第10話 セイヤーは怖い。

 普段淡々としている者、飄々としている者ほど、キレたら怖い。


 これはどんな世界でも共通し、異世界でも通用する常識である。


 怖い理由は「導火線が短い」と言い換えても良い。


 普通の人なら怒り出してもキレるまでに時間がかかるので、案外キレずに終わったりする。


 だが、この怖い人々は、怒り出してからキレるまでの時間が短い。下手をすると一瞬で怒りからキレるところまで行くことがあるのだ。


 なかなか火がつかないだけで、火が付いた瞬間爆発するような、実に危険な爆弾。


 それがキレる者だ。






 エーヴァ王女の侍女であるエカテリーナが、病気の家族を養うために間者に勇者の情報を流した。これは本来死刑に値する一大事だったが、セイヤーとエーヴァ王女の中だけで収められた。


 だが、当の本人には注意する必要がある。


 と、同時に病気の家族を、セイヤーの魔法でチョチョイのチョイと治癒させることも兼ねて、お忍びでエカテリーナの自宅に行くことにした。


 いつも着ている「抑圧されたおっぱい」のドレスではなく、庶民風の服に着替えたエーヴァ王女。その後ろには同じく庶民風の服を着てはいるが腰に剣を刺した近衛兵達。さらに侍女が数人、これも庶民風の恰好でついてくる。


 さらに勇者であるセイヤーを守るためにも何人も騎士がいて、身の回りの世話をする執事と侍女が数人………お忍びなのに大所帯だ。


「さすがにどうかと思うのだが」


「そ、そうですね」


 ぞろぞろと歩いていると、誰もが道を避けていく。


 やっとエカテリーナの自宅に着いたが、後続の騎士達は家を囲むように均等に配備され、緊張感は全く取れていない。


「………とにかく見舞いだな」


「そうですね」


 セイヤーはこの世界の、いや、この国の、いやいや、そもそも他所の家にお邪魔したことがないので礼儀作法がわからない。なので身分違いも甚だしいが、王女が先に歩き、エカテリーナの家の扉をノックした。


