特急なすの

@stdnt

第1話

(本作品は平成二十八年九月現在の実際の時刻表を利用して書かれています。)

 

平成二十八年九月二十四日、午後十五時五分 JR佐野駅

 

台風十六号が関東地方に接近し、風雨とともに初秋の気配を持ってやってきた。台風一過のJR佐野駅上空には、さわやかな秋空が広がっていた。

佐野駅のプラットホームでは、一人の男がベンチに座り缶コーヒーを飲んでいた。佐野からほど近く、館林に不動産を営む成田浩三である。成田はそこで、ある男と少し話し、別れたばかりであった。そして、電車を待つまでの五分間にて、その命に終止符が打たれたのである。死因は青酸カリによる中毒死であった。鑑識の結果まもなく、青酸カリの出どころは缶コーヒーであることが判明した。缶コーヒーを手渡したのは、直前に会っていた男のようであった。かくして事件発生より、一時間と十五分、栃木県警は佐野駅周辺四十㎞の幹線道路に、非常線を張ったのである。


平成二十八年十月四日 午前十一時三十分


 事件から十日、栃木県警の張った非常線には、成果が見られなかったものの、全く別のルートから容疑者が浮上してきた。名前は駒田克彦。ガイシャである成田に多額の借金をし、ここ数年、成田とのトラブルが絶えなかった男である。県警では、この男を第一の容疑者として捜査を進めることになった。・・・なったのだが、・・・当日、本人は仙台―新宿間の高速バスに乗車していたという事実が判明していた。ガイシャが死亡したまさにその時間、容疑者にはバスの中にいたという鉄壁のアリバイがあったのだ。


 駒田のアリバイについては、詳細に確認作業が行われた。十時五十分に仙台発であった高速バスについては、運転手や二十数名の乗客から駒田の目撃証言を得ている。さらにその裏付けとして、仙台バスターミナルの監視カメラにはバスに乗車する駒田の姿も確認されていた。また、終着の新宿バスターミナルでも同様であった。十六時三十分、新宿にてバスを下車する駒田の目撃証言と監視カメラのデータに間違いはなかったのだ。


 どこかで一度、途中下車をした可能性はないだろうか。捜査はさらに深く進む。高速バスの運行予定は細かく確認が取られた。仙台を出て、二時間、十二時五十分には、福島県、安達太良SAでバスは一度トイレ休憩を取っている。休憩時間は二十分。十三時十分に休憩を終えるとさらに二時間、東北道を南下、二回目のSAにて休憩の事実が確認された。二回目のSAの場所を確認した捜査員たちは息をのんだ。そこは「佐野」SAだったのだ。


 しかしここで捜査は暗礁に乗り上げてしまう。バスの佐野SA到着は安達太良より二時間、十五時十分であった。ガイシャが殺害されたのは十五時五分あたりである。バスは殺害と同時、もしくはそれよりも少しあとに、佐野に到着したことになるのだった。


 当然ながら、佐野SAとJR佐野駅の距離も確認された。距離は十㎞。トイレ休憩の二十分間にSAと駅の往復をし、かつ殺人を犯すにはどう考えても不可能な距離である。捜査員たちは地団駄を踏んだ。容疑者は現場のすぐ近くにいたのだ。だがその「近さ」には無限にも値する時間の壁が立ちふさがっていた。


平成三十年三月一日 午前九時十分


 時間の壁を解決できないまま、捜査班にはもうひとつの時間の壁が築かれることとなった。捜査班の撤退と捜査の打ち切りである。事件自体が風化しつつあった。目撃証言をつのるポスターが全国の警察署に掲示され、かろうじて事件があったことを示している。平成三十年三月一日、本事件は事実上のお宮入りとなった。したがって、捜査記録から抜粋した本小説もこれでおしまいである。まことに残念な結末となった。



