ロボと少女の記録

黒坂オレンジ

第1話


       ∞


歩けば、がしゃんと音がする。

走ることは、足の力や体の重さ等々の理由から不可能で。

計算が速く、正確に答えを導き出せる。涙を含めた体液は一滴も搾り取れない。人の、あらゆる不可能を可能にすることが、唯一の存在理由だ

「ここまで来れば、さすがに君だって分かるだろう?」

 僕が、ロボットだってことが、さ。


       ∞


 返答者は首を傾げた。

「わかんない。あなたはロロでしょう? リラはね、それだけで充分満たされるの。だからそれでいいの」

 わかったか、と笑みを深めながら、いつものように的外れな回答が返って来た。この問答を何度繰り返したことだろう。リラはいつだってそれだ。僕の存在よ

り他のものを選んだ例がない。

 一人称を自身の名前としているリラ、正しく、リラは、黒髪の中に緑が混じっている髪色をしており、身長は十三歳の標準よりはかなり低い方である。ただし、十三歳にしては、ずば抜けて頭の賢い、聡い子である。――これには深い理由がある。服装は、身軽で飾り気のないスカートを着用しており、風によって時たま大胆にも捲れる。

そんなリラは、自分の隣に座れと、ベンチの腰掛ける部分を叩いて促してきた。それに従うつもりはなかった。僕の体重を支えきることが出来るとは、思えなかったからだ。

 僕は肩を上げて、下げた。溜め息だ。その時下げた視線で、僕の体を捉えてしまった。

僕は金属の体を眺めた。ずっと昔に作られた体。既に錆が回り、動かないところも結構ある。大きさはやっとリラの肩に届くくらい。先述にもあるように彼女はちびで、同い年の同性と並べば百人中百人、彼女より大きい。

足はかろうじて二足であるが、歩く度に機械音や外れかけの部品が上下する。首はあることにはあるが、金属の板に覆われて分からない。体全体はだ円形で、そこに手足がつけられたような形。目は青く光っている。

それからそっと視線を遠くに向け、周りを見渡す。僕らがいる場所――公園は、木が列に並んでいて、たまにベンチなどがあり、憩いの場となっていた。

今ではもう、この公園を利用する人間は少ない。ベンチは壊れているし、道はがたがた。まあ、自動販売機や公衆トイレなど、人が生きるのに必要最低限のものが揃っているだけまだましか。販売機が売っているのは栄養バランスのとれた食料や飲み物。公園の整備はまだまだ行き届いてないが、一応それらしいことをする義務があるのだろうか、それとも、食料をむさぼるリラの存在のお陰であろうか。――ともかく、週に一回位は人が食料の補充にやって来てくれる。

僕は次に木々を視界に入れる。まあ、これも人工樹――要は機械であるので、僕とお仲間ということだ。地面や植物を機械化することには成功し、次は海を機械化させようとしているという。何から何まで機械にしないと気が済まないのだろうか。そのせいで、この世界どこにいても、生命の息吹、というやつは感じられない。僕だけかもしれないが。ちなみに彼らに感情はない。昔から存在する植物と同じである。つまり僕とは完全一致の機械ではないのだと主張する。リラという人の隣にいるんだから、当然別物である。

「そんなことよりも、ねえ」

「そんなことじゃない。真剣なんだ」

 動く度に騒がしく鳴る金属音が、すこぶる耳障りであって苛立った。その感情を忠実に再現した声色で、言葉を発する。

「リラ、わかってないなあ。それともわかろう、とする努力をしないわけ? 僕の話ちゃんと聞こえてた?」

 僕には、人間が音を分けるために必要な舌は、必要ではない。口として設定されている部位から音を発生させる。パーソナルコンピュータのキーを押せばアルファベットが画面に表示されるのと、よく似ている。今ではこの比喩を聞いても、今ひとつピン、と来ない者ばかりの世である。寂しいとは思わない、むしろ当然だと思う。人はいつだって成長していく生物だ。そしてまた、欲求も大きく膨らんでいく。

「僕だって一生懸命話しているんだから」

「うん。でも、でもね。ロロの話、つまらないもの!」

 そう言って弾かれたように、けらけらと笑い始めたリラは、徐々に笑顔を消していき、最終的にすごく寂しそうにこちらを見つめてきた。先程まであんなにも大声ではしゃいでいたというのに、差が激しい。

