舞雪

黒坂オレンジ

第1話



昔、藤篤という、貴族の中でも高い地位を持つ男がいた。藤篤の子は藤道といい、たいそう頭のよい若者だったそうだ。


 ある日、彼は珍しく父親に頼み込んだ。

「父上、私は読み終えた書物の内容に、大変驚きました。そこにはなんと書いてあったとお思いですか?〝望みの叶う雪〟というものがあるそうで……、私はそれが欲しゅうてたまりません。何とかお力添えを願いたのです」

 息子の申し出に父親は眉根を寄せ、そんな嘘くさい話があるものかと、見るからに機嫌を悪くさせた。しかし藤道は一切気にせず、むしろ諭すよう言った。

「確かに父上のおっしゃられる通り、信憑性に欠ける話でありますが、私が信じる理由はいくらでもあるのです。まず一つは、古き書物に載っていたこと。そして北の地では伝説として、今も尚生きていること。その雪は人を選び、清き心に引き寄せられる、という内容らしいですが」

 藤篤がつまらぬ話だと一蹴する前に、藤道は一段と声を張り上げて言葉を紡いだ。

「何よりの大きな理由は、叔父上から聞いたことでもあるからです」

「――何だと」

 ここで初めて父は藤道の目に視線を移した。彼の目はしっかりと目前の人物を見据えていた。

藤道の叔父にあたる家定という者は、名の通り自身の家の者たちを大層大切にしていると有名になる程、優しい。だが、厳しさの中に一瞬光る優しさなのだ。よって誤解されることが度々あるようだった。そんな堅物の、――あまりにもこの話から縁の遠そうな――名が出てきたのだ。藤篤が驚くのも無理ないだろう。

「本当か」

「勿論です」

 藤道は叔父とあまり仲が良くなかった。兄の子ということで、何度も顔を合わしてくれるのだが、会う度叱られてばかりだった。貧弱な男がいるものか、女のようにかな文字を書くな、外へ出て歌を詠め、と。

しかし、それを藤道は嫌だと思ったことは欠片もなかった。逆に、愛ゆえにだと、嬉しく思っていた。

なぜなら、厳しい一方で藤道の賢さなどを認めている唯一の人物であり、一目置いてくれているのを肌で感じていたからだ。

 しばらくしてようやく、藤篤は険しい表情で手を振り、出て行けと合図した。

 どんなに馬鹿らしい話でも、無闇に扱うことは出来ないのだ。藤道はそのことをよく心得ていた。

黙ったまま藤道は頭を下げ、襖を開けた。その仕草には、残念そうな素振りが一切見られなかった。どちらかといえば冷静すぎて、優越を感じているのかと思われるほど、落ち着いていた。願い出た者らしからぬ様子だった。

藤道は、思い出したようにふと、口を開けた。

「望みが簡単に叶うことは、滅多にありません。だからこそ、どんな小さな噂でも縋ってみたい、そう思うのは私だけでしょうかね」

外は冬の訪れを知らせる、冷たい風が吹いていた。

(父上は必ず私の言う通りに動く。必ずだ)

 冷風が吉報の予兆のように思えて、藤道は愛しげに目を細めた。



**


「これはまあ、どういうことなの?」

 少女は目前にある牛車を指差し、近くにいた女たちに問いかけた。

 豪華な糸を用いて織られている布を、着こなす牛や、隣にいる俯きがちの従者。どうやら、とある建物の前を選び、わざわざ止まっているようだったが。   

その下々の民には馴染みない存在は、歩み行く多くの者たちの視線を、面白いくらいに集めていた。

少女もその内の一人であり、店の使いに帰ってきて、思わず目を丸くした。


「あらあなた、これは牛車よ。ご貴族のお乗り物で、牛がのそりと籠を運び、ご貴族のお足となるのよ」

 そう朗らかに答えられると、少女は焦ったように返した。

「姉様違うの。私、牛車は知っているわ。何度も見たことがあるもの。私が聞きたいのはね、どうして貴族の方もいないのに、こんな所にあるのかってことよ、店にはそんなお方、いないはずだけれど?」

 周りは飾り気のない、小さな店が少し連なっているだけの場所で、道草の桃色が申し訳程度に咲くばかり。通り道も小石や草が茂っており、貴族の庭とは比べることさえ浅ましい位に違いがあった。誰が好んでこんな所まで来ようか。そんなことをすれば、貴族の人々に笑われてしまうのでは。少女はふとそんなことを思った。

