【女郎屋幸咲屋の禿美代―其ノ參―上】

 女郎若しと見世を彩り町を飾る。

 命短し。恋をせさあり華なれば。

 偽りの恋と、きはより知るも。

 求めずにいられざる愛しきときよ。

 嗚呼、此度こたびの出逢ひは奇たよりなれど。

 嗚呼、ぞ此の心を震はせむ。

 何時か去りゆく貴方と知りたれど。

 何ぞ愛しく思ひぬや。

 そは我が女郎なればならむや。

 それとも、本気に貴方を想っていればならむやーー。


「桔梗のあねさんは、どうして女郎屋に来なすったんですか? 女将さんから聞きました。『桔梗は、自分から見世に身を沈めたんだよ』って。でも、私は女郎屋の生まれだから、外で産まれた女の人が自分から見世に来るっていうのがよく分からなくて。それに、姐さんはとっても美人です。私なんかが言うのは失礼ですけれど、品もこの上無いですし。女郎になんかならなくったって、立派な身分の旦那様にめとっていただけたんじゃないでしょうか」

「……そうさねぇ。お美代ちゃんはまだ分からないかもしれないけれどねぇ。女郎屋で生きるっていうのは、存外悪いものではないと思うんだよ。特にあたしみたいなもんはね」


 桔梗の姐さんはとても綺麗な女性だ。

 花魁に成るような人は大概綺麗な人なのだけれど、姐さん程整った面構えの人は珍しいと思う。

 目は切れ長で、心を射抜く様な眼差しは女の私でもどきりとしてしまう。

 頬はうっすらと上気して肌の張りを静かに主張している。まるで赤子の柔肌のよう。

 鼻筋もつぅっと下りて高過ぎず、かと言って低くなく、丁度良く、品が良い。

 口に引いた紅が姐さんの吐息でじっとりと濡れている。どうして唇一つでこんなにあでやかなのだろう。

 黒髪は艶々つやつやしていて、しっとりした色香が有る。束ね上げた髪の下にすらっと見えるうなじは、姐さんの色めかしさと相まって一層艶姿を際立てている。

 どうしてこんな容貌美きりょうよしが自ら女郎に? と思う反面、こんな美人の姐さんだからこそ女郎に成ることを選んだのではないかと思う。

「それに、あたしはお美代ちゃんが思うような品の良い女ではないのだけれどね。人より恵まれた容姿で産まれたのは……まあ、運が良かったと思わないでもないけれど。でも、それも全部良いことかと言うとそうでもないんだよ。……何のかのと言っても、あたしはただ、気付いたらこの大見世通りに流れて、先代の大女将に拾われたってだけでさ。見世に来る前。そう、来る前ーー」


***


 あたしは、此処から遠く西にある国からやって来た。

 ほら、顔立ちが此方こっちの者と少し違うだろう? 元々この辺りの者じゃないのさ。

 あたしは、遠い国からやって来た。

 連れ合いの男と二人で。逃げて来たんだ。

 とある事情で国を追われて此処に辿り着いた。

 他人がどう思ってたかなんて知らないけれど、色々上手くいかなくなってしくじって、どうしようもこうしようもなくなって、やっとの思いで逃げて来た。ってのが一番しっくりくるね。


 あたしとそいつは、幼馴染みだった。

 生まれた村で、家が近くってね。

 小さい時分からいっつも一緒で。いっつもくっついてた。

 懐かしいね。あの頃が、一番穏やかな時間だった気がする。一番満たされていたかもしれない。

 誰にも邪魔されず、誰にはばかることなく、そして不自由なく。あいつと一緒に生きていた。

 でも、幸せな時間っていうのはあっという間に過ぎてしまうもんだろ? あたしの場合もそうだった。

 最初に変わったのはあたしだった。

 好きな男が出来たんだ。

 あいつのことは、ただの幼馴染みって思ってたんだよ。あたしは。

 だから、他に好きな男が出来た。

 あいつは相当堪えてたみたいだったね。

 一途にあたしのことを好きでいてくれたのかもしれないし、何時かはあたしと結ばれると思ってたんだろうね。暢気にね。

 あたしの国では、大人に成る前に結婚するのも子供を産むのも普通だったし、馴染みの者同士が一緒になることなんてしょっちゅうだったから、あいつもそのつもりだったんだろうね。

