第21話 セイヤーのスパイたち。

「ボス、タスケテ」


 暗号文を書いた布切れを小鳥の脚に結んで飛ばした瞬間、森の上空をズワッと黒い影が横切り、小鳥の羽だけがふわふわと舞い降りてきた。


 一瞬で魔物に食われた。


 ここは魔王領。魔族と魔物が支配する地、なのだ。


「………」


 もう手持ちの伝書鳥はいない。


 そもそも王城内で勇者たちを監視しているだけだったので、潤沢な連絡道具は持参していなかった。


 彼の名前はデル・ジ・ベット。暗部の腕利き諜報員だ。


 勇者が召喚されてから、彼に気取られることなく常に監視を続けている。


 まさかそれがあだとなって、転移に巻き込まれてしまうとは。


 勇者や王女たちに気取られることなく、必死に追跡監視を続けるデルは、元々帝国出身ではない。


 南の大国「アップレチ王国」の密偵として帝国に忍び込んだところをデッドエンド氏に捕らえられ、命を助ける代わりに二重スパイとして飼われるようになったのだ。


 その後、実力と帝国への忠誠心を認められ、勇者の監視という大役を仰せつかった変わり種である。


『やべぇ、どうしようこれ』


 勇者たちは敵将を戦わずして従え、悠々と敵の砦に入っていった。


 どんなに優秀な間者でも、砦に潜入するのは容易ではない。


 だが、行かなければ。


 潜入などという大袈裟なことをする必要はない。投降すればいい。


 そう、これは仕事のためではない………魔物がうようよしているこんな森のなかにいたら死ぬ。自分のためにも投降しなくては死ぬ!


『よし、投降しよう。勇者と姫には正直に警備のための間者だってことを言おう。あの勇者は人の心とか読んじゃうから嘘はつけないし』


 茂みに隠れ、そっと目元を出して砦の様子をうかがう。


 屈強そうな男ダークエルフの衛兵があちこちにうろうろしている。


 近寄っただけで弓矢が雨のごとく降り注いできそうな、そんな隙間が砦のあちこちにある。


 デルは諜報としては優秀だが、戦闘員ではない。


 そもそも表に出ることは苦手なのだ。


 ひっそりと息を殺し様子をうかがい、必要とあればエーヴァ王女の入浴からトイレ、寝室での寝姿、寝返りを打った時にこぼれ出る巨乳まで、絶対にバレないように確実によく見えるポイントからしっかり見守ってきた。


 エカテリーナは監視対象外だが、なにか持ち込んでいないかチェックするために、床下からスカートの中もちゃんと確認した。容疑は白だったが、下着は黒だった。


『あぁ、ただの覗き屋がどうして魔王領なんかに。困ったなぁ』


「お困りのようですね」


 突然後ろから声をかけられ、デルは心臓が止まるかと思ったくらいに驚いた。


 そこにいたのは女。それも魔族ではなく、人間だ。


 その格好は侍女服で、ディレの王城に務める侍女が着ているものだ。


 しかし、違う。侍女ではない。


 足音を消し、存在を消し、服の擦れ合う音すら殺し、空気も動かさずに近寄ってきたこの女が侍女であるはずがない。


「なんだ貴様」


 デルは一瞬で同業者であると看破し、手元の小刀を抜いた。


「あなたと同じ、間者スパイです。ただし、私は現役でアップレチ王国の、ですが」


「なに………」


「あなたも元王国の間者だったでしょ? 私はあなたの後継としてディレの王城に潜み、勇者の動向を監視する役目になったんですよ。ああ、そうそう。普段はナンバガと言う名で働いています」


「なっ………」


 ナンバガは知っている。むしろデルが知らない侍女はいない。どんな侍女のスカートの中も覗き見ていたので、足の太さから尻の形まで、すべて記憶している。だが、デルが知るナンバガは、太った熟女だ。今、目の前にいる細身の若い女ではない。


「私は変装が得意なんですよ」


 ふふ、と笑うナンバガは、まだあどけない少女のように見える。


「お前は商業ギルドのコルニーリーの………」


「あれとは別口です。あれは帝国の商業活動を停滞させるのが目的の諜報員でしたが、逆に帝国は帝都を自由貿易都市として解放し、目覚ましい発展を遂げましたよね。きっと彼はクビです」


「………やつは確か家族を人質にとられていると」


「そうです。知っての通り、王国の間者は全員大事なものを人質にされています」


「そう。人質がいる。なのに、君は僕の前に出てきた。どういう意図がある? 僕を殺せると思ったのか?」


「まさか」


 ナンバガは苦笑して、何も持っていない手をブラブラさせた。


「地下牢のドア付近で聞き耳立てていたんです。そうしたら私まで一緒に転送させられるとは。もちろん武器は一つも身に付けていませんでした。なのに転送された先は魔王領で、周りは魔物ばかり。正直、生きて戻れる自信がありません────そこで共闘を願い出たいのです」


「今の僕は帝国の人間だ。故郷とは言え、敵国の間者と手を組めと?」


「生きて戻れて、国で生かしてもらえるのなら、私は王国を捨てて帝国の犬になりましょう」


「そう簡単に寝返りを許し………いや、この国は許しそうだな。僕がそうだったわけだし………いやいや、まて。王国には君の人質がいるんだろう? どうするんだ?」


「あなたはどうしたんです?」


「質問を質問で返すなよ………僕は孤児だから失うものはなにもなかった。食っていくために、ガキの頃から仕込まれ続けた仕事に就いてるってだけだ」


「残念です。覚えていないんですね。いえ、わからなくて当然なんですよ。私も成長しましたし」


「?」


「私、あなたと一緒に王国の養成機関に所属していました。あなたと同じ時期に」


「!?」


「覚えてませんか────ソフト・バーレイです」


「え………ええええ!? あのソフちゃんか!?」


 まだ10歳にも満たない年齢で、両親を失い諜報員養成施設に入れられた少女、ソフト・バーレイ。


 当事デルは15歳くらいで、よくその少女の面倒を見ていた。


「まさか任地で会えるとは思っていませんでしたが、立場上、声をかけることも出来ず………」


 ナンバガ、いや、ソフト・バーレイは潤んだ瞳でデル・ジ・ベットを見ている。


 が、デルも諜報員だ。懐かしい名前を聞いて少し動揺はしたが、女の表情に惑わされたりはしない。


「ずっと名乗りたかった!」


 デルは、ソフト・バーレイに抱きつかれるのを避けることもせず、そのままギュウウウと抱きしめられた。


 これは、諜報員失格だ。


 女が後ろ手に何を持っているのかもわからないというのに、簡単に抱きつかせるなど愚の骨頂だ。


「お兄ちゃん、会いたかった!」


 愚かでもいい。


「久しぶりだね、ソフちゃん」


 デルは彼女を抱き返した。


 もう立派な大人の女の肉付きと骨格になっている。僅かな食料を分け与えていた養成所時代が懐かしい。


「感動の再会だな」


 感動の再会に冷水をぶっかけるように、セイヤーは抱き合う二人の真横で腕組みし、薄笑みを浮かべていた。

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