ME

まっしゅ

紅色の恋

 この辺りは、冬になるとすべてが凍てつく。アスファルトと同じどんよりと暗い雲が立ち込めた、灰色の世界。もう少ししたら、深い白に閉ざされることになる。枯草のあぜ道を踏み分けて、一人の少女が爪を噛みながら、いらいらとした足取りで歩いていた。えんじ色のブレザー、短いスカートから伸びる白く細い脚、そこから想像できる通り肉付きの薄い身体。明るめの茶髪、一つ結びにした尻尾が揺れていた。きっと吊り上がった瞳は流れるようなラインを描いていて、手入れのされていない眉が、あか抜けない高校生という雰囲気を醸し出している。眉間にしわがより、唇は不機嫌そうに結ばれているが、この田舎町では一番の美人であった。内和紅、その名前の通り、灰色の世界では一際目立つ存在だ。さて、紅のいらだちの原因といえば、高峰先輩のことだ。。校内きっての美男子である高峰先輩、スポーツもできて親切ときたら、もちろんのこと数多くの生徒が彼に好意を寄せていた。それは紅も違わず、いや紅は自分こそが彼にふさわしいと思っていた。彼女は自分が美人であることをよく知っていたし、先生方からの評判も上々の優等生。自分こそが高峰先輩と付き合うべきだ、と。ところがだった。瞼を伏せて、先ほどの出来事を思い出す。調理実習で作った焼き菓子を、高峰先輩に届けに行くところだった。寸分狂わぬ美しいハート型の、チョコレートとバニラのクッキー。体よく他の女子に掃除当番を押し付け、一番に彼のところへ行こうとした。足取り軽く、上履きのぱたぱたという足音が廊下に響いたが、それがふと止まる。クラブ活動室のロッカーの影に見えたのは、高峰先輩と、もう一人の少女。紅はその少女の名前すら覚えていなかったほど、地味で、目立たない、伏し目がちな娘。彼女は頬を染めて、高峰先輩と手を取り合い、そして。踵を返して、自分の下駄箱に向かって、今に至る。「そこはわたしの場所でしょう」と歯噛みしながらつぶやいく。あぜ道を通り抜け、角を曲がったら、すぐに自分の家だ。古い二階建ての、昭和じみた家。居間を通り抜け自分の部屋に向かおうとすると、母が雑誌から顔もあげずにおかえりと言った。

「従姉のお姉さんの遺品がとどいたわ。なにかほしい物があったらもらってくださいって。」

階段を上がっていく背中に声がかけられた。紅は遠い親戚の従姉が先日亡くなったのを思い出した。場所も遠いし、幼い頃二度三度話しただけの関係だったので葬式にもでなかったが、随分若くして亡くなったと聞いた。遺品なんでいらないよ、と思いながら部屋に入ると、机の上に大きめの段ボールがある。恐る恐るひらくと、本がぎゅうぎゅうに押し込まれていた、特に参考書とかのたぐいだった。紅は受験生ということもあり、ありがたく使わせてもらおうとさっそく参考書を取り出す。国語、数学、理科、英単語帳、随分使い込まれていてなかなか勉強熱心だったらしい。箱に手を突っ込んでいたら、ふと参考書のつるつるした表紙とは違う感覚に触れた。革のような滑らかさがあり、他の本をのけてそれを引っ張り出す。薄桃色のその本は、おおよそ学問とは関係のない感じだった。裏と背表紙にはなにも書かれておらず、表紙にだけぽつんとこう書かれていた。

「あなたの恋を叶える本」

思わず口にだして、ひと呼吸おいてから小さく笑い始めた。これだけ勉強熱心であったであろう彼女も、恋愛に悩みはあったのだろう。だからって、こんなものに頼るなんてばからしい。それを横によけて、また使えそうな参考書を探し始める。十数分して、使うものだけを箱からだして、残りは玄関先へと持って行った。薄桃色の本は、さっきよけられたまま、机の端に無造作に置かれていた。

 夕食を食べ終わって、紅は部屋に戻ってきた。部屋にはストーブの音だけが響いていて、すきま風に負けまいと温風が吹き出している。からからに乾燥した部屋。本を箱にしまい忘れたことに気付いたのはすぐだった。使い込まれた参考書が積まれた机のわきに、不釣り合いな、まるで新品のようなつやのある本。しばらく考えてから、なにも読んで損は無いと手に取ると、それはしっくりと馴染み、さあはやくページをめくって、と語りかけられている気すらした。赤みのさした、乾燥した唇を舐めてから、子供らしさの残る手を動かした。しかし、本の内容は先程までの魔性の様子からは想像もつかないほど陳腐で、安っぽい、そのへんの雑誌から引用したようなものばかりだった。そんなことなら、紅がいつも読んでいるティーン向けの雑誌にも毎月書かれている程度の内容だ。こんなくだらない本を書いた作者を見てやろうと最後のページを開いたが、そこには作者名も出版社も書かれておらず、右のページには異国の文字と書かれた魔法陣と、左のページには、恋愛の天使を喚びだす方法という題名で、つらつらとやり方が懇切丁寧に書かれていた。紅の視線が文字をなぞる、その儀式の方法はあまりに倒錯的で、しかしそれが妙な信憑性を持っていた。今日がたまたまその日でなかったら、もうそのことなんて忘れていただろうが、偶然にも彼女は赤い月の三日目だった。

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