ってみる。大きさは、私の身長の三分の二くらいだろうか。汚れてて手触りは分からないけど、しっかりした木を使って合って、見た目より軽い。

「穂先もキレイに揃ってるし……しばりヒモもしっかりしてる……」

「おやおや。その箒が気になるのかい?」

「ひゃぅんっ!?」

 突如として声を掛けられ、わたしは変な声を上げながら飛び上がった。

 ばくばくと心臓を鳴らしながら振り向くと、そこにはお店の人と思しき若い男性が立っていた。……いや、若いかな? おじさんかもしれない。ちょっと年齢の分かりにくい、色白な男の人。

「それ、わりといい感じ品物だろう? 若い職人が作ったものらしいんだけど、色々あってウチに流れてきたんだ」

「へ、へぇ……そうなんですか……」

「まぁでも、ずっと売れ残ってたからね。もし買ってくれるなら、安くしとくよ」

「本当ですか……? それじゃあ、ええと……」

 これくらい? 示した金額を見て、お店の人はふふっと笑う。

「いや、その半分で良いよ」

「えっ。それじゃものスゴく安いですけど……良いんですか……?」

「あぁ。でもその代わり、返品はナシだ。やっぱり要らないなんて言われても、知らないからね」

 うぅん、どうしよう。汚れてるとはいえ、箒自体は悪いものじゃない。新しいモノを買うとなると、この三倍はするだろうし……

「分かりました。それじゃあ買います」

「はい、毎度ありぃ」

 お店の人は朗らかに笑って、わたしの手から箒を受け取る。

 どんくさいわたしではあるけれど、たまには良い事もあるものだ。


 わたしは箒を手に急ぎ帰宅すると、まずは、と雑巾を絞り、箒を磨き始める。


(だって、汚れた道具じゃキレイになるものもならないしね)

 それに……ヘマばっかりするけど、わたしは元々、掃除とか、何かをキレイにすることが好きだった。

「おっ。この箒、思ってたより明るい色なのかな」

 ごしごしと磨いていくと、箒の汚れが少しずつ落ちて、元々の木の色が明らかになっていく。薄い茶色で、木目は真っ直ぐ並行で、節はない。

 それから、箒の柄には小さく刻印が彫られていた。……何かの文字、みたいだけど、わたしの知ってる文字ではない。三角形を変形させたような文字だ。

 若い職人が作ったって言ってたし、その職人さんの印かな?

 こうして磨いていくことで、箒は本当の姿を見せていく。本当の姿になった箒は、掃除道具として活躍してくれる。

 窓や床もそうだ。シーツも、枕も。色んなモノを綺麗にすると、綺麗にしただけそれらは輝く。役に立つ。それがわたしには嬉しかった。

 きっと、自分だけじゃ何も出来なくても……そうやって綺麗にしたものは、色んな事が出来るから。

「……よし! 綺麗になった! それじゃあさっそく……!」

 穂先のホコリも叩いて、わたしはいよいよ、この箒で掃除を開始する。

 どんな掃き心地なんだろうな? なんて思いながら、穂先を床に付けると……


『いや、待て。待て待て待て』


「……? 誰です? お客さん?」

 唐突に、誰かの声がわたしのジャマをした。

 けど、見回したって周りには誰もいない。

 今、お客さんが入ってるのは二つ隣の部屋だけだもんね。この部屋には誰もいないし、隣の部屋の予約は今日の夜だし。

「……気のせいかなぁ?」

 気を取り直して、お掃除だ!

 わたしは改めて箒の穂先を床に付け――


『だから待て! おいキサマ、正気か!? 自分が何をしようとしているのか分かっているのか!?』


「なんですか、さっきから! ご用事なら承りますけど、顔を見せてください!」

『顔もクソもあるか! まず穂先を床から離せ!』

「いいえ。用事がないならわたしは掃除をしますよ」


『掃除ィィ!? おい待てキサマ! 冗談だろう!?