 元気な時は拙い口調で、リラだかロロだか呂律を回して、こちらの気を引こうとするのに。自分勝手な生き物だと呆れてしまう。リラのすべてに情報がない。無意味。発言も行動も、理解しがたい。折角、ことばというものの存在を知っているのに、リラから出た単語は、持つべき意義をどこかへ置き忘れてきたかのように、意味不明。理解不能。

 いつもならば放っておくが、今日は何となく気分が乗ったので、彼女に付き合ってみる。

「どうしたんだよ? どこか痛いの?」

 勢いよく顔が上げられた。

「ううん、何もないよ。……ね、そんなことよりもさ、遊びに行こうよ? 何したい? 何しよっか!」

 また無邪気に笑うリラは、人で言うと、自分で働いて稼がないといけない年齢を既に取っている。

 しかし、リラが働くところなんて見たことも未だにないし、今となっては想像すら出来ない。いつも一緒にいる。そんな彼女の姿しか考えられない。てんで稼いでいないのに、金はたくさん持っている。財源に豊かな家に生まれたのだろうか。詳しくは知らない。

 かれこれ二年位は、僕らは一緒にいた。僕視点から考えなくとも、まだまだ浅い付き合いであった。けれど、そんなリラの為にわざわざ用意してある場所が、僕の中には存在したりする。妙な話である。

「ね、何したい? じっとしていたい?」

 催促する声に、僕はありったけの優しさを込めて誘った。

「歩きに行こう」

「えー、またお散歩? 好きだよねえ」

 呆れる、というよりも子供相手に話し掛ける親のような口調だった。そんな様子が少し可笑しかった。

「ここ最近、瞬間移動の研究に力を入れて取り組んでいるらしいよ。でも、ここは一番、機械化が遅れてるところだから、まだまだ遠い話かな。でもその内、歓声するんだってさー。ここはもっと便利にならなきゃね。自動販売機への補充の為に、わざわざ人を寄越す時点でもう、終わってるや」

 一番、のところが、最も強調される。

「そうなんだ」

「ロロは良い子ねえ。だって、歩こう、なんて今時そんなこと言う人いないよ?」

 最終的には、それが言いたいが為にこの話を振ったのかと理解する。言い終えたリラは、僕の金属の手を持って引っ張り、歩き出した。その姿を見て僕はまた、思う。思ってはいけないことが、頭から離れなくなる。二律背反。そう。僕らの存在はまさに二律背反だ。

思ってはいけないことを、強いて言葉で、表現してみようか。――バグだ。僕の中に現れた、いやずっと前から潜んでいた、性質の悪いバグだ。

「ね、リラ。機械は、バグだらけになったら、壊れてしまうのだろうか」

「うーん、さあ。どうかなあ。――けれど、きっと壊れてしまうと思うよ」

 僕が今、どんな気持ちでこの答えを聞いているのか、君は知っているだろうか。

「……そうなんだ」

「ロロ、大丈夫だよ。何がって、もし、その機械が壊れるのをあなたが厭うなら、ワタシが絶対に直してあげる」

 心配しないで、とこちらを振り返ったリラに表情は無かった。ただ、その瞳の奥に秘められた思いが、ただ強くあることだけは確認出来た。

ここの人間はほとんど表情がない。そういう作りなんだそうだ。――つまり、こんな風な顔の時は、彼女が自ら作った性格ではない、本当の彼女が見えるのだ。本来の姿。

リラという名前は、リラ自ら自分のために名づけたものだ。これの他に、数字と記号と文字とを混ぜた、個体識別番号という本当の名前がいくつかある。

 けれど何故だろう。それがどれも本当のものだとは思えない。リラが人から与えられたものは全て、彼女に不似合いなのだ。<6-VI>や<99-99-33>といったチンケな番号を、名前とは呼びたくない。

「何考えてるの?」

不思議そうにこちらを覗き込む。僕は少し馬鹿らしくて笑えた。

「君のことさ」

「ふうん。変なの」

「どうして?」

「一緒にいる時に、一緒にいる人のこと考えるなんて、可笑しいよ」

 反論しようとして音を出そうとしたら、僕よりも先に歩いていたリラが、何かに勢いよくぶつかった。傍から見れば、一人でパフォーマンスをしていると勘違いされても不思議ではない。――まあ、パントマイムにしてはリアルすぎたが。

事実、リラは衝突時の衝撃を受け止めきれず、短い悲鳴とともに、僕の上に倒れかかってきた。全体重が急にこちらへかかってきたので、バランスを崩しかけて、必死に直立を保つ。僕の体が落ち着いてからすぐに、リラは鼻を片手で押さえて、見えない壁を指差した。