「沙羅、そんなに気になるのなら、少し走って見ておいで。藤殿の橋までよ」

「母様!」

 沙羅と呼ばれた少女は振り返り、妖艶で美麗な女を目に留めた。――いつの間に背後に立っていたのだろうか――女は小柄な沙羅とは違い、すっと背の高い女性であった。

この時代、長い髪が主流というのに、彼女だけは耳の辺りでばさり、と切っていた。そのせいか、雅さは感じられなかったが、着物から浮き出る身体の線がとても魅力的であった。その身体は、殿方から貰った高価でぶ厚い着物を纏っている。

薄ら微笑まれ、艶やかな唇が開く。

「早く行っておいで。そこにいる姉様たちだって、抜け出してまで見に行った者もいるから」

「けれども母さま、お店が……」

「いいから」

 そう言われて、ずっと押さえつけていた好奇心を解いて、沙羅はすぐ戻ると約束し一目散に走り出した。

姉たちに、はしたないこと。と、たしなめられた気がしたが、いつものことだと考えた。藤殿の屋敷までそう遠くない。

 すれ違う同性にも、どこか見下したような目で見られる。異性にさえも、下品な、と睨まれた。しかし、それもいつものことだった。

途中、小石にけつまずいて派手に転んだが、別に高価な着物でも、高い身分でもない。沙羅は適当に砂を掃って、再び駆け出した。

 

辿り着いた場所は、知っている場所とは違い、大勢の人で混み合っていた。――どうやらその中心に何か置いてあるらしい。沙羅は何度も人混みに入ろ

うとするが、その度に押し返されてしまう。そう焦ることもないか、と自分に言い聞かせて、仕方なく近くにあった岩の上に腰かける。不機嫌な表情のまま近くに流れている川を眺めた。

(もっと大きく生まれたかったわ)

 何かと都合の悪い小柄な体は、沙羅にとって最大の悩みといっても、過言ではなかった。沙羅は手入れはしてないが、それなりに艶やかな黒髪を持っており、それを前で二つにまとめて、あまぞぎのような、少し子供らしさを感じさせる髪型をしていた。

 時折その髪形のことを指摘されるが、彼女は一番慣れた形だからと言って、受け流すのが常であった。そんなことにいちいち気を留めてられない。

(殿方はあんなに大きいのだもの。殿方ではなくとも、母様や姉様も皆、背丈の高い方ばかり。嫌になってしまう)

 わずかにだが、少しずつ人が減ってきたのが分かり、沙羅は焦る気持ちで足を向けた。そこには木で出来た、急いで造った様な看板があり、何か文字が記してあった。

〝中野家第一子息が望みの叶う雪を欲しがっている。手に入れた者は大金といくらかの土地を与える。ただし、清き心のみ得られるという噂である。よって力を借りる礼の代わりに、金銭のない十の者のみ費用を持つ〟

「まあ、そんなことで」

 金を使ってしまうの。そう言いかけて寸の所で飲み込んだ。

今の言葉が中野家に仕えるものの耳に入れば、恐ろしいことになる。周りを見渡し、すぐに店主の下へ駆け出す。人はまた減り、増えていった。



「母様、沙羅がただ今戻りましたよ」

「ねえ姉様、これは十の内の牛車なの?ということは選ばれたのね、私たちの店が!そうでしょう?」

 髪も息も乱した妹分をたしなめ、髪に手を伸ばした。

「女性がそう走るものではないわ。髪が乱れてる……、もう、なんてはしたないこと」

「……姉様だって走るじゃない。殿方に断られた時」

「走ると追いかけるは違うのよ。追いかけて強く、美しくなるの。母様があんなに美人なのは、たくさん追いかけたからそうですよ」

 何となく面白くなくて、沙羅は髪を整える手を退けて、店の中へと入った。そこは独特の匂いが漂っていた。それを不快と思ったことがないのは、皿が

大の本好きであるからだろう。古い紙の匂いと、古い建物の匂いとが混じり合

い、妙に落ち着く空間を醸し出していた。

沙羅が勤めている店は本屋だ。

この時代、本とは、全て人の手が何枚も書き写していたので、とても高価な物とされていた。よって来る客は皆、貴族のような身分の高い人ばかり。――それならば客と、身分の等しい者が相手をするはずだが、店主の意向で身分は統一されていない。沙羅のような出稼ぎの者でも選ばず雇っている。

そのことに文句を言う客は、やはり幾人も居る。しかしその度に、母と呼ばせている店主に追い返されて、二度と店へは入れない。よって、そのことを受け入れた者のみここへ足を運ぶ。