 まさかとは思うが、この箒で……ゴミでも掃こうと言うんじゃないだろうな!?』


「そりゃ掃きますよ。箒ですから」

 おかしなことを言うお客さんだなぁ。それに姿を見せて欲しい。流石に失礼だと思う……。ふぅ、と息を吐いて、わたしは箒を床に付けた。

『ヤメロォッ!! 何という悪辣な冗談だ! それともこれは悪夢かッ!? だとすれば我ながら趣味が悪すぎるッ!!』

「冗談じゃないですって! 箒は掃除をするものです!」

『違うッ! 箒は空を飛ぶモノだ! オレ様は空飛ぶ箒なんだぞ!? 掃除なんぞに使っていい道理がどこにあるって言うのだアホタレ!』

「掃除なんぞとはなんですか、掃除なんぞとは! キレイにしなかったらお客さんは気持ちよく過ごせないんですよっ!」

 お掃除をしないで生き続けられる人なんているんだろうか?

 それくらい、お掃除は大切で重要なものだ。このお客さんはまったく……

 ……うん……? そういえば今、ちょっと変な事を言っていたような……

「……オレ様は空飛ぶ箒? ……あの、どういうことです……?」


『文字通りの意味だ。こそが

 そしてオレ様は史上最速にして最高の魔法の箒。分かったら掃除なんぞという下らない事でこのオレ様を穢そうとなど――』


「えいっ」

 ベッドの下に穂先を潜りこませ、掃いてみた。

『ぐわぁぁぁぁぁぁああっ!? ゴミを掃くなというのに! 性能が落ちる!』

「……うん。確かに箒から聞こえる……気がする……」

 言われてみて始めて気付いたけど、この声、確かに私の手の平あたりから聞こえてくるんだよね。ということは、この声の主が言っている通り、喋ってるのは箒……?

「……え……呪いの道具ってこと……? 返品しなきゃ……」

 ヒドいモノを掴まされた! 良い買い物が出来たと思ったのに、結局これだもん。

 あぁでも、あの店員さん、返品は出来ないって言ってたなぁ……

『返品……だと……!? キサマ、このオレ様を返品するというのか……?』

「だって、わたしが欲しかったのはお掃除に使う箒です。うるさく騒ぐ呪いの箒じゃないです……」

『誰が呪いの箒だ! 魔法の箒! 飛行用!』

「えぇ……でもあそこ、思い返せば呪いの道具とかありそうな雰囲気でしたよ……?」

 特にあの、妙な動物の置物とか。店員さんも怪しかったし……

 わたしがそう言うと、箒は『馬鹿な……』とがく然とした雰囲気で呟く。返品されるのがショックなんだろうか。要らないって言われるようなものだもんね……

「ごめんなさい、箒さん。でも、ほら。ヒトにはそれぞれ生まれもって出来ることと出来ないことがあって……」

 掃除の箒じゃないなら、仕方がないことなんです……

 わたしは箒さんを励まそうとするけれど、上手く言葉が出てこない。

『……えぇい! 今更返品などされてもオレ様が困る! そもそも売り物になどなってやる気は無い! こうなれば……!』

「えっ……? わ、ちょっと、箒さんっ……!?」

 突然、手にした箒が暴れ出した。わたしは必死に箒を抑え込もうとするが、箒は右へ左へ動き回って、制御できない。

「一体どうしたんですか、急に!」

 しかも驚いたことに……わたしの手は、箒から離れないんだ!

