内藤
美恵が殺害された日より一週間前――
内藤はきょうも『アンジュミニョン』の通りを隔てた電柱の陰にいた。
きょうのおすすめを書いたボードを持ち、出て来た羽衣子をスマホで盗撮している。
きょうもいいショットが撮れた。
内藤はほくそ笑んだ。
電柱の前を通ったOLが訝し気にこっちを見ている。足を止め振り返りそうなそぶりを見せたので慌ててその場を離れた。
「もう少し見ていたかったのに」
舌打ちし、独り言ちながらスマホをポケットに入れる。
羽衣子をストーキングし始めてもう一年が経った。
整った容貌をしている内藤だが内気で根暗く、小学校から高校までずっといじめられっ子だった。大学に行って自分を変えようとしたがうまくいかず、結局親に黙ったまま休学し、仕送りでぶらぶらと暮らしている。
羽衣子に出会ったのはアンジュミニョンの前だった。たまたま歩いていた内藤にボードを持った羽衣子がぶつかったのだ。
ボードの角が当たった手は痛かったが平謝りの羽衣子を見て怒る気になれずそのまま立ち去ったが、一週間後、偶然町中で羽衣子に出会い声をかけられ、内藤は自分のことを覚えてくれていたことにひどく感激した。
手の具合をいつまでも心配する羽衣子に好意を持ったものの、そこから進展させる度胸が内藤にはなかった。
想いは深まるばかりで再び偶然の出会いがあるわけもなく、店にケーキを買いに行くという簡単なことにも臆病なまま、すっかりタイミングを失ってしまった。
今は陰から写真を撮ったり、羽衣子の帰り道を尾行したりという姑息な手段だけでもう満足していた。
一度、引き返してきた彼女と鉢合わせし、勇気を奮い起こそうとしたが、すでに内藤の顔を忘れていた羽衣子に気後れしチャンスを逃した。
縁がなかったとあきらめられれば良かったのだが、自分を愛する彼女の表情や声を夢想し、ストーキングをやめられなかった。
最近は客に向ける笑顔が電柱の陰にいる自分に向けられたものだと本気で思うようになり、「早くわたしのそばに来て」と声まで聞こえるようになっていた。
出会って一年目の記念すべき日、内藤は意を決して羽衣子に告白することにした。
朝から電柱の陰に立ち、通行人に怪しまれないよう時々離れたり戻ったりしながら閉店まで待った。
緊張のため空腹を感じなかったが、うまく告白できれば夕食に誘うつもりだ。
向かい合って楽しく食事する自分たちを想像していると笑みが自然と溢れた。
やばい。やばい。いくら陰に隠れてるからってにやにやしてたら不審者と思われる。
内藤は笑みを押さえ、見咎められていないか辺りを窺った
アンジュミニョンから出て来た男の客が鋭い視線でじっとこっちを見ている。
まさかと思うが何か感づかれたかもしれないと、内藤はその場を移動した。数メートル離れてから店の入り口を振り返ると男はいなくなっていた。
やはり気のせいか。
ほっとした内藤が戻ろうと踵を返すと後ろに男が立っている。黒縁の眼鏡の奥でぎょろ目が光っていた。
なんなんだよ。気色悪いな。
心を読まれでもしない限り、自分の計画がわかるはずはない。
男がなぜ睨んでいるのか、内藤にはさっぱりわからなかったが、今はこの場所を離れた方がいいという信号が頭の中で点滅していた。
内藤は足早にその場から去った。
閉店までにはまだ時間がある。適当にうろついてまた戻ってくればいい。でも――
内藤は男に尾行されていないか不安になり、歩を緩めずに振り返ってみた。
だが、男の姿はどこにもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます