合わせ鏡〈前篇〉

 修学旅行もいよいよ最終日を迎えようとしている。日付が変わるまで、あと数時間を残すばかりだ。

 

 昨日は旅行の疲れがあったし、なんとなく非日常的な感覚にも慣れてきた頃だった。私たちはすぐに寝入ってしまったのだ。けれど、今夜は最後の夜。誰もがこのまま眠ってしまうのは惜しいと考えていた。


「三組のヨシノってさぁ――」


 とはいえ、ボキャブラリーが枯渇している。一日目の夜と同じような恋バナや悪口がだらだら続いて、どことなく退屈な雰囲気が流れていた。片手間に続けていたババ抜きも、あまりやる気がない。ババを持っていようと、持っていまいと、みんなポーカーフェイスだ。


「……もういいや」

「……」


 ついに私がそう洩らすと、三人は微妙な表情で目配せした。寝たくないという思いは誰しも一致しているけれど、「どうする?」の視線に対して、誰も答えをだせないようだった。


 複雑な沈黙が流れるまま、みんななんとなくトランプを片し始める。ミカの手札からババがでてきても、誰もなにも言わなかった。


 そこへ見回りがやって来て、消灯を促された。私はなんとなく反抗したくなったけれど、それもすぐ億劫になった。どうせ意味のないことだからだ。


 先生は無理やり明かりを消して去っていった。旅行はもう終わりなのだと、しみじみ思った。寂しかった。


 ところが、布団の交わった中央に、突如、眩い光が灯る。


「ワッ! なに?」


 臆病なカナが真っ先に声をあげた。


 懐中電灯の光の中には、はっきりと陰影を刻んだナナコの顔が浮かび上がっていた。西欧人のように彫りの深い顔立ちは、普段なら美人に映るけれど、この時ばかりは不気味だった。


「もう、ビックリさせんな!」


 ミカがナナコの肩をばんばんと叩いた。けれど、そこに非難の響きはない。すっかり眠るつもりでいた少女たちは、むしろ、ナナコの悪戯を心底楽しんで迎えた。


「女子が真夜中に集まって話すことと言ったら?」

「恋バナ」

「それはもういいっつーの」


 ナナコの鋭いツッコミに、私とカナの小さな笑いが続く。


「こんな夜中に話すことって言ったら怪談っしょ?」

「女子関係なくない?」

「まあ、いいじゃん。細かいことは」


 ばつの悪い表情を浮かべ、ナナコが懐中電灯をスマホのライトに切り替える。持ち物検査の際、生理用品の中に隠しておいたものだった。


「なんかいいネタあるの?」


 怖がりのくせにカナは興味津々だ。


「いやぁ……実はないんだよね」

「「エー……」」


 一斉にブーイングがあがる。ナナコは肩をすくめて「でもでも!」と、抗議の姿勢をとった。


「では、聞きましょう。納得のいく説明をお願いしますよ」


 私が芝居がかった口調で促すと、ナナコが布団の中でもぞもぞし始めた。ミカが「漏らしたかー?」と煽り立てると「ギリギリ大丈夫」の返事がある。そんなくだらないやり取りに、ケタケタと笑い声があがった。


「これよ、これ」


 やがて明かりの中に滑りだされたのは、折り畳み式のメイクミラーだった。

 もちろん、ナナコ以外だれも意図を理解できず小首をかしげた。


 ナナコが得意げに笑んだ。


「みんなも持ってるっしょ、鏡? それで合わせ鏡しようよ」

「合わせ鏡?」

「ミカ、知らないの?」

「え、うん。みんな知ってんの?」


 一同一斉に頷く。


「え、そんなに有名なの?」

「まあね。真夜中だとね」


 私は含みのある言い方で答えた。


「有名だよ。夜中十二時ぴったりに合わせ鏡をすると、よくないんだって。鏡の中に知らない人が映りこむとか、未来の自分の死に顔が見えるとか。守護霊と話せるみたいなポジティブな噂もあるけど」


「え、マジで? カナめっちゃ詳しいじゃん」


「四枚の鏡でやるとって噂もある。でも、それは蝋燭ないといけないし、なんか色々手順があるみたい。しかも超ヤバいんだって」


「あばうとー」


 ケタケタと姦しい笑い声。


「とにかく、やるなら二枚のやつだね」

「いや、でもさ、十二時まであとどんだけあんのよ?」

「まだ二時間くらいあるね」

「なげー。十二時じゃないとダメなの?」

「ぽいよ。霊道がどうとかで」

「なにそれ、カッコい。男子好きそう。てか、マジでカナ詳しすぎでしょ」


 ひょんなことから、会話のエンジンが息を吹き返した。くだらない話題が二、三と次々にとびだし、そのたびに明るい笑い声があがった。


 あまりにうるさいので、先生が注意しにやってきた。ナナコは大慌てでスマホを腹の下に押しこみ、他は寝たフリをした。


 こうなると先生はなにも言えない。苛立った雰囲気だけを残して、しぶしぶ明かりを閉じた。


 途端にみんな笑い始めた。


 そんなことを繰り返すうち、時間は矢のごとく過ぎていった。


 そして深夜がやってくる。


「さあ、いよいよだよ諸君」


 ナナコがメイクミラーを立てかけて言った。

 その対面にミカがコンパクトミラーを拡げた。


 その様を見守っていたカナが息を呑んだ。

 私はクスクスと笑った。


 修学旅行中、ろくに使わなかった腕時計を、みんなで必死に覗きこんだ。針がチッチと進んでいき、ナナコのカウントダウンが始まる。


 五秒を切ると、全員がその声を重ねた。


「「「……ヨン、サン、ニィ、イチ」」」


 そして私たちは、合わせ鏡を覗きこんだ。

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