第20話

「この度数分布表からは、各データの具体的な数値は分からない。つまり、何の本を買ったかなんて、まぁ、書店が売れ筋の傾向を予測することには役に立っても、PPの計算には、関係ないのよ」


芹奈さんの説明に、私は脳の機能を停止したままで、彼女を見上げる。


正直、話しについていけてない。


「ま、どんな本を買ったかも、購入履歴を見れば分かるけど、そこまでチェックする人間はいないし」


「でも、それじゃPPの意味が……」


「そうよね。でも、いくら政府が計算式を隠したところで、少し値の変動を観察してみれば、すぐに正解に近い計算式を割り出せるのよ。そうやって恣意的に算出されるPPで、世界が回ってるなんて、馬鹿げた話しだと思わない?」


「芹奈さんは、いつもこうやってPP値を保っているんですか?」


「いいえ」


彼女は、とても不思議そうな表情で首を横に振る。


「パーソナルAIに任せてる。いわゆる、執事AIってやつよね、あなたも持ってるでしょ?」


芹奈さんは、私のたけるを振り返った。


「私はこれらの作業を記憶させた執事AIに、定期的にやらせてる。一度設定すれば、勝手にやってくれるから便利よ。そういうこと出来るって、知らなかったの?」


彼女の言い方は、信号の色は三色だということを、知らないのかって聞いてくるような言い方だ。


「知らないっていうか、やったことはないです」


「そうなの? すごく便利よ。これでもう、PPの変動なんかに惑わされずに済むから。誰しもやっていることだし、試してみて」


「芹奈さんのいうコツって、そういうことですか」


「えぇ」


「そうですか、ありがとうございました」


彼女はとても満足気に、さらりと笑った。


私は一礼して、その場を後にする。


なんとなく、社屋の外に出て芝生のベンチに座った。


ここなら局の敷地内だから、局員以外は誰もやってこない。


時間的にもちょうどいい時間だったし、そのまま退勤とした。


私はたけるを抱きしめる。


夕暮れのベンチ。


そういうやり方があるのは、もちろん知っている。


ちょっとその気になって、ネットを開いて検索すれば、色々な裏技や、簡単にPPを上げる教育講座であふれかえっている。


故意の偽装工作や、データの改ざんは罪に問われるが、法に触れないやり方がいくらでもあるのが、PP反対派の強い意見だ。


PPの示す数字に意味はない。


PPでは、人間の全てを測定不可能なのだから、必要ないシステムだ。


PPの数字に、惑わされる必要はないと思う。


だけど、それがある人物を客観的にみる指標の一つになるのならば、便利だと思う。


学歴でも職歴でも収入でも外見でもない、それを隠蔽されることも、誤魔化されることもない、人物の絶対評価。


既婚を隠して近づいてくる人間に騙されることもなければ、暴力を振るう攻撃的かつ支配的な人間を、事前に知ることができる。


だけど結局、それも全体の合意と協力があってこそできること。


PPの問題は、いつもその正確性が話題になるけれど、その精度を高めるために、出来ることはあるはずだ。


他人に見られるのが嫌なら、PPの公開範囲だって、自分で設定できる。


「どうしたの?」


隣に市山くんが座った。


「なんでもない」


彼は笑って、スマホのカメラを私に向ける。


「あれ? 表情が暗いですね、これは落ち込んでいるっぽい時のかんじですね」


シャッター音がして、撮影測定したスマホの画面を私に見せた。


『気分の落ち込み、67%。落ち込み状態です』


画像診断、表情の変化から、相手の感情を推測する人気アプリだ。


「そんなの、どれだけ正確なのか、分かんないじゃない。私がもし大女優だったら、どうするの?」


「今や犬の翻訳機もある時代だよ? そんなごまかしは通じないね」


市山くんは笑った。


「あぁ、でもこのアプリ使えば、演技のいい練習になるかも!」


彼は泣いたり笑ったり、怒った顔を自分のカメラで撮影して、感情測定アプリで遊んでいる。


「ねぇ、私を慰めに来たんじゃなかったの?」


「え? そうだったっけ?」


「もう!」


怒ったフリをしたら、また彼は笑った。


「僕はただ、通りかかっただけですよ」


「じゃあ、さっさと通り過ぎなさいよ」


「あはは、でも、聞いちゃったんだもん」


「なにを?」


「芹奈さんとの話し」


当たり前のように、深いため息が私からもれる。


「でもあれって、本当のことだから」


「そうだね、本当のことだね」


日が沈む。


太陽が隠れると、急に辺りが暗くなる。


「本当のことだけど、本当のことに絶対のことがないのも、本当だよ」


「本当だね」


「本当だよ」


「本当だね」


「うん、本当だよ」


私が笑ったら、市山くんも笑った。


「一緒に帰ろ」


「うん」


二人で一緒に局の敷地を出る。


ご飯を食べる約束をしたから、一緒に並んで歩いて繁華街へと向かった。

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