-Chapter 4-
「真樹」がマキとなって、ほぼ一月が経過した。
今日は一学期の終業式。いよいよ明日から夏休みだ。
(今日で終わり……なんだよね)
放課後、後ろ髪ひかれる思いを堪えて、しずる達の誘いを断り、マキは決意の色を瞳に浮かべて、職員室の蒼井の元へ向かった。
蒼井が預かっている「真樹」としての体操服その他、男子生徒としての物を返してもらうためだ。
しかし、蒼井の答えは「NO」だった。
「またダメですよ、河原さん。約束は「学校で1ヵ月」だったはずでしょう? 日曜日を挟んだから、少なくともあと4日はそのままでいてもらわないと」
つまり、二学期も4日間は女子として過ごせということなのだろうか。
屁理屈のような気もしたが、その程度で目くじらを立てることもないだろうと、マキは了解して帰路に就く。
自分が、「まだ女子生徒でいられる」「しずるや千種達とも仲良くできる」ことに、どこか安堵していることに気づかないフリをして。
「もしもし、河原さんのお宅でしょうか? はい、5-Aの担任の蒼井です。先程マキさんとお話したのですが…………ええ、そうみたいです。では……はい、そのように」
「電話を切った蒼井は、とても楽しそうな顔をしていた」と、隣席の同僚、天迫星乃が後に証言している。
自宅へと帰ったマキは、担任から聞いた「二学期も数日間、女の子で通学」の件を恐る恐る母に報告した。
無論、母の真沙美は既に本人から電話を受けていたのでとりたてて驚くことはなく、逆に「じゃあ、お家でも夏休みのあいだはずっとマキちゃんでいましょうね」とニコニコと無邪気な笑顔を浮かべていた。
もっとも、てっきりグズるとばかり思っていた“娘”が、意外なほどアッサリ同意した点については、逆に少しばかり驚いたが。
* * *
ともあれ、そんなワケで、周囲(もしかしたら本人も含めて)の賛同のもと「河原マキ」の夏休みは始まったのだった。
例年なら河原家に遊びに来る何人かの男友達は、今年の夏はひとりも顔を見せない。
代わりに、しずるや千種達女の子の友人から、お誘いの電話が頻繁にかかってきたし、その殆どにマキは喜んで出掛けて行くのだった。
駅前に出来たショッピングセンターで、“女の子同士”でワイワイ言いながらウィンドーショッピング。
以前は買い物なんて退屈で、さっさと済ませるものだと思っていたが、おかげでお友達と「あーだこーだ」言いながら色々なお店を回ることの楽しさに、マキは目覚めていった。
さらに、その時買った水着を着て、市民プールへも何度となく遊びに行った。夏休み中に合計10回近くも泳ぎに行ったせいで、3人とも水着の日焼け跡がクッキリと裸身に焼き付いてしまったほどだ。
マキの水着は、千種の強引なプッシュで買った(母親が特別にお金を渡してくれていたのだ)ミントグリーンのセパレート。トップの形はベアトップタイプのキャミソールに近いが、左右の脇から伸びた細い紐が首の後ろで結ばれているので「ポロリ」の心配はまずない。
例のタックのおかけで、ビキニタイプのボトムのラインもスッキリしたものだ
ちなみに、千種は小学生らしいピンクと白のワンピース、しずるは意外に大胆な黒のビキニだった。
夏休みでも月曜の午前中は学校でバレー部の練習がある。
しずるとマキは仮入部という扱いなのだが、ふたりとも運動神経がよいうえ、しずるは咄嗟の判断力が、マキは本能的な勘に優れたタイプということもあり、六年生の先輩達からはすっかり“期待のホープ”扱いされていた。
「こう……河原さんが鉄壁の守りで攻撃を叩き落としつつ、呉羽さんが相手の隙を窺って適確な指示を出し、セッターの武藤さんがそれに応えてトス上げてくれたら、完全にコッチのペースだね!」
六年生のキャプテンである藍原沙織が楽しそうにチーム設計を語る。
「うんうん、あとは五年にもパワフルで精密なアタッカーがいれば完璧だよ♪」
副キャプテンの武内ちはやも頷いている。
「それは、背の高い沢木さんか、バネのある森村さんに期待したいかなぁ」
「いっそ、河原さんに攻防の要になってもらうのもいいかもね」