 エカテリーナは今日非番だということは調べてあるし、家の中に家族が揃っていることも魔法で確認済みだ。


「はーい」


 元気な声がして侍女のエカテリーナが扉を開け────マネキンチャレンジでもしているかのように完全に硬直した。


 エーヴァ王女のような爆乳美女ではないが、こちらもまたハリウッドで映画やドラマに出ている超高級セレブですと言われたら納得できそうな美女で、王女より背が高い。


切れ長の眼差しはエーヴァより女の色気を感じさせる。


だが、今はマネキンだ。


「エカテリーナ?」


 エーヴァ王女が目の前で手を振ると、ズササササっと地面に転がり出て、泥だらけになりながらも頭を泥に擦り付け、深く深く地面に埋まるほど低頭した。


「すごい」


 これほどの土下座は見たことがなかったので、セイヤーは感心してしまった。


「お、お、王女様が、こ、こんなみすぼらしい家に。な、なんという幸せでございましょうか!」


「頭を上げなさいエカテリーナ。家の中でお話をしましょう?」


「このようなボロ屋に王女様を………あぁ、私はなんという罪深いことを」


「確かに罪深いな」


 ぽろりとセイヤーがこぼす。勇者情報を売ったことについて言ったのだ。


 が、エカテリーナは今までの恍惚とした顔から一変して「あ?」と睨みつけてきた。その豹変っぷりにセイヤーはともかくエーヴァ王女も驚いた。


「他所の世界から来た冴えないおっさんが、王女様と対等の立場だと勘違いして物を言わないでいただきたい」


 エカテリーナは殺意を含んだ目でセイヤーを見ている。


「な、なんて事を言うのですかエカテリーナ!」


 エーヴァ王女が慌てる。


 セイヤーが怒ればこの帝都の全人口が一瞬にして沸騰して肉のスープにされてもおかしくないのだ。


 だが、セイヤーは「まぁまぁ」と王女を抑えた。


『今この子の心を覗き見たが、あなたに心の底から従い、お世話することこそ幸せだと思っている狂信者のようだ』


『え、そんな子だったのかしら。ちょっと怖いんですが』


『そうだな、怖いな。たまに、あなたが使った後の風呂の水を飲んでいるし、あなたの、その、下着をだな………』


『解雇しましょう』


『まぁ、あとで、な』


「ちょっとおおおおおおお!! 王女様に馴れ馴れしく耳打ちするなんて、許されないわよ、おっさん!!!」


「やめなさい。あなたは私の侍女で、こちらは私がお呼びした勇者様です。立場をわきまえるのはあなたですよ、エカテリーナ」


 さすがにエーヴァ王女が強めに言うと、エカテリーナはしょぼんと項垂れた。


「セイヤー様、さっさと目的を果たして戻りましょう」


「あぁ。もうこの家全体に治癒魔法を掛けたから、病気の家族は完治してるぞ」


 ボロ小屋がまるで建てたばかりの新品同様になっていることに気がついて、エカテリーナは呆気にとられた。


「な、なぜ………王女様、これは!?」


 エーヴァ王女はさも自分がやったかのように「ふふん」とドヤ顔をしたが、急に水戸黄門か大岡越前か遠山の金さんのようなお裁きが始まった。


「ちょっと周りに聞こえないように小声で言いますが、あなたが勇者様の情報を商業ギルドのコルニーリーに売ったことは判明しています」


「!?」


「………王女、それは玄関先で話すことでもないのではないか?」


 非常識がおっさんを着て歩いている、と言っても過言ではないセイヤーが常識を説くくらい、王女は(小声ではあるが)ピリピリしていた。


 どういう状況であれ、王女が下々の者に対して「怒る」所業を見せたら、怒られた方はもうアウトだ。仲間内から除け者にされて、いずれは職を失う────だから王侯貴族は滅多なことでは怒らない。自分の軽はずみな対応で人一人の人生が揺らぐからだ。


 なのにエーヴァ王女は、近衛兵たちがこの周りにいるというのに、叱るような口調と態度でエカテリーナに接した。もう問答無用で解雇するつもりなのだろう。


「エカテリーナ。あなたは死刑でも生温い大罪を犯しているのですよ。しかし、止むに止まれぬ事情があったこともわかっています。だから勇者様は尊いお慈悲の心であなたのご家族の病を治しにいらしたのです。それなのに、なんですかその態度は」


「………」


 エカテリーナは玄関先の泥土の上に、ぺたりとしゃがみこんだ。この世の終わり、みたいな顔をしている。


「私は正直に言えばあなたを死刑にすべきだと思っています。私の入浴後の風呂のお湯を飲んだりする変態侍女なんて置いておけませんし!」


「な、なぜそれをご存知で!」


「とにかく勇者様が『そこまでする必要はない』と温情ある判断をされたから、あなたは生きていられるのです。つまりは勇者セイヤー様に一生頭が上がらないほどの恩義を受けているのです。理解しましたか?」


「そ、そんな………いえ、そうですね。死刑にならないだけマシです。てか、なんでお風呂のことまでバレたし………」


「とにかく、勇者様への態度を改めなさい」


「温情いただきありがとうございました王女様! これからはこの命にかけて、誠心誠意王女様に尽くしてまいります!」


「いや、私ではなく勇者様に」


「私は王女様のためであればこの身、この生命、捨てても構いません! しかし、このおっさんのためにそんなことをするのは嫌です!」


「え?」


 エーヴァ王女は眉を寄せた。


「私は王女様をお慕い申し上げております! おねぇさまと呼ばせていただきたいほどに!」


 見た目で言えばエーヴァよりエカテリーナのほうが背も高くて姉っぽい。


『これが世に言う同性愛というものか』


 最近こそ地球では認められつつあるが、未だに同性愛は「自然の摂理に合っていない」などの理由で迫害を受けている。


 それが、この異世界ではどういう扱いなのか………興味深そうにセイヤーはその様子を観察していたが、静寂は長く続かなかった。


「いい加減にしろよ、クソアマぁ………」


 目の座ったエーヴァ王女の低い声に、エカテリーナばかりか、セイヤーも「ギョッ!」とした。


「さっきから言葉通じねぇのかテメェは。テメェにできることは勇者様の靴底を舐めて泣きながら股を開いて全身全霊で奉仕して許しを請うことだけだボケが。いいか? 理解できねぇのなら頭に穴空けて脳味噌に直接話しかけるぞ、コラ」


 無茶苦茶なことを言い出した王女から放たれる気迫は、セイヤーに「なんで今まで王女の精神を覗かなかったんだろう」と後悔させた。


 ディレ帝国第二王女にして継承権を持つ女、エヴゲニーヤ。通称エーヴァ。


 なかなか火はつかないが、導火線が短く、怒るとキレやすい。


 そしてキレると、セイヤーが怖がって魔法を使うことすら忘れるほど、恐ろしい女だった。

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