 ここには巻物や紙を折りたたんでいる織本など、古い時代から最近のものまで取り扱っている。

 店主は前にもあるように女で、店を一つの家と見立てさせていた。なぜかは詳しく分からないが、噂は山ほど存在した。娘をとうの昔亡くしたので、その代わりをずっと探し求めている、などと。どれも嘘臭いもので、沙羅は一切信じていなかった。それよりも、どうして雇って貰っておいてそんなことが口に出来るのか、不思議でならなかった。

店には、売り買いの場である畳の上に店主と、本の整理をしている女が二人いた。沙羅は店内で走らないように姉分に叱られながらも、駆け足で店主へと近寄る。

「母様、ここが選ばれたのはどうしてかしら?」

「――沙羅、このことは多くの人が気にしている。だから、あまり大声で話すことは賢くない。分かるね?」

「ご、ごめんなさい母様」

 店主はすっと目を細め、こちらに上がってくるよう手招きした。沙羅は姉達

の羨望の眼差しに、満面な笑みで応えた。

「どうやら、私達は運良く当たりくじを引いたようね。屋敷から近い、金のない者――と称したお方は、かなり失礼な者だと思うけれど。幼い者を順に選んでいるようだ。ここではあなたが一番下なわけだけど……、遅い生まれで良かった。隣にはあなたの一つ上の子がいたの」

「へえ、そうなの。ねえ母様、藤の宮さまはそんなにお金の使い道に、困ってらしてるのかしら?」

 姉達が聞き耳を立て、失礼のないように、と鋭い視線を送るが沙羅は構わなかった。なぜなら第二の母である店主は、こういう子供らしい言い方を好んでいたからだ。

(ほら、母様は嬉しそう。子供が好きなのでしょうね)

 妖艶に笑う店主は、沙羅の飛びはねた髪を撫でながら、答えた。

「馬鹿ね、金をあそこまでして使うってことは、それほど手に入れたいものがあるということ。普段ならびた一文でもやるのが惜しいのにね」

「お高い方の考えは分からないわ」

呆れ半分に吐き出すと、店主はそっと口元を隠す仕草をした。そしてゆっくりと分かりやすく話して聞かせた。

「私の店で若い者四人が北の地へ行けるそうよ。そこに従者が一名。これで五ね。あなたから順に、一つ上の透子と伊勢、三つ上の蛍が選ばれました。仲良くしなさいね」

 分かったなら用意してらっしゃい、と微笑まれて、なぜか寂しい思いが募った。どうしてもここを動きたくない、動く位ならば――と思う程に苦しくなった。なぜかは理解出来ない。ただ、無性にここに留まりたかった。

足を動かさずにいる沙羅を、不思議に思った店主は笑みを崩さぬまま首を傾げた。

行きたくない。そう思っていると遠くで見ていた女が寄ってきた。

男のように長身で、切れ長のすっとした目をした女だった。

「沙羅、もしかしてここを離れたくないのでは?もしや、母様と離れるのが嫌だったりしますか?それならば、誰かに代わってもらえばどうでしょう。皆、羨ましそうにしてましたから、快く引き受けてもらえますよ?」

 少し可笑しそうに言う声に、沙羅は迷う素振りを見せた。自分でもなぜこんなにも戸惑っているのか、全く理解できなかった。

女の言葉は、的を射ていた。確かに離れるのは寂しい。しかし何があるというのだ。そんな、子供のような――。

「行きたくないのですか?憧れの北の地へ。夢だったと記憶してましたが」

 夢。その言葉に弾き飛ばされたように、――今までの逡巡はどこへやら――、沙羅は自分が戻ってくるのを感じていた。

「伊勢姉様、母様。私行かせて頂きます!」

 と声を上げてすぐさま自身の部屋へ駆ける。伊勢の小さなため息が聞えた気がした。

 この店で働く者は、必ずここで寝起きしなければいけないのが、ここの規則であった。その分給料は少ないが、それに不満を抱くものは全くいなかった。 

沙羅の家庭は非常に金に困っている。出稼ぎに娘をやるほどに、火の車であった。よって娘に持たせる金はなく、下手すれば野原が家となっていた沙羅を、店主は拾ってくれたのだ。そのような子は沙羅だけではなく、多くの者が店主に世話となっている。


『あなたの、第二の家族となっては駄目かしら』

 空腹に倒れそうになっていた沙羅を救った言葉は、今でも忘れられないし、忘れるつもりもない。店主には、本当の母と同じ位限りない愛と感謝の念がある。

(他人とは自身を映す鏡だとは、本当ね。母様は優しい。だから皆も優しくなれる)