< あとがきにかえて > 


平成二十八年九月二十四日、午後十二時四十五分


 予定よりちょうど五分早く、高速バスが安達太良SAに到着した。高速バスの運行が予定より早くなることはよくあることで、計算済みであったが、思ったほどではなかった。ほぼ定刻どおりと考えてよいだろう。到着するとすぐに、バスを降りる。バスの座席はあらかじめ先頭を予約しておいた。さらに、両サイドの座席は別名義で予約、キャンセルしてある。休憩後にバスに戻らなかったことを、他の乗客に知られないためだ。座席にはリュックと義手を固定し、ブランケットをかぶせてきた。発車時の人数確認に堪えうることができれば十分である。

 バスを降りると一目散に一般道へのゲートを通過する。残された猶予は定刻通りならば二分の計算だ。一二〇秒しかない。あらかじめ用意しておいた折り畳み自転車で四〇〇m先の東北本線本宮駅を目指す。

 

平成二十八年九月二十四日、午後十二時四十九分


駅舎が見えてきたときには、息があがりそうであった。しかし、まにあったのだ。素早く自転車を折り畳み、改札をくぐる。在来線普通「郡山行き」はすでに入線していた。駆け込むと同時に扉はしまり、定刻の十二時五十二分、本宮駅を発車した。


平成二十八年九月二十四日、午後十三時七分


本宮駅を発車した普通列車は、定刻の十三時七分、終着駅に到着した。折り畳み自転車を抱え、悠々と階段を登る。但し、監視カメラはだめだ。なるべくうつむき加減で次の「特急なすの276号」を待つ。


平成二十八年九月二十四日、午後十四時三十四分


小山駅での乗り換えも時間との勝負であった。今回の計画の一番厳しい局面である。十四時三十一分10番線に降り立つとすぐに階段を登り、8番線へ。折り畳み自転車の重量がきつい。なんとか在来線普通「高崎行き」の車中の人となる。十四時三十四分、発車。「特急なすの276号」は、約一時間、その快速を活かして小山駅に殺意をつないでくれたのだった。


平成二十八年九月二十四日、午後十五時一分


在来線普通「高崎行き」は、佐野駅前に到着。プラットホームのベンチには、すでに成田の姿が見えていた。おそらくかなり前から待っていたのだろう。約束は十五時の予定だったはずだ。呼び出す口実は、借金の延滞ではなく、返済のめどが立ったというものにして正解だった。よい知らせの方が、待ちきれなくなるのは誰もが同じであった。


平成二十八年九月二十四日、午後十五時二分


 折りたたみ自転車はホームの目立たない場所に置き、成田に近づく。他の乗客たちはまばらであったが、折り畳み自転車は結構目立つ。その印象をなるべく与えたくないのだ。これまでの電車中でもできる限り離れて座っていた。成田とは簡単に話を済ませて別れた。予定が詰まっているというのが言い訳だ。いつもの口座に全額返済の旨を伝え、金輪際、関係を持たないことを誓った。こちらとしては別の意味での離別の挨拶であったが、一方で、それはできるだけ時間がたってからになってほしいという希望的観測もあった。結果として手渡した缶コーヒーが開けられるのはその五分後であるから、希望はかなわなかったことになる。だが、嫌疑がかかることは覚悟していた。いずれにしても、アリバイにほつれが生じるというものではない。


平成二十八年九月二十四日、午後十五時二十五分


 息せき切ってペダルを踏み込んだ。最後の難関、佐野SAの上り坂である。公共交通機関はなるべく使いたくないのだ。しかし、折り畳み自転車の苦行もこれで最後。恐れていた高速バスの運行の早まりはなく、安達太良で下車した車体が見えていた。佐野駅より二.五㎞。二〇分で何とかバスにたどり着くことに成功した。自転車は放置する。乗車すぐに義手をリュックへ。緊張の一瞬であった。


平成二十八年九月二十四日、午後十六時三十分


 高速バスが新宿のバスターミナルに吸い込まれてゆく。まるで私の罪も罪悪感も、都会の闇に吸い込まれ、消えていくようだ。バスを降りたらいつも通りの日常が待っている。但し借金なしのだ。明るい未来だけを考えることにして、過去はこの都会においてゆこう。

郡山駅とは違い、今度はあえて監視カメラに顔を向ける。始発の仙台でしたことと同じである。最後の工作を終えて、駒田は新宿の夕闇に消えていった。


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