小学生のバレーボールチームとは思えぬハイレベルな会話に、五年生は目を白黒させている。
「あ、あのぅ、あたしとマキは一応「仮入部」なんですけど……」
恐る恐るしずるが口をはさむが、「こんな逸材、今更逃がすワケないでしょ!」と先輩達に却下されて苦笑い。
練習はそれなりにハードだったが、同時にとても楽しい時間であったのだ。
あるいは単にお互いの家に遊びに行き、まったり冷たいものでも食べながらおしゃべりしたり、テレビを見たり、ゲームしたりすることもあった。
しずるの家は、商店街で飲食店を経営しており、「紅茶とケーキの美味しい喫茶店」とタウン誌で取り上げられたことも何度かある。
お店のパティシエでもあるしずるの母が、遊びに行くと必ず新作ケーキを出してくれるので、マキも千種も楽しみにしていた。時には、簡単なレシピを教えてもらうことも。
「しずるがウチに友達を連れてくるなんて珍しいなぁ」
熊のような髭を生やした大柄な、いかにも「ひと昔前の喫茶店のマスター」という印象のしずるの父も、少し驚きながら歓迎してくれた。
「この子ってば、ちょっと意地っ張りで融通が効かないところあるでしょ。だから、親しくなれる子は少ないみたいなのよ。これからも仲良くしてやってね」
「お、お母さんッ!」
母の言葉に真っ赤になってはにかむ、しずる。もちろん、千種もマキも大きく頷いた。
一方、千種の家は普通のサラリーマンで、父親は大手スポーツ用具メーカーの部長さんをしているらしい。そのせいか、かなり広い家のあちこちにトレーニング器具の類いが色々置いてある。
聞けば、父親自身、元十種競技のアスリートで、いまでもトレーニングを続けているのだとか。千種も頻繁にソレにつきあっているそうだ。
成程、だから内気でおとなしめの性格の割に彼女の運動能力が高いのかと、マキ達は納得する。
専業主婦である母親の方は、いかにも“良家の奥様”といった感じの上品で可愛らしい感じの女性で、マキたちにお茶とともに手作りのマドレーヌやスコーンなどを振る舞ってくれた。
さすがに本職であるしずるの母には及ばないが、それでも凄く美味しい。
さらに、時折、娘も含めた女の子達に、かぎ針編みやパッチワーク、ぬいぐるみ作りといった手芸の手ほどきをしてくれた。その中でも、マキは編み物が巧いと褒められ、物を作る楽しさに目覚めていく。
そしてふたりがマキの家を訪れたときは、真沙美も仕事の手を休めて、“娘”の友人を歓待してくれた。
以前述べた通り、彼女も元は旧家の出なので、女性のたしなみに関しては一家言あるタチなのだ。
しずるの母からお菓子作りを、千種の母から手芸を教わっていると聞いて、少し対抗意識が出来たのか、真沙美は3人に茶道と華道の基本を教えるようになった。
内心小学五年生にはまだ早いかと思っていたのだが、精神年齢の高いしずるは元より、千種やマキも、彼女の教えるお稽古事に真面目かつ素直に取り組んでくれたのは、驚くと同時に喜ばしいことでもあった。
真沙美は和裁の腕も達者で、最初の時は3人とも洋服のままだったが、翌週しずると千種が遊びに来た時には、マキの分も含めて3人のための浴衣を縫い上げていたくらいだ。
少女達は、そのまま和服の着付けも習うこととなった。
8月半ばに、河原家に世帯主たる善樹が帰って来た。
あらかじめ妻から話を聞いていたのか、恥ずかしがるマキのことを愛しげに目を細めて見つめ、ぜひ記念写真を撮ろうと鼻息が荒い。どうやら、彼も妻同様、「できれば娘が欲しかった!」クチらしい。
父の勢いに負けたマキは了解し、その後半日近くをかけて、さまざまな服装&背景で、200枚以上の写真を撮られるハメになったのだった。
もっとも流石プロのカメラマン。現像して引き延ばしたものがパネルにして、リビングの壁に飾られることとなったのだが、マキ自身にさえ、自分がモデルをしたモノとはとても思えぬほど、幻想的な美少女っぽく映っていたのだが。
そして、巧い具合に善樹が仕事の旅に出かける前に、夏祭りの機会が巡って来た。
元より3人娘は一緒に出掛けるつもりだったのだが、話の流れで彼女達の両親も合流することとなり、そのおかげで3つの家に家族ぐるみでの付き合いが生まれることになった。