 えぇ、どうしたらいいのこれ。わたしは箒に振り回されながら、どたどたと外に連れ出される。

『決まっているだろう! 魔法の箒のやることなど一つ……』

 ぐぐっ。全身が抑えつけられるような感覚がわたしをおそう。

「ちょ、え、まさかっ……!?」

 けれどそれは一瞬の事。すぐにわたしの身体は、ふわっとした浮遊感に包まれて……すとん。気付けばわたしのお尻の下には、箒の柄。

 いや。それよりも。


 地面が。


 遠い。


「えええええぇぇぇええっっ!? 飛んでますけど!?」

『そりゃあ箒だ。飛ぶのが当たり前だろうが! 愚かな!』

「箒は掃除するのが当たり前ですよぉっ! 第一、飛べるのって魔法使いさんだけじゃないんですかっ!?」


 魔法の修行を積んでない人間が箒を使っても、空なんて飛べない。

 魔法使いじゃない人間は、地面を歩くしかない。わたしはそう思ってたし、そう聞いていた。なのに、わたしは。


 空にいる。


『んでもって、ここからがオレ様の本領発揮だ! 行くぞ!』

「行くってどこに!?」

『どこまでも、だッッ!』


 びゅんっ。

 わたしの頬を、強烈な風が過ぎ去る。

 前髪がめくれあがって、身体の熱が冷えていく。

 足元を見た。つま先は地面にない。見えるのは、いつもよりずっと小さく見える、わたしの住んでる街の姿。

(あぁ、違うんだ。風が吹いたんじゃなくて……)

 びゅぉぉぉぉ――!!

 空気を斬る音が耳に響き続ける。風が吹き付けたんじゃなくて。今、わたしが。

「わたしが、風になってるんだ……」

 街の景色は瞬く間に移り変わっていく。わたしがとぼとぼと歩いた道なんて一瞬で過ぎ去って。ちょっと遠いな、なんて思っていた道具屋さんさえ通り過ぎて、なおも箒は、飛んでいく。


「……すっごい……」


 ほんの数秒だ。

 両手で数えられるくらいの時間で、箒は鐘のある魔法組合の建物まで辿り着く。


 全身の毛が、逆立つような感覚。ぞくぞくしている。恐る恐る振り返ると、わたしの家はもう、爪の先くらいの大きさでしか見えない。


 吹き付ける風と、流れていく景色。

 頭の中にまで風が吹き抜けたみたいな、この感覚……

 空を飛ぶのって、こんなに楽しいことだったんだ……!


「箒さん、速いんですね……びっくりしちゃいました……!」

『当然だ。このオレ様が作った箒だぞ? 史上最速であって然るべきだ』

「えぇ……?」

 箒さんはさも当然のように言うけれど、それは言い過ぎじゃないだろうか。確かに速いけど、最速だなんて。

「……でも、はい。スゴかったです。わたし、空を飛ぶなんて始めてで……」

『そうか。楽しかったか?』

「……はい。楽しかったです。ありがとうございます、箒さん」

 自分は一生、地面を歩いて生活するんだと思っていたから。

 空を飛ぶのがこんなに楽しくて、気持ちいいなんて、知らなかった。

「まさかこんな体験が出来るなんて思ってませんでしたから。……それで……」

『それで?』

「……降ろしては、くれないんですか……?」

 箒さんは、空の上をふよふよ浮いているだけで、一向に地面に降りてくれようとはしない。このままだとわたし、戻れないんだけど……?

『あぁ。そうだな。降ろして欲しいよな、普通?』

「あっ、宿に戻ってからなんですね? そうですよね、遠いですもんね……」

『いや。降ろす気は無い』

「……はい?」

 なんかこの箒、とんでもないことを言い出したような……聞き間違いかな……

 けど実際、箒はその場から動かない。浮いてるだけ。上にも下にも行きはしない……

『見た所、もうすぐこの街では箒レースがあるな? 魔法使いどもが多い』

「え、どこから見てるの……? ……じゃなくて。確かにレースはありますけど、それがどうかしたんです……」

『出ろ』

「……すみません、よく分かりません」


『オレ様に乗ってそのレースに出ろ。でなければキサマをここから帰さん』


 ……やっぱりこの箒、呪いの箒なんじゃ……?

 なぜだか冷え込む空の上で、わたしはその横暴に震えるほか無かった……

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