 あたしだって、周りの連中が仲良く連れ添っているのを見ていたんだから、考えなかった訳でもないけれど、まるで兄妹みたく育ってきたから、異性として意識するには、心が幼かったんだと思う。

 そういうお互いの気持ちのずれがあって、あたしは別の、少し歳上の男に惹かれた。

 兄のような男の子ではなく、父のような男性に憧れを抱いたってことさ。

 これもよく有りそうな話だね。別に面白くも何ともない、その辺にごろごろある恋話ってやつだよ。

 少し、普通じゃなかったのは、私が恋心を寄せた相手ってぇのが、人買いを生業としていたってこと。あたしはそれを知らなかった。

 あたしだけじゃなく、周りの者も知らなかった。裏家業だったんだよ。

 そして、あたしは目をつけられていた。

 男は村を根城にしていて、仕事をする時は別の所でと決めていたそうなんだが、あたしという上玉が育っちまったんだから、手を付けずにはいられなかった。あたしは据え膳扱いだったのさ。

 まあ、あたしが心を寄せたのも、そいつの思惑通りにことが運んでいただけだってんだから、恋に恋していた、女として幼かった自分に目も当てられないと、恥じ入るばかりさね。


 男の思惑にまんまと嵌まり、距離がだいぶん近付いた頃。

 ある晩、その男に大事な話があるからと人気の無い場所へ呼び出された。

 何も知らないうぶなあたしは暢気に浮かれて喜んだ。

 期せずして心寄せる意中の男に呼び出されたとあったら、心弾まない女は居ないだろうよ。今のあたしなら別のことを考えたり、端からうたぐったりするんだろうけれど、その時分のあたしには、人を疑う強かさが足りていなかった。

 だからまんまと騙された。

 話があるからと、連れて行きたい場所があるからと、会わせたい人がいるからと、誘われるがまま連れられるがまま、立ち入ったことの無い立派なお屋敷へ連れて行かれ、縛られ捕まり、そのまま競りに掛けられた。

 体を縄で縛られ、地べたに座らされるあたしと、あたしを取り囲みじろじろと見詰める人、人、人。

 あたしには何がなんだか解らなかったね。

 何にも知らないおぼこだったんだよ。馬鹿な餓鬼だったんだよ。本当に。

 自分がどうなっているのか、これからどうなるのか、好いている男は何故あたしを此処に連れて来て、何故あたしを見てにやにや笑っているのか、あたしにはとんと分からなかった。

 ちんぷんかんぷんのまま、あたしの頭上を行き交う金の値の声。

 目の回るような状況の変化の後、あたしの買い手が決まった。隣国のお偉いさんで、名前だけなら無知なあたしでも聞いたことのあった有名人だった。

 知った名前を聞いて、なんだか安心したところもあったね。未だに自分がどういう状況に在るのか分からない中で、隣国にまで名前が知れる有名人が出てくるのだから、きっと悪い事にはならないだろう、なんて。都合の良いように捉えたよ。

 でも、勿論そんな事は無いよね。

 悪い事にはならないかもしれないが、良くなる事は先ず有り得ない。

 知った名前が出たと思った矢先、今度は知らない男にしょっ引かれるように縄を引っ張られ、お屋敷を後にした。あたしを連れて来た男はもう居なくなっていて、あたしの不安は増すばかり。

 何処へ連れて行かれるのか。男は何処へ行ったのか。あたしはどんな目に遭わされるのか。あいつは今頃何をしているのだろう、とか。

 お屋敷の前には妙に綺麗な乗り物が用意されていて、知らない男はあたしに乗れと言ってくる。

 おどおどと周りを見渡しながら足を掛けた時、また縄が強く引っ張られた。

 今度は何事かと思ったね。

 

(次話へ続く)

 


***

長くなったため上下分けです。

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