71.多少自信過剰なくらいがちょうどいい
「まだまだ未熟ですが、よろしくお願いします!」
「拙い文章ですが、目を通していただけると幸いです」
Twitterで流れてくるツイートを見ていると(大概宣伝RTですが)こういう文句が入っているものがあります。
さて、質問です。
この言葉が前提に付けられた文章、物語を「よし、読んでやろう」「面白そうだ」と思って読みに行く人はどれだけいるのでしょうか?
まだまだ実力不足であると自分の力量を自覚した上で、それでも読んでいただければ嬉しいと控えめな気持ちになるのもわかります。
ですが!
「貴方のその作品にかける情熱はそれだけか!」と思ってしまいます。
「その作品は面白いのか!」
「きっと面白いです!」
「どう面白いのだ!」
「自分なりに突き詰めた友情のあり方! 主人公がヒロインを守りながら世界を救う冒険活劇です!」
「ならば自信をもって、その作品を読めば楽しんでもらえるということだな!」
「……私は未熟なので、伝えきれているか自信がありません」
「馬鹿者ーっ!(平手)」
「ぐはっ!」
「作者自身が自信をもって薦められない作品など、誰が面白いと言ってくれるというのだ! まず自分が面白いと自覚し、人にもその面白さを共有して貰おうと思うからこそ、技術も構成も高めていけるのだ!」
「自分自身が……面白いと自覚する?」
「お前は何だ。自分の力のなさを”拙い”や”未熟者”の一言で予防線を張っているだけだ! 否定的な感想が来たら『自分は未熟だから』と誤魔化そうとしているに過ぎん! 己惚れることは良くない。だが自分の力を信じられないことも良くないのだ!」
「先生!」
「ならば聞くぞ。お前の作品は、読めば楽しめるのか!」
「楽しめます!」
「足りない技術は!」
「これから身に付けます!」
「よし!」
とまあ、コント風味でしたが言いたいことはこんな感じです。
プロではないので実力が足りないのは当然です。ですが、現時点での精一杯をつぎ込んで、今の最高を作り上げることが大事なのではないかと思います。
映画界の巨匠、黒澤明は言いました。
「私はまだ、映画がよくわかっていない」
国際法の父、グロティウスは言いました。
「多くのことを理解したが、何も完成しなかった」
浮世絵の最高峰、葛飾北斎は言いました。
「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ」
多くの人々に認められた偉人ですら、自分にはまだ足りていないと思っているのです。
完璧というものはこの世界、存在しないでしょう。今公開している作品だって、もっとよくできるはずです。技術の研鑽はいつまでも終わらないと思います。
「足りないさ。そんなことは自分で分かっている! だけど自分の作品は面白いに違いない!」
自分の実力不足を自覚した上で、それでも今の全力を尽くしている。
そのくらいの気概の方が「読んでみようかな」と思ってもらえるのではないでしょうか?
それに「自分には力が足りない。だけどその逆境を跳ね返して成功して見せる!」これって主人公の台詞みたいでカッコいいですよね。
書き手は物語を生み出す主役です。貴方という主人公をもっと輝かせてみましょう。
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