◆最終章-たゆたう波の終わり

*それぞれの未来

 ──仕事を終え、報告のためにカイルの自宅を訪れる。ついでに彼の体調を確認するためでもある。

 ベリルは彼の自宅近くに居を構えていた。

 カイルの体を心配しての事ではあるが、他にオーストラリアのダーウィンにも別宅がある。自分のためだけではなく、カイルのためでもあるのだ。

 昔のように、きままな旅が難しくなったカイルに、それならば身内の家が気楽だろうと購入に踏み切った。

 譲り受けたオレンジレッドのピックアップトラックはオーストラリアに置いてある。

 午前の軽い運動を終えたカイルは、昼食の前に休憩がてら寝転がっていたベッドで報告を受ける。

「よく頑張ったな」

 そんなカイルの労いの言葉に、ベリルは目を眇めた。

「そうでしょうか」

 私は何かをしただろうか。

「人質は救えたんだ。贅沢ぬかすな」

 仕事もしっかり完遂してる。

「しかし、彼らはテロリストでは──」

「罪もない人を大勢殺して、人質とって立てこもったんだろ」

「はい」

 その行為は、決して許されるものではない。けれども、彼ら自身の救いもあって然るべきではないのか。

「報いを受けたかったんだろうさ」

 そういう意味では、お前はあいつらを救ったんだ。

「そうかもしれません。しかし──」

 現実での罰から逃げたともとれます。

「お前、厳しいねえ」

 カルナたちの行為は伝えられる度に一人歩きし、残虐なテロリストとして後生に語り継がれる。彼らは、それもやむなしとベリルに殺される決意をしたのだろう。

「繰り返される事をカルナは恐れた」

 再び捕らえて国に戻されたとしても再度、彼らは解き放たれる。それが解っていても、殺める事を躊躇わずにはいれらなかった。

 カルナの救いが私であった事に、私はどう思えばいいのか。

 顔を伏せたベリルを見やり、カイルはおもむろにその頭にチョップを繰り出した。ベリルは突然の痛みに頭を押さえて眉を寄せ、無言でカイルを見つめる。

「無駄に悩むな」

「無駄ですか」

「お前はあいつらのこと、忘れないだろ」

「はい」

「じゃあ、それで充分だ」

 お前があいつらのために悲しんだなら、それだけであいつらの生きていた証だ。

「誰かが誰かのために涙を流しているなら」

 それだけで、この世は捨てたもんじゃない。

「カイルー! 洗濯物あったら出しといてー!」

「もう全部出した!」

 張り上げた少年の声にカイルも同じく声を張る。

「ラシードはどうです」

「おう。元気すぎて参るぜ」

 彼はいま、十二歳の少年と暮らしている。一年ほど前にベリルが中東で救い出した子どもの一人だ。

 ベリルについていくと聞かないのでカイルに押しつけた。

 傭兵になりたいとすがりつき、ならば師匠の世話をして学べと言ったら即決したので仕方なく連れてきたという訳だ。

 自分のいない所で勝手に決められたカイルは、たまったものではない。

「てめえ、ふざけてんのか」

 少年を連れてきたベリルに、カイルはこれでもかと顔をしかめた。

「至って真面目です」

「嘘つけ」

 お前が真面目なんて死んでも思えねえ。

「よろしくお願いします!」

 強い意気込みにカイルとベリルは少年を見やり、すぐさま二人は顔を見合わせた。

「可愛い弟子の頼みですよ」

「自分で言う奴ほど信用できねえ」

「あの」

 ベリルは不安そうに見上げる少年を一瞥し、

「追い返されそうだぞ」

「そんな!? お願いします! ベリルの師匠なら絶対! 凄い人だから!」

「お前、なに吹き込みやがった」

「カイルは私の素晴らしい師匠だと」

大法螺おおぼら吹きだな」

 なんだかんだと文句を言いつつも、カイルは少年を追い出すこともなく家に住まわせている。こうなることは当然、ベリルは解っていたから連れてきたのだ。

「お前より真面目だぞ」

「嫌味ですか」

「事実だ。昼飯食べていけよ」

「ありがとうございます」

 料理はベリルが教えているため、ラシードは立派に料理上手となった。

 通信教育とベリルが勉強を見ているという事もあり、少年の学力は飛躍的に伸びている。そうして勉強をすればするほど、少年の意識は変化してきていた。

「最近じゃあ、医療に興味があるみたいでな」

 ベリルがカイルのリハビリについて学び直している事も関係があるのかもしれない。

 つきっきりという訳にはいかないためラシードにも理解できる部分を教え、自分がいない間の看護を任せている。

 重い後遺症ではなかったためか、ベリルの適切な指導と正しいリハビリの継続で徐々に身体機能が回復し現在は杖さえあれば大抵のことは問題なくこなしている。

 同時に筋力を衰えさせないためのトレーニングでもあり、カイルらしいと思うと共におかしな事はしないようにと言い聞かせた。それでも、完全回復は望めない。

 ベリルもラシードも、カイルが保護者にはなっているが養子にはなっていない。カイルなりの考えがあってのことだろう。

「手伝ってきます」

「よろしくな」

 寝室をあとにして階段を降りキッチンに向かう。

 ベリルが十八歳で家を出て、在宅を始めたカイルが一人で暮らしていた頃には家中が散らかり放題となり呆れかえった。

 雑な性格をよそに、よくも動きづらい事を言い訳にしてくれたものだと半ば感心すらした。

 今ではそれもなく、几帳面なラシードのおかげで余計な仕事が一つ減ったと安心したものである。

 こなした仕事の報告は必ずしに来いというので訪問はしているけれど、こちらの感情をおもんばかってのことだろう。

 様子を見にくる口実を作ってくれるカイルの気遣いは有り難い。

 ベリルは諸々の事情により、人と深い関わりを持とうとしないため、そうでもなければいつか疎遠になる可能性がある。

 ラシードがそれを許さないであろうから、それほどの不安はないが疎遠になるのは互いに避けたいところだ。

「手伝おう」

「ベリル!」

 笑顔を向けたラシードに笑みを返す。調理中の食材を見回し、怪訝な表情を浮かべた。

「凝っているな」

「今日はベリルが来るって聞いたから」

 奮発しちゃいました。

 快活な黒い目がベリルを見つめる。少年にとって、ベリルはヒーローなのだ。

「あ、そういえば。カイルをなんとかしてください」

 グリーンピース食べられないって言うんですよ!

「昔からだ。諦めろ」

「えー」

 子どもじゃあるまいし!

「では今度、ウスイエンドウを取り寄せよう」

「ウスイエンドウ? それなに?」

「日本で作られているエンドウ豆だよ。グリーンピースより皮が薄く青臭さも少ない」

「へええ。あ、それでね──」

「楽しそうだなおい」

 ラシードの笑い声が下から聞こえて、俺も降りようかなとカイルはちょっと寂しくなった。

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