「ロロ、ロロ! ここ、何か変! 何かある、絶対! どうしよう、先へ行けない!」

 そう言われて、目の機能を色々試してみて、この先にある何かを視界に入れようとした。が、上手く行かない。ついに世界は、僕のシステムを完全に越えてしまったのだろうか、と不安になる。

「うあ、ロロ、鼻血出てきた……」

 その言葉に僕の思考は一時停止し、爆発した。

「は……? な、何でもっと早く言わないんだよッ! いつも、頭を回転させて物事を考えろって言ってるよねえっ! ほら、頭部を高くして、しばらく鼻摘まんで、下を向くんだ、上を向いたら血が喉にいくから……! あああと、何か冷やすものを……」

 リラは僕の指示にすぐに、そして素直に従ってくれた。僕の凹んだ頭にリラの頭を乗せて、空を見上げる形を作らせた。頭をフルに回転させて、自分の体にベッド機能があるのを思い出した。

 僕の頭から、足が折り畳まれた細長い机のようなものが伸びてくるのが分かった。そしてその二本の足が自動に、地面に下りたのを感じた。簡易ベッドの完成だ。

早く乗るように促すと、

「だいじょうぶだよ」

 という間延びした声が返ってきた。同時に、ベッドを仕舞おうと、手で押してくる。そしてあろうことか、起き上がろうとした。驚愕する間を惜しんで、素早く、思い切り怒鳴ると、リラは黙って眉を顰めた。

「もう止まったんだってば」

その言葉に嘘はなかった。なかったが、強引に拭って止めたのであろう、右腕には、なかなかの量の血が固まっていた。何故そんなに不機嫌なのかは理解出来なかったが。

「見て、人たくさんいる」

 鼻を少し啜って人差し指で指差す。透明な壁の向こうには、確かに人だかりがあった。何だか問題でも起こったのだろうか、大声を上げて叫んでいるようだった。

「壁自体は見えないけど、その向こうにいる人は見えるね……。どうしたんだろ」

「皆、何かを囲ってるみたい。……どうする? 違うところに行く?」

「リラ、興味は?」

「全くない」

「じゃあ……、中へ行こうか」

「ふうん。どうして?」

「たまには、不思議なことに絡んでおこうかな、なんてね」

 透明な壁には、空間を切り取ったかのような、綺麗に切断された扉が存在した。


       ∞∞∞


 貴方死んでしまうの。私を置いて、逝くというの。

 許さないわよ、貴方はここにいなさい。どこにもいかなくていい、私の側にいなさい。絶対に――。

 そう言って抱き締められた。力を込められた彼女の腕が、ボクのぼろぼろの体に酷くこたえた。呻くと、より一層力が入った。その姿はボクを離すまい、としているようで。

 そんな体だから――、貴方は死んでしまうんだわ。


――ダカラ、コンナ、

カラダニ――?


       ∞


「何だか、泥棒さんが作った扉みたいね」

 そう言うリラには、残念ながら賛同出来なかった。泥棒が作成したにしては、あまりにも切り口が綺麗だし、尖った所で誰も怪我をしないよう工夫されていた。それに泥棒だったらこの壁を割ると思う。音を立てていい、という条件下であれば。

 扉をくぐると、人だかりと空まで届きそうな塔が出迎えてくれた。空に届きそうなほどに高くそびえ立っている塔。その姿がどこかバベルの塔を彷彿させる。この建物はいつ見ても変わらない。

そこでようやく、この場所が何なのかを理解することが出来た。僕らは人だかりの方へと近付いていった。ふと、その中の一人に見覚えのある顔があったので、急いで人の中を分け入っていった。

「やあ」

 下で僕が声を上げると、彼ははっと気づいてくれた。四十前の少し細めの男性だ。ふと顔を窺うと、いつもなら手入れが行き届いていない髭が、今日は綺麗に剃ってあった。少し感動する。

