第3話 3年後 亜紀子の話

【3年後 亜紀子の話】


大輔が再び私の家から出て、3年の時が経った。今思えば、私は何てバカなことをしたのだろう。


もう、暴力はしないと言ってくれたから信じてまた一緒になったけど、結局彼の性格が簡単に変わることはなかった。また私達はふりだしに戻り、そしてまた同じゴールが待っていただけだった。


結局、無駄な時間を過ごしてしまっただけみたい。


家から彼が離れた時、私は寂しさに耐えられず一匹の白くて小さな文鳥を買った。正直、その頃の私の寂しさを埋めてくれるのなら何でもよかったのだ。


たまたま、目に止まった文鳥を即決で購入した。自分でもバカだなぁと思うけど、別れた彼の名前をつけた。どうしても、彼の事が忘れられなかった。


最初は文鳥との暮らしが楽しくて楽しくて仕方なかった。毎日話しかけたり、ちょんちょんとつついたり。でも、結局何も私の心は満たされていないことに気づいた。


やがて、彼が私の元に戻ってきたら私の今までの寂しい思いは一瞬で吹き飛んだ。でも、それと同時に彼の代わりと思って飼っていた文鳥の存在を少しずつ忘れるようになってしまった。やがて、元々暴力癖のあった彼が私に再び手を出すようになった。彼は私だけじゃなく、すっかり存在を忘れていた文鳥にも手を出したのだ。


彼が掴んで、部屋の外へ追い出した時にはすっかり弱々しく飛んでいくあの子を見てはじめて、私はあの子がすっかり弱っていた事を知った。後悔したときには、既に遅かったのだ。


数日後、道で車に引かれて粉々になった、あの子と再会した。私は、あの子の既に粉々になったカケラを少しずつ拾い集めながら声をあげて泣いた。


もう、私は自分の寂しさだけで命を粗末にしてはいけないと、強く心に誓ったのだ。



私は小さい頃、両親に怒られることが殆どなかった。鍵っ子で、一人っ子で。コミュニケーションの取り方もわからず、学校で友達も出来なかった。いつも、寂しくて寂しくて仕方がなかった。


一人でいることに耐えられず、いつもぬいぐるみに名前をつけてママゴトをした。そして、私の部屋には気がつけば大量のぬいぐるみがあった。


それから、私はよく物を無くした。一度遊んだ玩具を片付けない子供だった。しかし、あたり一面散乱した部屋を見ても、親は怒らなかった。


なくなる度に、また買えばいい。形あるものは、どうせすぐに無くなる。代わりなどいくらでもいるのだから。私は、やがてそう思うようになった。


そして、私はそのまま大人になってしまった。自分を叱ってくれる人に本当の愛を感じ、そして彼と出会った。


彼が叱ったり手を上げる時に、本当の愛を感じ喜んだ。私は、愛されているんだ。だから、私は、彼に対して何も怒らなかった。しかし、彼の言葉と体の暴力は日に日に増していく一方だった。それでも、私は彼の全てを受け入れつづけたと同時に、私の体には無数の痣ができた。彼に嫌われたくなかったのだ。


しかし、そんな私の思いを他所に彼は消えた。彼は、他の女の所へいってしまった。なぜ。どうして・・・私は、こんなに尽くしているのに・・・。私は必死になって、彼の代わりを探した。でも、彼の代わりは何処にもいなかった。


彼のように、私のことに親身になって怒り、叱ってくれる存在。ねえ、どこに居るの・・・。


私は、他に私を愛してくれる男を探し回り続けた。決して美人とは言えないが、それなりに子柄で色白で大人しそうに見える私には、それなりに優しい言葉をかける男が数人現れた。しかし、誰と出会っても食指が動く気配すら感じられなかったのだ。


私の周りの友人達は、「えっ、どうして?今声かけてくれるあの人、絶対あなたのことを大切にしてくれそうじゃない。もう、前の人みたいに暴力とか、浮気とか絶対しないと思う!あなたの事、全て受け入れてくれそうだし、大切に包んでくれると思う。そうしたらきっと、あなたもわかると思うの。本当の幸せというもの!」と、言った。でも、私にはその言葉の意味がわからなかった。


