第2話 月野マリア

出版社の佐藤雪に紹介されるなり入ったビルの一室には、落書きで散乱した紙に埋もれるように一人の女が立ち尽くしていた。


 落書きには、乱雑に書かれた無数の平仮名で埋めつくされていた。まるで彼女に呪われたような異様な空間だった。黒くて長い髪はボサボサで、卵の腐ったような匂いを放つ。

 暫く身体を洗っていないのか、彼女の体臭なのかは定かではないが臭い事に間違いは無いのだろう。


女は、黒髪の隙間からジィッと睨むように私を見る。


「紹介しますね。咲子さん。彼女が天才ストーリー作家の月野マリアです。

ストーリー作家といっても、彼女は文章は作れません。彼女は、ただ自らの脳内で創作した話を話すだけです。


 今まで数々の作家や脚本家が、彼女の創作した話を作り上げようと奮闘しました。

彼女の作品は、ドラマ化すれば大ヒットし書籍化すれば必ずベストセラーになりました。

 最近、「曖昧な女たち」というドラマが放送されていたと思います。ご存知でしょうか?」


と、佐藤雪が訪ねた。私は、横に首を振った。

そもそも、私の家は親が教育熱心すぎたのだ。テレビで見てもいいと許可されたのは、NHKやニュースだけ。ドラマもアニメもバラエティ番組も、見せてくれた事は一度もなかった。


 ただ、唯一見てもいいよと言われたアニメがあった。「ちびまる子ちゃん」というアニメだった。同級生の友達と話題を合わせる事が出来るようになる為だよ、と許された。


 しかし、同級生の皆は好きなアイドルやお笑い番組に夢中だった。アニメ一つ見れた所で、皆の話題についていける訳でもなかった。


 それでも、皆のハブケにされたくなかった私は「知ったかぶり」という方法で必死に皆の話に追いつこうと奮闘したのだった。


「曖昧な女たちを知らないのですね・・。視聴率はかなり高くて深夜枠で平均10%をマークしてたんですが・・。


 実はこのドラマのストーリーを考えたのも月野マリアなのです。

彼女が作り上げた作品は、何処か時代風刺や彼女独特のエロスな世界が描かれています。どれも読んでも、ハッキリいって天才なのです。


 ただし、一つ問題があるのです。それは、彼女の作り上げた作品を書く作家達は次から次へと精神を病んでしまうのです。


かつて、芥川賞を20歳で受賞し天才と称された沢村健二という作家がいました。沢村は、デビュー時はカリスマだと持て囃され、次から次へとヒット作を生み出しました。しかし、時が経つごとに少しずつオリジナルの作品が描けなくなったのです。


 そこで、月野マリアのゴーストライターをしていた頃があったのですが・・。

ただでさえ、作家とは繊細な精神の人間が多い世界です。沢村は、特に繊細な心の持ち主でもあり挫折に弱い人間でした。


 月野が作り上げた世界が、どれも彼には刺激が強すぎてしまったのです。

沢村は、元々純文学専門の人間でした。月野は奇抜な官能の世界を想像するのに長けていました。

 しかし、他の人間が彼女の世界を作ろうとすると、精神崩壊の道を辿りやすいのです。彼女の独特の世界は、その位刺激が強い世界です。


 貴方を見た瞬間、何故かあなたなら大丈夫なのではないか?と、予感したのです。

貴方は、良くも悪くも世間知らずな女です。あんな屑みたいなストーリーを、よくもまあ作って出版社に持ち込もうと思ったなぁと思います。


それに、こちらが「無理です」と言っているのになかなか引き下がろうとしないという神経の図太さ。空気の読めない感じですかね?


貴方の図太い神経なら、きっと彼女の作品で神経が壊される事は無いと思ったのです。


貴方一人でストーリーを作るのは、ハッキリいって無理です。しかし、彼女がいれば貴方はデビューできる。良い話だと思うのです…。」




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