第16話
◇◆◇
リリーの前には、色とりどりの贈り物が並べられていた。リリーは戸惑い、こんなに受け取れないと断ったが、「アーサーが全額負担だから、気にしなくて大丈夫よ」と女たちに強引に言いくるめられ、不承不承頷いた。女たちは勿論、男たちもこの面白そうな催しに参加しないわけはなかった。あの真面目なアルダシールでさえ参加しているのだ、そのこと自体が可笑しいといえばそうだった。
皆各々に贈り物を選んできた。香水、綺麗な服、宝石のついたアクセサリ、人形、オルゴールやお菓子、本当に多種多様で、送り主の特徴が如実に表れた贈り物だった。
その中で。アーサーの番が来たとき、リリーは顔を朱に染めて、両腕を伸ばして贈り物を眺めた。
「その……最近、寒くなってて。寝る時にも少し寒そうにしてたからさ、毛糸で編まれた羽織り物、なんだけど。なんだか似合いそうだなあ……って」
そうして彼は言い訳を述べるように、よく回る舌で口を動かし続けた。「いやおれアルルカンという役をやってるのもあって贈り物は結構もらうんだけどさ、いやでも、自分から贈るのって初めてでさ、何あげていいのかわからなくて色んなやつに相談したんだけど皆、『これは勝負だから他人に訊くな』って口揃えて言うから自分で決めるしか無くて、いやほんと、どうしていいのかわからなかったから、ピエールが言ってたように自分があげたいものをあげようって思って選んだんだ、けど」
リリーは部屋を飛び出して、風のようにどこかへ行ってしまった。アーサー以外の皆は人の悪そうな顔を浮かべながら、にやにやと笑って追いかけた。アーサーは訳がわからず皆の後ろをつき従った。
リリーは団員たちが衣装に着替える時に使う鏡の前に立っていた。入ってきたアーサーを鏡で目にして振り返ったリリーは、真っ白の羽織り物に包まれた自身を指さした。
「うあ」
男も女も関係なくアーサーの背中を肘で小突いて、リリーの前に送り出した。「よ、よく似合ってる」
どこか不満そうにそっぽを向いた彼女に、「おいどうやら満足いかないらしいぞ」と囃し立てる声が聞こえる。アーサーはこれ以上なくうれしそうに笑って、叫んだ。
「とってもかわいいよ!」
リリーは弾かれたように彼のところへ駆け寄って、抱きついた。「ありがとう」彼女は耳まで真っ赤にして囁いた。
そんな二人をブルーノは肩に抱え上げて、その場をぐるぐると回り始めた。それを団員たちはけらけらと笑い転げながら、幸せそうに笑う二人を見ていた。ピエールは満足そうに頷いていた。
しかし、肩から下ろされたアーサーは、彼に向かって言った。
「でもやっぱり、おれ以外に適任者はいっぱいいると思うから、リリーが好きになったやつがいたら、おれは喜んでその場を譲るよ」
やっぱりわかってなかった。彼らの過去を思えば仕方ないことかもしれないが、まあ、時間はあるんだ。ゆっくり、彼にも独占欲といった男の欲も生まれてくるだろうと、ピエールはほくそ笑みながら思った。その時は、思い切りからかってやるんだから。まあ、覚悟しておけよ。
◇◆◇
リリーとアーサーは二人、冬空の下、買い出しに来ていた。久しぶりに一日休みが貰えたので、何をしようかと思っていたのだが、
「なあリリー、今日、一緒に料理しないか?」
「……うん」
リリーももう随分元気になって、まだぎこちなくはあるが少しずつ笑うようになっていた。アーサーはそれに感動に似た喜びを覚え、提案する。
「あのさ、その、パンプキン・パイ、教えてくれないか」
「……、」
「おれ、いつも貰ってたのに、酷いことしてさ……、嫌ならいいんだ、でも、その、今度はおれがリリーに作ってやりたくてさ」
「……まずかったら捨てちゃうから」
また、リリーの笑顔に救われた。どんな姿になっても、やはりリリーはリリーだ、自分の唯一なんだと彼は思った。