「まあ、これは。ロロさまではありませんか。お久し振りですね。おや、例の夫人は?」

「彼女は後ろ。どうしたの?」

「それが――」

 彼は僕の身長に合わせてしゃがんだ。別にその必要は無かったが、気にせずに彼の言葉に耳を傾けた。

「実はですね、『エデンの園』の扉が開かないんですよ」

「扉が? うーん、故障かな。個人照合し忘れてない?」

「しましたよ! 機械、……えっと、いえ。アチラ側も、認証しました、って表示してくるくせに、扉は無反応なのです」

 憎たらしげに睨む彼の隣で、建物を見上げる。その塔を見つめていると、僕は段々懐かしくなって、久し振りに入ってみたくなって、彼に問うた。 

「僕も試してみたいんだけど、いい?」

「同じ結果だと思いますよ?」

 彼の言葉は正しかった。扉はびくともしてくれなかった。

どこか服装に厳しい所からの帰りなのか珍しくぴちり、とした服装の彼に、場所を譲ってもらい、認証口へと手を伸ばした。するとどこからか、認証しました、との女性の声とともにピッ、と音が鳴った。認証音だろう。しかし待っても一向に、それからの反応が無い。代わりに背後からの、苛立ちの込められた鼻息に、リラがぎゃんぎゃんと反応してくれていた。

「ちょっとそこのデカブツ! 何も出来ないなら、どけ!」

「そんな言い方ないよ。お前の方が何百倍でかくて、邪魔だ」

「リラ、別にいいから」

 お前とか言わない。そう諭すと、一度だけこちらを振り返り、すぐに禿頭に向き合う。あまり効果は無かったようだ。

「何がいいっていうの。許せない、謝れ」

「リラ」

 低レベルなんだってば。そう言ったのにも係わらず、二人の耳に届いても、熱の上がった頭には届かなかったようだ。

禿頭の大声に、リラの動きが停止したのがわかった。

「そこのロボットは何にも出来ねえ、無能なんだな!」

 黙ったリラが爆発する前に、僕は叫んだ。面倒なことは、なるべく避けたいと思うのは当然のことだろう。たとえ、それが自分を卑下することであっても、だ。それに僕は、ロボットだから。別にどうだっていい。

「そうです、無能なんですよう。やっぱり、古い型だからでしょうか、ねえ!」

 叫んで、すぐに左の手でリラの腕を掴んだ。そしてもう一度、声を張り上げた。音量を上げたのだ。

「お邪魔でした! リラ、帰ろう!」

「――ロロ、ここの扉のシステム管理してるところ、どこかわかる?」

「え?」

 無機的に紡がれていく言葉に、多くの人は唖然としている。

「ここのシステム、かなり時代遅れだよね? 今時、ここまで厚い扉を使うなんて考えられないし、認証口狭すぎだし、認証までの時間が掛かりすぎるし、他にもたくさん問題ありすぎるし。まず、この大型機械自体、初めて見た。でも、多分、半世紀くらい前に出来た型だよね? 半世紀は少し行き過ぎかな? でもその頃の個人照合機の造りは、かなりアバウトで、外からシステム管理出来るようにして配置させてたよね、楽だから。となると、探そうと思えば探せるかな、心臓。ね、どう思う、ロロ?」

 その様子を眺めていた僕に、リラは答えを催促した。僕はこくり、と頷いた。外からは見えない首の中のコードが唸った。

「うん、あると思うよ。あとさ、あれは個人照合って名前だけで、手をかざせばいいだけなんだ。あ、これあまり人間に知られて無いけれど――。赤外線センサーを使ってるんだ。パッと手をかざして、キュインと反射して、ピピッと受光機が感知する仕組みの。あ、もしかして興味ある? 無いと思って適当に説明してるよ。あ、あと、半世紀。正しくは半世紀前の四月六日ね」

 探してあげようか、と問うと、リラは少し笑って

「ヒントだけ、教えて?」

 と言った。その場を離れて移動すると、他の人も一緒になってついて来た。

さすがはリラである。彼女が見当をつけたところは、当たりであった。建物の表面を探ると、呆気なくカバーが外れて、中身と対面出来た。初対面の機械なのにも関わらず、凄い。青や赤と様々な色を身につけるコードの束たちが露になる。それを見て声を上げた人々に、リラは鋭く睨みをきかせた。――彼らは空気を全く読めていない。リラはずっと、それも有り得ないくらいに不機嫌であったし、憤っていた。その証拠に、先程から一度も僕と目を合わせない。勿論、理由は分かり切っている。

「無能はやはりそちらの方だ。こんなことワタシでなくとも、見つけられて当然。無能、そしてどうやら脳の力が弱っている様子。物事を考え、対処する力が残っていないようだ。人間として育てられ、生きてきたというのに、老いるということは実に嘆かわしい。そしてそこの毛根が死した者は、どうやら、ふふ、脳みそまでも――」