違う。違う。私の為を思ってくれる人。私のことを叱ってくれる人。


私は、それでも別れた彼を心の底で求め続けていた。彼が戻ってこないならと、代わりにペットショップで偶然見かけた文鳥を買った。まるで、ぬいぐるみが無くなったらまたぬいぐるみを買うような感覚だった。鍵っ子だった、あの頃のように。


私は一人に耐えられないさみしさを紛らわすように文鳥を買い、彼のいない間は文鳥を彼だと思って側においた。そして、彼が戻った途端関心がなくってすぐさま手放したのだ。


彼と同じように、私も彼が元カノと上手くいかなくなったら私の所へ訪れ、寂しい思いを私に手をあげることによってどんどん埋めていき、最後は元カノの所へ戻ったのだ。元カノの周りの知人から聞けば、彼は元カノには暴力も乱暴な言葉もかけていない。まるで憂さ晴らしのような暴力は、全て私に対してだけだったのだ。


私の友人は、「本当に大切にしたいと思った女性には男はグラスをそっと包むかのように優しくするものよ。


寂しい時だけ必要とし、気に入らないことがあれば八つ当たりの対象にされるなんて最低な男ね。亜紀子、本当にあなたを思ってくれる人はね相手の責任も何もかも全部ひっくるめて受け入れるということよ。


あなただけが痣だらけで。彼はあなたの美味しい所だけ摘み食いして。あなたに、責任だけを残して。でも、そんな男を選んだ貴方も悪いのよ。」


友人は、何故か彼ではなく暴力を振るわれた私を責めた。そんな彼を選んだ私に責任があると。男の暴力で痣だらけになった女側が、何故犯人のように攻められ無ければならないのだろうか。


それからしばらくして、私には彼の子供を妊娠した。しかし、別れた今となっては彼に報告することも出来なかった。それでも、私はどうしても彼の子供が産みたかった。どうしようもなく酷い男だったが、どうしても私は彼の子が欲しかった。彼との繋がりを少しでも根絶やしたくなかったのだ。どうしようもなく酷い男を、私はどうしようもなく愛していたのだ。


本当の幸せなんて、私には未だに知る由もない。もしかしたら、死ぬまでずっとわからないのかもしれない。


ふと、幸せってなんだったのか思い直すと彼がかつて私に伝えた言葉を思い直す。


「人は、死ぬ直前まで本当に幸せかどうかわからないまま幸せを求め続けて生きていくんだって思うんだ。迷路みたいにね。


俺の隣には君がいる。でも、俺も幸せかどうかと言われると正直わからない。きみが本当に好きかどうかさえも、未だよくわかってないというのに・・。きっと、俺が死ぬ前にわかるんだろうなあ。ああ、この人生は幸せだった。不幸だった。または、良くも悪くも生きてて良かった。とかね。


その時隣の人にそっと呟いて死んでいくんだろうな。ハハハ。」と。


彼と別れた直後に、妊娠した息子のことを彼に伝えたのは、 息子が産まれて二年後のことだった。彼は既に人づてでその話を聞いていたが、私には何の連絡もよこさなかった。


私に責任を持つ気が、全くなかったのだろう。下手に連絡すれば、養育費問題がのしかかるだけ。彼とは、結婚もしていないし私自身も連絡せずに勝手に産んだわ。「降ろせ」と言われるのが目に見えていたから。


彼には既に別の女性との新しい生活があったし。私の存在は既に終わった過去の話。息子の存在は、彼の新しい生活の妨げにしかならないハズ。それでも、私はどうしても降ろしたくなかったの。だから、彼には黙って赤ちゃんを産むことにした。


あの日、死んでしまった文鳥のカケラを集めながら「今度命を預けたら、絶対に大切にする。」と、誓った。もう二度と、命を粗末にすることはしないと。


息子が物をこぼしたり。物を片付けなかったり。私はその度に息子を怒った。水をこぼしたら、息子に雑巾で拭かせた。オモチャが散らかっていたら元に全て戻させた。


そして、笑顔でパタパタ私の方に歩いてきたら「えらい。えらい。」と、息子の頭を撫で褒めた。


息子はその度に、いつもクシャっと笑った。私に褒められるのが嬉しくてしょうがないみたいだった。やがて私が何も言わなくても後片付けする子に育った。


私は、息子にぬいぐるみを一体与えた。そして、「このぬいぐるみを無くしたら、もう代わりは買わないから。絶対に大切にするのよ。」と、伝えた。


息子は、どんなにぬいぐるみがほつれても、汚れても絶対に捨てなかったし、なくさなかった。私は、息子に物を大切にすることを教えたかった。当たり前の事ばかりだけど、当たり前のこと程おざなりになってしまうから。だから、特に大切に教えたわ。私のようにならないためにも。私は、息子と二人で生きていくと決めたんだ。


