003. 楽園
楽園などこの世に存在しないと知っていた。何とかっていう昔話じゃ、一番最初の人間がもう楽園を追われたんだろう? 生まれただけで罪深い。そんな感じの話だって聞いた。わかる。人間はだいたいバカだし頭よくても邪悪だったらやっぱり罪深いことするからな。
わかるよ。楽園なんてない。
ここは楽園じゃない。
ここは。
「死んだら楽園に行くっていうのは結局、死んだら何も感じず何も考えなくなって無になってそれが生きてる今よりはマシってことなんだろ、つまりはさ、」
生きてる状態が罰みたいなもんなんでしょ。
おれがそう言うと、電話口の向こうで相手は黙った。だから続けた。
「言葉遊びで言ってんじゃねえんだよ、こっちはマジで生きてるだけで罰ゲームみてーな人生だよ。それってさ、生まれたからだろ。どっか別のとこじゃなくあんたのとこに生まれちまったからだろ? 生まれる前はこんな人生よりはましだったんだ、何もなくておれは存在しなかったんだから。それをあんたが産んだ。てめえの都合で、おれを無の楽園からこの人生に追い出したんだ」
生まれてきたくなかった。
必要もないのになぜ産んだ。
電話口の向こうの相手は、往生際悪くもごちゃごちゃと何かまた喋っている。相変わらず話の順序立ての悪いやつ。この散らかった喋り方のおかげで幼い頃のおれは随分と難儀した。何で言われた通りにしないのと怒られても、話があっちこっち飛びすぎの指事語無さすぎで最初から命令内容が分からないのだ。結局、こいつはおれにとって、常にわあわあいって責めてくるだけの邪魔な自称保護者だった。
「てか、あんた他の信者のひとと会話成立してんの? よくそれで話通じると思えるよな、おれ千回は聞かされてるからなんとなく学習したけど、初対面でこれはキツいわ。完全にヤバい人に絡まれた以外の何ものでもないわ。そりゃ勧誘成功しねえよ、あんた喋る才能ゼロだもん」
また黙る。黙るだけ昔よりはましなのか。以前は食い気味に強く言い返してきたものだ。ああ、これが老化というものなのかなあ。いつか死んでくれるのかなあ。死なないまでも喋らないようになってほしい。と思った瞬間、遅れて捲し立てられた。
喋る才能ってなによあたしはオヤガミさまと世界のために一生懸命やる役目があんのよあんたに何が分かんの人の話も聞かないであんたは昔からそうあたしの話聞いたことないだからいつまでたっても出世しないし変な女につかまるんでしょオヤガミさまの教えを受けてたらそんなことにはなんなかったのに何度も何度もあたしあんたのためにお話会に連れてってやったでしょ何聞いてたのあたしがこんなに頑張ってるのになんにも分かってないいつになったら気がつくのほんとにバカな息子で恥ずかしい!
ああおれもこんなバカな生き物が母親でめんどくさい。
通話を切った。5秒後にはまた掛かってきた。心底めんどくさい。
おれはため息をつきながら着信の操作をする。窓の外には白のセットアップを着たざんばら髪の女がガラケー片手にまなじりを吊り上げて何か喚き始めるのが見える。ブラインドと日光の反射で、向こうからこちらは見えていない。
性懲りもなく楽園がどうこう言い始めた相手におれはゆっくりと告げた。
「そんな楽園どこにもねえよ。ヨタ話で人様の金とれると思うな、生ゴミが」
それ以上の返答はなかった。ただ何か受話器の遠くでわあわあ言うのがかすかに聞こえたし、光景としてはガタイのいい男二人に女が取り押さえられていた。
もう任意同行とかじゃねえのよ。逮捕状よ。アホが。
隣の席から、ご協力ありがとうございます、という声が聞こえる。おれは曖昧に頷くと、窓の外で連行されていく女の灰色のざんばら髪をぼんやり見ながら呟いた。
「楽園なんて、ねえんだよ」
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