 沙羅は二人に謝罪し、感謝し。二度とこういう迷惑を掛けるまいと心に誓った。

大急ぎで支度するが、店を出たら皆、既に用意済みであった。不思議なことで寂しかった心もどこへ行ったのか、いざ牛車を乗るんだと思えば、頭がそれから離れなくなったのだった。

実に現金だと、呆れた。



**


 藤道は多くの御曹司の前で演奏していた。

一月に何度か集会といったものがある。普段なら欠席しているところを、父に有無を言わさず行けと言われてしまった。

 名前は忘れたが、ここは名門の一族が住んでいる屋敷であり、歌を詠んだり、音楽を奏でたりして戯れた。まあ、藤道は退屈で仕方がなかったのだが。

 どこへ行こうにも、中野藤道の名によって、多くの面倒を被ってしまう。藤の宮と、天皇のように呼ばれる藤道の一族は、どこに居ても注目を浴びてしまう。現に今も、こちらを窺い品定めする視線が外れない。

 しばらくして、御曹司の一人がこちらへ歩み寄って来た。藤道はここから立ち去ってやろうか、と思ったが、無意味なことを承知だったので、彼の到着を待った。

確か彼はこの屋敷に住む一族ではなかっただろうか――。


「藤道殿、あなたの奏でる音が聞きたい」

 という提案に、賛同の声が多く上がってしまう。

先程から、どんな目で見られようと、自分は下手だから。放っておいて下さいと逃げてきた藤道を、無礼だと思ったのであろう。御曹司らが考えた策略だった。藤道の下手だという言葉に嘘はなかろうと、恥をかかせるつもりなのだ。

「先程やっと詠んでくれた歌も、なかなかのものでしたし……、そんなご自分をご謙遜することはありませんよ」

「いえ……本当に私は良いので、皆様方で楽しんでください」

 急に、のこのことやって来た藤道は、邪魔者以外の何者でもないのだ。誰が仲間と認めてやるか、と。そんな雰囲気になるのを、想像出来ない藤道ではなかった。むしろ分かり切っていた。それでも父は行けというのだ。

逃げたくとも、既に牛車も、従者も用意されては捕まえられてしまう。今から逃げても同様である。

藤道は音楽や歌について教育を受けたことは、一切なかった。これは、有り得ないことである。どんなに小さな貴族であっても、息子を立派にするため、たくさんの習い事を強制的にやらせる。どこへ行っても笑われないように。

しかし、藤篤は何もさせなかった。笑ってもらえ、そう本人に告げたこともある。今日だってそう言った。心を鬼にしてまでよく出来た息子を叱り、腕を上げさせた、小鼓親子のような愛ではない。藤篤は、藤道に父の威厳という権力を用いて、貶めたいのだった。自分より聡い息子を、蔑みたい。

父はこういうことにはよく頭が働く。誰がどうすれば、一番苦しいのか。今回の場合はまだまだ軽い方だが、酷い例はいくつもある。


習いもしてない歌。藤道は与えられた時間で、書物に載っていた歌を必死で絞り出して、自己流に変えて発表したのだ。 

思いの外、なかなかのものだと評価されたが、その時の藤道は、罵声が飛び交うのではないだろうか、と不安で仕方なかった。

――それなのに、息つく間もなくこう絡まれては、気も滅入ってしまう。何度も繰り返し拒んでいるのに、強引に皆の目前に連れて行かれて、楽器を手渡される。小鼓である。書物には度々出てくる楽器だったが、実物を見たのは、――貴族として生まれているのにも係わらず――初めてだった。よって、使い方も分からない。書物にはどう奏でるのかまでは書いていない。藤道が好んで読むのは、専門の本ではない。物語が主だ。

「私は音楽の才がありません」

「分かっておりますとも。いいから奏でてみせてください」

 こうなれば、もうどうすることも出来ない。藤道は心を決め、鼓を持ち上げて、赤ん坊を抱くかのように抱えて革を手の平で叩いた。力が弱かったのだろう、心もとない音が響いた。

 隣にいて音を合わせようとしていた者たちが、止まる。藤道はもう一度手を振り上げた。

「ふ、藤道殿……」

申し訳ありませんね、私は何も教育されておりません。

 そう言えたら、まだ自分を守れたかもしれないのに。ここで中野家の名を汚すことは出来ない。というよりも、堅く口止めされている。ここには父の従者もいる。告げ口されては、また外出禁止されてしまい、仕置きをされてしまう――。