真沙美の手による、鮮やかな藍色、紅色、萌黄色の浴衣を着たしずる、マキ、千種の3人は、遠巻きに両親に見守られながら、そのままお祭り(というか縁日)を満喫することができたのだった。
ちなみに、その途中で三人娘が、中学生と思しき一団にナンパされるというハプニングもあったが、彼女らが小学生であることを知る(浴衣を着ると存外大人びて見えるものだ)と、気まずい顔で退散していったので、結果オーライだろう。
「まったく……あたし達に声をかけたのは見る目があると思うけど、紳士としての礼儀が足りないわね!」
とは、しずるの談。他のふたりは苦笑していたが。
また、縁日の屋台で「お嬢ちゃん達可愛いからオマケしてあげよう」という言葉を度々聞いたのは彼女らの魅力故か、あるいはここのテキ屋にロリコンが多いのか……。
そして迎えた夏休み最終日直前の8月30日。3人とも既に夏休みの宿題は終わっていたため、この日の夜は千種の家でお泊まり会が催された。
千種の母を3人で手伝いながら晩ご飯を作り、19時過ぎに千種の父が帰るとそのまま夕食。
そのあとは、武藤夫妻の好意で、3人揃って先にお風呂に入ることになった。
さすがに全裸になるのは初めてだが、プールや部活で何度も着替えは共にしている。
マキも、さほど抵抗感なくふたりの友人と一緒に脱衣場で服(今日はマリンボーダーのキャミソールとデニムのキュロットだ)を脱ぎ、タオルで体の前を隠しつつ、風呂場に入って行った。
家自体と同様、武藤家の風呂場は、一般家庭にしては洗い場も浴槽も非常に大きく、子供3人が一緒に湯船に入ってもまだかなり余裕があった。
期せずして3人の「フゥッ~」と息をつくタイミングが重なり、マキ達は顔を見合わせてクスクス笑い合った。
かしましく雑談をしながら、髪を洗ったり、日焼けの跡を比べたり、仲良く背中を流しっこしたりと、微笑ましい光景が続く。
仮にこの光景をコッソリ覗いている不届き者がいたとしても、3人の中のひとりが生物学的にXY染色体を有しているとは、露程も思わないに違いない。ややもすると当の本人でさえ、その事実を忘れがちなのだから。
その夜は、千種の寝室で、彼女のセミダブルベッドに枕を3つ並べて一緒に布団に入り、千種・マキ・しずるの順に並んで寝ることになった。
常夜灯の明かりの下、睡魔が訪れるまでのひととき、楽しく雑談に興じていた3人だが、ふと、しずるが口にした一言で雰囲気が一変する。
「それにしても……フフッ、マキももうすっかり女の子だね♪」
からかうようなニュアンスだが、しずる自身に他意はなく、むしろ親しみを込めての発言のつもりだったのだが、マキの表情が微妙に暗くなる。
「──そっか。私、ホントは男の子なんだっけ」
どうやら本当に本人も忘れかけていたらしい。あるいは……思い出したくなかったのか?
「……マキちゃん、新学期が始まったら、元に戻っちゃうの?」
おずおず、と訪ねる千種に、躊躇いがちに頷くマキ。
「イヤだよ! せっかく仲良くなれたのに……」
途端に半ベソをかく千種に触発されたのか、マキも激情を露わにする。
「私だって……私だって、戻りたくないよ! 男の子なんかより、女の子でいる方がずっと楽しいし、千種ちゃんやしずると一緒にいたいもん! でも……」
「そういう約束だから」と呟くマキの両目からは、いつしか大粒の涙がボロボロと溢れ出している。
「ごめんね、マキ。泣かないで」
しずるが優しくマキの頭を抱き寄せ、千種も慰めるようにその背に寄り添う。
「何か方法がないか考えましょう。とりあえず、二学期になったらあたしから先生にそれとなく聞いてみるわね」
「マキちゃんがマキちゃんのままでいられるよう、千種も、応援するから!」
「ありがとう……ふたりとも」
どうやら3人の少女達の友情と絆は、哀しみを共有することで、ますます強くなったようだった。
──そして、ついに9月1日、二学期の始まる日が来た。
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