【お絹という女―其ノ貳】

「あぁん? 彫吉あんたいきなり何を言い出してんだい?! 寝言ってぇのは夜中寝てる時に言うもんであって昼間に言うのは妄言ってんだよ? 情けないねぇ。彫金のやり過ぎでとうとう頭がイカれちまったのかい? たがねを打つ前に手前てめぇの頭を打ったほうが良いんじゃねぇかい? 冗談でも言って良いことと悪ぃことがあらぁ。幼馴染みだからって悪ぃ冗談を言って良いってこたぁねぇんだぜ。えぇ?」

 なまじ人より才が有るってぇのは一長一短だね。天は二物を与えずとはよく言ったもんだ。彫吉は彫り師としては一流かもしれねぇが、男としては、いや、人としては一端いっぱしとは程遠いよ。

「絹よぉ、俺が言ってんのは寝言でも妄言でもねぇぜ。ましてや悪い冗談でもねぇ。俺は本気だぜ。俺はおめぇと一緒んなりてぇ。今日此方に上がらせてもらったのは、絹のおとっつぁんおっかさんに俺とおめぇのことを認めてもらうためだ」

「だからそれが悪ぃ冗談だってんだよ! 何時あたしがあんたと夫婦めおとの約束をしたよ? えぇ? 物事には順序ってもんがある。夫婦んなるってんなら、男と女が夫婦の約束をして、それからおとっつぁんおっかさんに挨拶に行くのが当たり前なんだ。片方が一方的に決めることじゃあねぇんだよ。それが手前には分かってねぇって言ってんのが分からねぇかい!」

 あたしは短く刈り揃えた後ろ髪をがりがりと掻き上げうんざりと肩を落とす。

「それに、あんたはあたしがどんな女か知ってんだろう。見てみなよこの髪。結うことも出来やしない。女として半端もんなんだよあたしは」

『女はしとやか。髪はからすの濡れ羽色。髪結かみゆい美人の容貌美きりょうよし』とされるくらい、髪は女にとって大事なものだ。長く伸びた艶のある黒髪を維持するのは簡単じゃあない。それが出来てこそ、一端の女と認められるんだ。

 それを端から捨てているあたしには、誰かと夫婦になる資格はねぇんだ。

「絹よぉ、そんなもんは些末なことだとは思わねぇか? おめぇらしくもねぇ。髪が長かろうが短かろうが、絹は絹だろ。そんなことより、おめぇは俺が嫌かい? 俺じゃ不満かい?」

 嫌なんて、不満なんて、無い。

 無かった……のに!!


「そんなことより、だと! こん畜生ちきしょう!! 今の今までは手前のこと嫌じゃなかったがたった今嫌んなったよ! 出てっとくれ! 五月蝿うるせぇやい! 口を開くんじゃないよ! とっとと出てけ! 出てけぇ!」


(次話に続く)

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