「リラ、何て言葉使ってるんだ。意味がわからない。そんな汚い言葉、聞きたくないんだけど」

 それに、と続ける。

「老いることは、素晴らしいことなんだ。そこを間違えちゃいけない」

「……ご、ごめんなさい。本当にごめんね。ロロ、……怒った?」

「大怒りだ。皆に謝りなさい」

「――み、皆さんごめんなさい」

 顔は僕を向いたままだった。僕がそれについて指摘しようとする前に、自ら彼らと向き合った。そして謝罪の言葉を待ったが、永遠に耳にすることはなかった。

「けれど。ワタシはそちらとは絶対に協力はしない。ワタシはね」

 心底、意地の悪い笑顔とともに言葉は続いた。

「ここの扉、二度と開かないように設定してやる」

「はあッ?」

 唖然とする者がほとんどであった。何を口にしているんだ、こいつは。そう思った瞬間に、リラの言葉の意味を知る。それはやってはいけない、と慌てふため始めた。それを見てもまだ満たされないのか、リラは険しい表情のまま叫んだ。

「そちらの方々は永遠に入れないようにもしよう。邪魔しないでね。そうしたら、この建物ごと崩壊させてやるから」

「何だと……!」

 人ごみの中にいた者が飛び出し、押さえつけようとした。それを咄嗟に反応した僕の体は、彼の鼻と仲良く音楽を奏でた。――可愛らしく言えばこうなるが、現実に目を向ければ、彼からは鈍い、音が聞こえた。呻き声も聞こえる。僕の背後で得意げに声がした。

「次に手を出したら、ここのコードどれかを適当に切っちゃう、十本くらい?」

 リラの手にはペンチの形になった棒が握られていた。これは一本で工具道具箱なんて必要ないほどに、たくさんの道具の形を成せる。青色の棒尻のダイヤルを回して切り替える仕組み。ちなみに最新バージョン。流行の最先端である。

「後悔しろ」

「こら。リラ」

「……後悔しなさい!」

「立ち位置はもう悪役だね。あ、僕は中に入りたいんだけれど。どうしよう、君が全部終わってからシステム変更させようかな」

 小声で話す僕に、そっと耳を寄せてふんふんと頷く彼女は、同じく小声で返答した。

「あ、ちょっと待って。これ、内緒なんだけど裏口あったの。これ、いじくってたら発見しちゃったの。ふふ、すごいでしょ。ここでロック解除しておくから、後でさ、二人で行こう?」

「よし、待ってる」


       ∞


 罵声が飛び交う中、リラはシステムをいじる前にそっと訊ねてきた。

「ここ、大事?」

 少し考えて、思ったことを口にした。

「大事な方」

「じゃあ、あちらの人たちは?」

「普通」

 納得したのか、リラは何も言わなかった。ただ、隣で見ている限りでは、扉を二度と開かないようにするのではなく、あくまで一時的に閉まるようにしておき――わざわざ閉まっているものに設定するのは妙な話だ――、そして裏口のロックを解いた。彼女なりの配慮だろう。

 彼女の傍らで、やはり、その技量は確かなのだなあ、と改めて感嘆する。この短時間で初めて見た機械を、ほぼ完全に理解し、新たにプログラムしている。人間にしてはかなり高レベルだと思うし、機械よりは大分劣るけれど、ロボットの僕でも凄いと思う。もしも、僕がおかしくなったら、一番頼れるのは、彼女だ。贔屓目なしに。

「ロロ、こっち」

 そう言って僕を引っ張った。他の人たちには、

「悔しかったら、解除してみろ」

 とだけ言い捨てた。まず無理だろう。リラは念を入れて、複雑なパスワードを設けたからだ。短時間でそこまでやるのだから、さすがというべきか。

 手を引かれるまま、バベルの塔から離れていくと、少し不安になって隣に視線を移す。信じてないわけではないけど、その迷い無い歩みが頼りになりすぎて、不安になるのだ。

そんなことを考えていると、リラは急にしゃがみ込んで地面を探り始めた。髪を耳にかけて、視界を確保し、目を忙しなく動かした。そしてすぐに何かを見つけ出し、再びいじくり出す。それが全て終わってから、僕と一緒に飛び跳ねるように誘ってきた。

「なんで誘うの?」

「楽しいかなって思って」

「仕方ないなあ」

「やったあ。じゃあ、いっせーの」

 フライングしてしまった僕は、掛け声を無視して深い暗闇へ落下することとなった。思いの外深くて、アリスにでもなった気分であった。まあ、あれは夢オチであるが。どちらかというと、僕よりもアリス役に適任のリラは、僕の頭上で楽しそうに笑っていた。

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