紫陽花通り

黒坂オレンジ

1話目

○紫陽花通り


ぎんぎらと光を伸ばす太陽のイラストに表情を描くとぼくは決まって菩薩のような微笑みを浮かべさせる。

空から悠々地上を見下しているならばせめて救済者らしい微笑みをたたえていて欲しい人間ならではの勝手な欲望だとすればそれまでで以上月も同様。

そしてぼくは、ある日、気付いたのだ。雲の切れ間から覗く太陽の姿に。

なんと太陽はひとりの娘の顔をしていた。顔が、こちらを水面に潜って目を開くように、見つめていた。ぼくは娘の顔を見つめ返した。しかし、娘はぼくを見なかった。ぼくはいつしか娘の姿を無視して歩くようになった。それに、あんまりビルが高くて、空など見えないし。


✳︎


丸いかたちをしていた。虚空のように真っ暗だった。そのくせ球体であった。それはたしかに瞳だった。

時折、まばたきをした。見えていないくせに、立派になにもかもありとあらゆる世界の全てを見抜いているとでも言いたげなその、瞬き。睫毛が風にゆれてふるえた。笑えた。しずくが落ちた。それはやがて大粒の雨と化け、ぼくの世界へ落ちてきた。

ぼくは傘を差した。ビニールの暗い赤色が、ぼくの視界を塞いだ。あの娘の顔は見えなくなった、良かった、良かったが、うまく良くはなかった。

表面的に透けて見える空にあの娘はいなかった。ぼくは傘を退けた。なんと!欠伸をしていた。大口を開けて、フワァ、フワァと目を細めていた。退屈していた。ひどく退屈していた。死んでしまうんじゃないかと思った。

瞳からしずくが落ちた。

雨が、ぼくの視界を遮った。空は連なるように動いていた。あの娘の涙は、ぼくの世界では雨であった。だから、あの娘が涙を流すたび、ぼくの世界はたちまちゲリラ豪雨に被害を受けた。泣かないでくれと思った。愛してくれとも思った。雨音に掻き消されながら声をあげた。娘はそれを黙殺した。ぼくは憎んだ。怒鳴り声をあげた。続けた。ついには声も枯れ果て、ぼくは傘を閉じた。瞼が重なり、瞳は消えていた。ぼくの前には娘の安らかな娘の寝顔が提示されているのみであった。声をあげた。ぼくは膝をつき、両手を握りしめ掲げた。祈りをした。あの娘は神であると思った。なぜならこんなにも神々しく、安らかで愛らしく、無慈悲であった。


✳︎


ぼくの世界はあの娘のなかにあった。

あの娘はぼくを支配し、またぼくの世界を支配し尽くしていた。

ぼくが空を仰ぐと変わらずあの娘の顔が浮かんでいた。顔だけが、宙に、そこは確か太陽の居場所であったはずのところに、あの娘の顔があった。恐ろしくもあった。しかし、その超越的な神秘性が、あの娘を神に昇格させた。ぼくは信仰者として、あの娘を愛している。

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紫陽花通り 黒坂オレンジ @ringosleep

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