 まあ、時既に名を汚してしまっているのだが。

どっと溢れ出す嘲笑。藤道はすぐにでも立ち去りたい思いを、ぐっと堪えた。



 *



「ああ!藤道兄さま、お帰りなさい」

「おや、家介か。ただ今」

 鞠を手に持ち、頭を下げた従弟に歩み寄る。庭に誰もいないので、一人で遊んでいたのだろう。駆け寄ってきた。その様子に少し心が慰んだ。

「あれ、お兄さま。どうやらお疲れの様子?」

「ああ……。皆に笑われてしまったよ」

「そういうこともあります。家介――じゃなかった、私も、蹴鞠で失敗したら落ち込んでしまいますが、次の日には忘れてしまいます」

 そうやって無邪気に笑う家介に笑い返し、「叔父上はどこにいらっしゃる?」と、問うた。

「父さま――じゃない、父は、藤篤様に呼ばれてどこかへ行ってしまいました!」

 そうか。ついに。藤道は内心ほくそえんだ。事が上手く運ぶために、色々と用意しなければいけないかもしれない。

「家介、今まで一人だったんだろう?なら、少し私の所においで。遊ぼう?」

「本当ですか!」

 輝く瞳に、藤道は勿論だと頷いてみせる。家介の手を取って、歩いて行った。



 *



「家定、お前が藤道に北の話をしたのは、真か?」

 わざわざこの確認のために、屋敷へ呼んだことを気づかせないため、家定を久方ぶりに家族で呼んだ。まあ距離はそう遠くないし、家族ぐるみの集まりも多いので、不思議はないだろう。――ただ一人の息子を除いては。藤道は聡いから父の考えも筒抜けだろう。

本来なら、こういうことは戯言だと一蹴するつもりだったが、家定が絡んでくるのなら信憑性はぐんと上がる。それ程冗談の通じない男なのだ。

――何より願いが叶うというのは面白い。時折耳にする話だが、本当なのなら縋りたい。

藤篤の問いにすぐさま答えが返ってくる。

「ああ、そんな話をしたな」

「本当か!」

「どうした、珍しいな。藤道に興味が動いたのか?お前の口からあの子の名が出るとは思わなかった」

「……いや」

 話題が息子に移る。面倒だと心中で舌打ちする。

「彼は優秀な方だと思うが、何分足りないものが多すぎる。もっと遊びや歌を親しんでみるべきだと思うぞ。この前久方に見た句はなかなかだった」

 自身の息子を褒められていても、藤篤にとっては無に等しかった。少し考え、白き粉について深く追求しようとした時、


「父さま!藤道兄さまがこれをくださいました!」

 と小さな足で畳を歩く我が子を、家定は険しい表情を緩めた。

「おお家介、何を貰ったというのだ?」

「着物でございます!」

 そう言って身につけた着物を見てもらおうと、大きく手を広げた。緑の落ち着いた色だったが、家介はよく似合っていた。少し丈が短いのか、腕が見えていた。

後ろからついて来た藤道は微笑む。

「私の部屋から、偶然昔の着物が出てきまして。それを家介がいたく気に入ったようでしたので」

「すまんな」

「いえ、そんなこと。……大きくなりましたね、家介は」

 そう言って藤道は父を一瞥し、すぐに自身の部屋へと戻っていく。その優雅な仕草に家介は、将来あのような身振りが出来るようになりたいな、と内心思っていた。

一方、その姿を家定は妙だと思っていた。険しい表情に気づいた家介は、父親を見上げる。

「兄さまは素敵です……。頭もすごく賢いんですよ?本もたくさん読んでらして、優しくって。――家介にもあんな兄さまが欲しかったです」

「いいじゃないか、従兄弟なんだから」

 家定は呟いて、二児の父であり実の兄でもある存在に目を移した。

しかし、当の藤篤はその鋭い視線にも気づかないほど考え込んでいた。

(これ以上訊くのは妙か……。奴に対して話をした、ということしか聞けてないが、仕方ないか。十分だと思おう。奴の言葉は嘘ではなかろうて。こちらも時間がない)


 それから家定たちが帰った後、藤道を呼び出して伝説の詳細を聞いた。

「まず、幼い子の心ではないといけません。女子の方が良いらしいです。丁度……そうですね、成年となった頃くらいの心が遭遇しやすい、とか。必ずそうして下さいね、無駄骨を折るのは嫌ですから」

 正直、藤道でさえ、うんざりする程に事細かく訊き出された。そしてそれと同じ位厳しく、真なのかと念を押した。何度も藤道は頷いた。お陰でしばらく首が痛かった。

藤篤は隣に置いていた従者に、その雪を取ってくるよう言いつけた。言い終えた後、誰もいないことを確認してから、私の分だけでよいと命じた。

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