寂しがり屋でいつも一人になれば誰かに電話をし、誰かの側にいないと耐えられなかった私はいつの頃からか、息子と息子を養う為の仕事の事で精一杯になっていた。仕事が終わったら、すぐに保育園へ息子を迎えに行きスーパーで食品を買い、料理を作り、お風呂に一緒に入り、そして息子と一緒に寝た。全てにおいて。この頃の私は、がむしゃらに生きていたと思う。


ある日、職場にいつも来る営業マンから一枚の名刺を貰った。いつものように「ありがとうございます」と言って貰い、どうせシュレッダー行きだろう、と思って裏を見たら、メルアドが書いてあった。


私は、男の目を見た。男は、少し顔を赤らめて言った。「あのう、今度もしよかったらお食事行きませんか・・」


男には、「気持ちは嬉しいですが・・取引先ですし・・。それに、私には息子もいる身です。息子をすぐ迎えに行かなきゃいけないし・・。ごめんなさい・・」と、断った。


男は、「わかりました、でもせめて名刺だけでも貰ってもいいですか?」と言ってきたので、仕事で使用している名刺を渋々渡した。


すると、男からショートメールで「おはようございます。今日もがんばりましょう」といったメールが送られてくるようになった。やがて、メールのやり取りが慣れた頃には電話も鳴るようになった。


取引先の人なので、あまり冷たく接することも出来ないし・・。スーツはいつもパリパリで新しく、髪はいつもキッチリ整えた色白で細身のハンサムな人。こんな、未婚の母なんか相手にしなくてもいくらでも彼女出来そうな人だし・・。私より10歳は確実に若そうだし、確実に遊ばれてるだけだと思う・・。


または、私を利用してる?そこまでして営業成績上げたいのかしら・・。でも、私に媚びても私はただの契約社員の事務員だし何のメリットも無いハズ。


これは、一体どういうこと?正直、息子の事だけで精一杯だった私は困るようになった。


私は何度も、彼に誘われる度に断った。


「ごめんなさい。息子が保育園で待ってるんです。迎えに行かなくちゃ。今、電話取れないんです。すみません。」


「ごめんなさい。息子に今、夕ご飯作っているんです。お風呂入れないといけないんです。」


「今、寝かさないといけないんです。この子が寝る前には絵本読んであげないと、この子寝れないんです。ごめんなさい。」


すると、彼はいつも「すいません、そんな大切な時に連絡してしまって」と、謝ってきた。


文末はいつも、「それでも、気になって。連絡したくて、連絡してしまいました。ごめんなさい。」の文章で締めくくられていた。


息子が生まれてからは、私の中心は全て、息子だった。息子と、仕事のこと以外考えている余裕もなかった。


昔、私が必死で婚活していた頃。彼が忘れたくて寂しさを埋めるためにはどんな手段も問わなかった頃だったなら。すんなり、彼を受け入れていただろう。だけど、今の私には、息子が独り立ちできるまで側にいてあげなければならないという責任が常にあった。


女の幸せとは何か。誰かに幸せにしてもらうことから、誰かを幸せにすることへ。私の中で息子と共に意識が変わっていった最中だった。恋は、本当にタイミングだ。自分の中で恋する用意が出来ていなければ受け止めることなど出来ないものだ。


しかし、最初は警戒していたものの彼からのメールが私から息子を気づかう文章に変わっていったことから、少しずつ私の中で彼に対する気持ちの変化が生まれていくようになった。


「亜紀子さん。こんばんは。学君の風邪治りましたか?早く良くなるといいですね(*^_^*)今度、お見舞いに行きますね。」


「亜紀子さん。おはよう。学君、牛乳飲めるようになりましたか?

カルシウム不足で背が伸びなくなるんじゃないかって、いつも亜紀子さん悩んでいたから。僕、色々牛乳を使用したレシピ考えたんです。今度、作りに行ってもいいですか?」


彼は、息子を気遣うようなメールをしつつも、さりげなく・・・いや結構強引に家に来るようになった。気がつけば私の家でいつの間にか料理を作るようになった位だ。


息子は、最初は不思議そうな顔をして彼を見ていたが、彼の作る料理は本当に美味しかった。まさに、胃袋は心を掴むとはこの事だと思った。


息子は、彼の料理を本当に嬉しそうに食べた。それでも、私達が二人で仲良く話しているときは、ドアの隙間から、じっと何も言わずに眺めている子だった。そして、このような事が過去にもあったような気がした。あれは、いつの事だっただろうか・・。


あっ。思い出した。昔、暴力癖のあった元カレと復縁していた頃。私は、一匹の文鳥を飼っていた。いつも、文鳥は私達をじっと眺めていた。何も鳴かずに。私は、いつもそんな息子の顔を見たあとはそっと頭を撫でた。


さみしそうな顔をしたときは、そっと抱きしめた。彼には、正直どんどん惹かれている。でも、私より10個も年下。しかも出会いは、職場の窓口。窓口で裏にアドレス書いてある名刺貰うなんて、だいたいナンパな男が誘う手口だし。昔は、コレで一体何回コンパに誘われたことかしら・・。


おまけに、私は未婚の母。こんなに、若くて色が白くて料理も上手くてハンサムな男性が。本気で私なんか相手にしてくれると思う?私は、彼の事を考えれば考えるほど悩んだ。


私は、この事を昔の男友達に相談することに決めた。相談相手は、かつて私の所に毎日電話をかけてくれた加田切君に相談することに決めた。


私は、こういう時は女にはなるべく相談しないことに決めていた。理由は、女は嫉妬や同情などの余計な私情を持ち込んで来て話が余計にややこしくなるからだ。


女という生き物は、何故面倒くさい人ばかりなのだろうか。いざ相談した所で「えー!それ大丈夫なのぉー!やばくないー?」と言って散々騒ぎ、結局どうにもならない「やめるか、やめないかは自分次第だと思う」とか言うコメントだけ残して終わる事が多い。おまけに、女は不特定多数の他人に言いふらすお喋りが多い。女に相談すると、いつもややこしい事ばかりだ。だから、私は彼に相談しようと決めたのだ。


昔の加田切君は、何でも「うん、うん」と私の話を聞いてくれてたっけ。懐かしいな。私は「お久しぶりです。お元気ですか?風の便りで結婚されたと聞きました。さて、突然ですが相談したいことがあります。今日連絡してもいいですか?」と、メールした。


すると、加田切君から「ほんの少しでしたらいいですよ」と連絡が来た。私は、今の状態を彼に伝えた。


すると、彼はこう言った。


「亜紀子、元気?久しぶりだな!正直、突然連絡が来ただけでもビックリしたけどさ。まぁ、元気でなによりだよ。男は何が何でも手に入れたいと思ったら。


どんな小さな隙間でも見つけて、こじ開けて入ろう、入ろうって頑張ると思うんだ。


彼は、君が何度断ってもキッカケを作っては頑張ってる。

その姿を見て、君も少しずつ惹かれているならいいんじゃないかな。


子供が君にはいるけど。

子供の事を優先に考えて生活してる君を彼は理解してる行動してると思う。あとは、子供がそんな君を受け入れてくれるかどうかだね。


それには、やはり君が「ここに、私はいるよ、何処にもいかないよ」っていうのを言葉や行動で息子さんに示してあげ続けるしかないよ。


僕は、正直子供がいるから恋愛してはいけないとは思わないし。誰かに惹かれた時が、その人の恋のタイミングだと思うよ。そして、自分の気持ちを信じること。


相手を信じること。相手の全てを受け入れること。僕は今、今の嫁と知り合ってこれが一番大切だと思ってるよ。亜紀子も幸せになれよ!じゃあな!」


と言って、プツッと電話が切れた。その途端。私の気持ちは固まった。





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