リキッド

@wahoo910

プロローグ

この世に愛を持つ人間はいない。


どこかのうさんくさい神父はそういった。

愛とは無償であり、全てに平等に分け与えるものであり、そんな人間は存在しない。必ず人間は自分の恣意的な解釈をいれ、差別する。

愛する、などど抜かしてその愛する存在のために懸命に仕事をしうまい飯を食わせてやるのも、奴隷にムチを打って働かせ飯をロクに食わせないのも、一緒だと言っていた。


だが、ここにある自然には、愛があると言っていた。

そこには感情や差別や意思なんというものはなく、人々が農作物を育てるために雨を懇願しようがしまいが、雨は降るし、一切降らない。

悪人の元に雷が落ちようが、善人の元に雷が落ちようが、はたまた嵐で人々を困らせようが、嵐で敵の海軍を一網打尽にしようが。

そこには勝手に人間が意味を見出しているだけで、平等に与えるし、平等に奪う。


そして自然は受け入れる。

僕が土の上で死ねば、動物は、虫は、土は、私という肉体をありのままに受け止め、吸収し、何も言わない。

そういう意味では死体も愛なのだと。

動物や虫にすべてを平等に分け与えているから。


だからこの世に愛はないといった。


それに対して時代は変わったと誰かが反論した。

今の時代は、愛に満ちていると。


ほぼすべてを受け入れ、ほぼすべてを与える。

リキッド。

そういう名前の、ダイレクト神経系ネットワーク通信機器がそれを実現した。

だいたい100年くらい前だっただろうか。

リキッドによって人々は頭の中身をすべてぶちまけ、同時にそれをダイレクトに人は受け入れる。

脳の中身同士を直接つなげてしまう荒業。

そこに闘争や戦争は存在しない。相手の人間の生い立ちから今までのすべてを見て吸収し、そして相手には自身のすべてをさらけ出しているのだから。相手の生まれ、文化、成り立ち、それらすべてを、相手が体験したままに、脳に感ずるままに吸収する。そして相手にも自分のすべてを脳にぶち込む。


人生のすべてを与え、受け入れ。

もちろん、それ自体には、愛があるのかもしれない。

ただ、僕という差別が生まれている時点で、それは不完全な愛であるということが確定している。


リキッドを使えない僕は、ただ広い草原に寝転がり、自然からの寵愛を受ける以外には、愛を知る手段はない。



愛、愛……


今リキッド使用者の中で、それはどういう認識なのだろう。

言語を必要としない彼らの中で、言語は存在しない。

ただ思ったことをそのままに、言語に変換することなく共有し、拡散させる。

彼らの中で、形容しがたいなにかは、形容する必要なく伝わっていく。

だから僕はそれを知りえる手段がない。

こうやって言葉をつづり、これを読める人間とひそかな楽しみと会議をするくらいしかできず。


これを読んでいる人間は、リキッドの存在を知らない人間か、あるいは知っているけど僕と同様の人間か、どちらかだろう。

どっちにしても僕とほぼ同類ってことだ。

人々が仲良く共有しあい、愛し合い、平和に暮らしているそのはずれで生きている。

そんな人種ってことだ。

まあリキッドを使っていながら言語を使いこなせる人間もいるが、どちらにせよ、言語にある程度の理解を示している人間は、やはり今の愛にまみれた世界からどこか取りこぼされているのだ。


ちょっと強い風が吹く。

少し寒くなってきたようだ。

特にそれに意思はないとわかりはしつつも、「早く帰って暖まれ」という合図だと、恣意的な解釈を入れて僕は立つ。



それから僕が帰るまで、風は一切吹かなかった。

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