川を渡るのは苦労した。彼には、リリーが身投げした日から、様々なトラウマが植え付けられていた。川、橋、満月。リリーは何度も彼に合わせて立ち止まってやりながら、何とか橋を渡って北区へと向かった。市場は北区の広場にしかない。川は横断して流れているので、橋からは逃れられない。
マフラーにコートという簡素な出で立ちのアーサーの隣に、彼からもらった羽織に、マフラーに手袋にコートにブーツに……、その他冷風を少しも通さないようにぶくぶくに着ぶくれさせられたリリーの姿があった。出掛けるとなった途端、アーサーは着せ替え人形のようにリリーに服を狂ったように着せてやった。風邪をひかせては困る。アーサーは自らには無頓着だが、リリーに対しては異常なまでに過保護であった。
「パンプキンと小麦粉と……」
リリーは食材を選び、それをアーサーが抱えて持って帰った。
そうして調理場に立ち、二人一緒に作り始めた。パンプキンを切って、中身をくりぬき、生地を作って、焼き上げる。
「アーサー」
「何?」
「あのね、……わたし、楽団に――」
「お、見ろよリリー、生地がふくらんできた」
リリーはそれから、しきりに楽団の話を切り出そうとしてきた。それはリリーがずっと考えてきたことだ。いつまでもここで甘えているわけにはいかない。元気になったのなら、ここに居続ける理由が無い。皆、好きなだけ居ても良いんだよと言ってくれている。でも、わたしがいる場所はやはりここではないのだ。
アーサーはリリーが楽団という単語を口にする度逃げてきた。まだ一緒にいればいい。もし帰ってすぐ、自分の目の届かない場所でリリーがまた壊れてしまったら――? 恐ろしくてたまらないのだ。ならば、ずっと自分が養って、そうして……。
「リリー、そんな焦らなくていいんだ。むしろ、ずっと一緒にいろよ。無理して帰る必要なんてないんだから」
「……う」
「焼けたよ、リリー」
アーサーは手慣れた仕草で焼きたてのパイを切り分けて、団員たちに運んでいった。リリーはその後ろ姿を不安げに見ていた。
戻ったアーサーは、紅茶をいれて二人で作ったパイを口にした。他愛ない話で盛り上がっているところに、配達屋が手紙を持ってきたのでそれを受け取った。
「誰からだろ」
汚い字でカルロ、と書かれていた。宛先はアルテ劇団へ。団員である自分も当然見てよいものだろうと手紙を広げた彼は絶句する。
「どうしたの」
「――シャルル王が、アルテ劇団を王宮に招待する、と――」
リリーはおめでとう、とすぐさま口にした。嬉しそうに手を叩くと、アーサーはちがう、と叫んだ。
「どうしたの」
「……おれらが招待されたということは、おれらはルテジエンから遠く離れた地にある都へ、王宮へ行かなくちゃならない」
リリーはわからないと首を振った。アーサーは彼女を見ないままに、呟いた。
「行かない」
「ど、どうして」
「――おれはあなたを置いていけない、リリー」
手紙を破った彼を見て、わたしはここまで彼を縛りつけていたのだと知った。「このことは、絶対に誰にも言うな」
「だめよアーサー……そんなの」
「じゃあ、リリーはおれと離れていいって言うのか!? おれは嫌だ、絶対に! もう二度と悲劇を繰り返さないために、おれは、絶対にここを離れない」
わたしはあなたをここに繋ぎ止めたいわけではないのに。
どうしたらあなたは自由になるのでしょうか。
彼の言葉を否定しなければいけない立場にあるわたしだけれど、どうして、どうしてわたしのところから去ってくれと、自らいえるでしょうか。
リリーは項垂れた。どうしていいのか、わからなくなった。
◇◆◇
しかし、アーサーの目論見は失敗した。
後日正式に、シャルル王からの手紙を賜り、王宮へ向けて出発の準備をしてくださいと命じられたのだ。
「アーサー、手紙を読んだんだろう。それをお前、隠してただろ! なんでだ? 喜ばしいことじゃねえか」
アーサーは何も言わない。その様子ですべてを悟ったアルダシールが一言、
「リリーさんか」
「!」
「彼女は一緒には連れていけないぞ。わかるだろ、彼女は劇団員じゃないんだ。お前の大事な人だとしても、無関係の人間を連れて行けるわけない。わかってるはずだな」
「っ、だから」
だからおれは辞退します。続く言葉をアルダシールはすぐさま打ち消した。
「駄目だ。アルルカンとして一流の演者であるお前を連れて行かないはずがないだろ」
「そうだ。お前だってその為に色々頑張ってきたんじゃねえか。何で今更拒むんだよ、いいじゃねえかちょっと行って帰ってくるだけだろ」
ブルーノの言葉をルイスは否定した。
「いや。もしも、王に気に入られたなら、多くの劇団は王お抱えの団となって、そのまま王宮に住み込むことが一般的だ。帰るにしても、王の御命令を拒むなんて非礼なこと、許されるはずが無い」
重い沈黙が訪れる。リリーは堪えきれず、出掛けてくると言って出て行ってしまった。アーサーが拘る点は彼女のみなのだ。居たたまれなくなるのも無理はない。
「アーサー。リリーさんだって辛い過去を克服しようと頑張ってる。それをお前が邪魔してどうするんだ……」
「でも」
「ずっと彼女をここに置いておくわけにもいかない。彼女もわかってるんじゃないのか」
「じゃ、じゃあ、リリーをここに入団させて……!」
アーサーの必死の訴えに、アルダシールは駄目だと切って捨てた。
「彼女の演技は見てないが、凄い才能だということはちゃんと耳にしてる。でも。彼女はまだ歌を諦めていないんじゃないのか? お前が居ないとき、部屋からかすかに歌声が聞こえるんだ。彼女が望むなら、こちらだって喜んで受け入れるが、無理矢理彼女の道を決めつけるのはどうかと思う」
厳しいかもしれないが、副団長という立場にいる以上、甘い判断で皆を路頭に迷わすわけにはいかないんだ。わかってくれ。
それでも返事は返せなかった。
副団長二人は黙ってその場をあとにした。
◇◆◇
このままではいけないという思いが、リリーの足を突き動かしていた。このままではいけない。彼をこんなところで引き留めていたいわけじゃない。けれど。王様に召されたら、もう、戻っては来ないのでは。もう、会えないのではと思うとリリーは息もできないほど胸が詰まった。
気づけばフローラ楽団のところへ戻ってきており、自分の諦めの悪さにひたすら呆れた。改めて、楽団の演奏会場を眺める。大きな、建物だ。この中に観客が入りきらないほど入って、音楽が会場から漏れ出るほど響いていっぱいになって広がって……。
わたしはここに憧れていたはずだった。なのに、舞台に立つと足が震えて、何でこんなところに居るんだろうと思うのだ。逃げ出したくなって、でも逃げることはできなくて、自分の歌がうたいたくてここまで来たのに自分の歌がへたくそで聴くに堪えなくて嫌で、いやで。
すると、自分と同じように楽団をみつめている人が居た。帽子を被った、背の高い、細身の男の人。
目が合って、重々しい足取りで近寄ってきて、リリーに声を掛けた。振る舞いから、彼が立派な王侯貴族の出だということが一目でわかった。
「初めましてだね。こんなところにつっ立って何していたの」
「……何も」
あなたは? 男を見上げて尋ねると、僕はね、とずいぶん興奮して言葉を返してきた。
「僕はね、最近初めてこの街に来たんだけど、あまりのすばらしさに感動してしまって、もう一度お忍びでここへ訪れたんだ――あ、これ言っちゃ駄目だった。これ内緒ね」
「は、はあ」
やはりお偉い様方だったのだとリリーは思い、失礼の無いように振る舞おうと身構える。その緊張が伝わってきたのか、「別に自然体にしてくれたらいいよ」と断った。リリーは優しそうな人だなあと思った。
「よかったら、君の話を聞かせてよ」
「え」
「人には人の悩みがあるわけでしょう? 僕はそれを知ってみたいと思ったんだ。だから、無理言って連れてきてもらった。――やっぱり自分の国民を自分の目でみたかったから。……ね、教えてよ。赤の他人だからこそ、気軽に話せることもあるでしょう?」
リリーは促されるままに自分の過去を話し始めた。
彼女の故郷、夢、この街での出来事、そして才能という名の壁、絶望、自殺しようとした救いようのない自分を助けてくれた唯一の人のこと。その人が、今にこの街を去ってしまおうとしているのだ。
「わたし、わたしどうしたらいいんだろう。行って欲しくないよ、一緒にいてほしいよ。でも、だからってあの人を縛りたいわけじゃないの、あの人の思う通りに生きて欲しいのよ」
男はしばらく黙っていた。何かを考えているようだった。リリーはあまりの辛さに身が裂かれるような思いだった。
やがて男は、そっと彼女に問いかけた。
「君はどうしたいの」
「え……」
「夢があったんでしょう。君はまだ歌をやりたいの。それともこのまま劇団に残っていたいの。どうしたいの」
「――歌は」
歌はわたしの全てよ。
「でも、才能が無いから、舞台に立つことができない」
「そうかな」
男は理解できないとばかりに、眉を寄せた。「やりたいことがあるなら、やればいいのに」
「そんなの……」
「僕はいいなって思ったよ。夢とかやりたいこととか、そういうきらきらしたものがあっていいなって。僕はずっと周りに流されて生きてきたから、自分の意見とかそういう確固たる自分みたいなものが無くって、今も辛いから、正直君が羨ましい。だからどうして君が思い悩んでいるのかわからない。やりたければやればいい。それを許される立場にあるんだから」
僕は、君みたいにすべてを投げ出してまでやりたいことってなかったから。 リリーはそんなことない、と反論しようとして、男の言葉にはっとさせられる。
「じゃあどうして君は今、ここにいるの」
「あ……」
「大事な家族とか、故郷とか捨てて、どうしてこの場所に立っているの。大事なものを知っていながら、どうして置いてきたの。きみが捨てた大事なものが欲しくてたまらない人たちからしたら、それはどれほどの冒涜だろう」
リリーはふとアーサーのことを思い出す。彼は、あたたかな家族が欲しかった。故郷が欲しかった。愛が、欲しかった。
わたしを遠ざけたのも当然だ。リリーは胸が苦しくなって、ぎゅっと握った。
「本当、ですね」
「僕はその捨てたものをもう一回残さず拾い上げろって言ってるんじゃないよ。ただ、ただ」
男は真っ直ぐにリリーを見据えた。
「自分に才能が無いからを理由に、夢を諦めるのは、今まで歩いてきた君に対して失礼だよ」
そうでしょう、と優しく問いかけられて、リリーは一筋の涙をこぼした。
「ええ、ええ……」
そして、彼女は微笑んだ。花が風に揺られ、そっと花びらを開けたような、そんな美しさをもつ笑顔に、男は見惚れ、それから自分もそっと微笑み返す。
「……わたしの歌を、聴いてくれませんか」
「もちろん」
彼女は歌った。
街を歩く人々は足を止めて、その歌を聴いた。何だなんだと騒ぐ者もいたが、周りに静かにしろと小声で怒鳴られてたちまちに口を閉ざす。旋律を奏でる楽器はなかった。歌をふくらませるための他の歌声もなかった。リリーはひとりで歌っていた。温かい、彼女らしい誰かにそっと寄り添うような、優しい歌声だった。
歌が終わると辺りは拍手に包まれた。男は彼女に握手を求めた。今までの彼女だったら、自分の身分を顧みてたじろいだことだろう。しかし、もう彼女は迷わなかった。堂々と胸を張って、その手をぎゅっと握りしめた。
「その歌が、君の答えだよ」
「はい」
「また、きっと必ず君の歌を僕に聴かせてね」
「はい!」
じゃあ、僕は行くよ。そう言ってどこかへ去って行く背中をリリーはいつまでも見届けて、そうして、フローラ楽団を振り返り、そして歩み出した。
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