第37話 愛を捧ぐフール
ファウスト様に手を引かれて、窓から外に出る。
この王国で指折りに数えられるアウレリウス公爵家の敷地内だけあって、庭までランプが置いてあった。足元までうっすらだけれど、見える。
だけれど、急に立ち止まったファウスト様の背中にぶつかりそうになった。
「ーー行かせませんよ」
凍えるような冷たい声が私達を阻む。フォティオスお兄様を背負っていたはずの、ラウルと呼ばれた人も足を止めていた。
「……アウレリウス、公爵」
急いで来たのか、いつも後ろに流している金髪は乱れている。切れ長の紅色の瞳が私を睥睨した。
その視線から、ファウスト様は隠すように立ちふさがる。
「アウレリウス公爵。ーーいや、ペルディッカスと呼んだ方がいいのか?」
ファウスト様の硬い声に、アウレリウス公爵は感動したようにひざまずく。
その光景は、その表情は、とても異様だった。
「ああ……!ご無事でいらっしゃると信じておりました……!ファウスト殿下は王になるべくして産まれた御方。また貴方様が王子としてお産まれになった時、私は天に感謝したのです。
ーー次こそは、貴方を絶対的な王にしようと」
忠誠にしては重く、盲信にしては足りない。
ファウスト様に忠誠するようでいて、ファウスト様の意向は全く聞いていない。
自分の理想を実現させたいだけの、愚か者がそこにはいた。
「……ペルディッカス。死ぬ前にも言っただろう。私には国王という地位よりも、大事にしたいものがあったと。だから……だから、〝僕〟は自分の不甲斐なさにも地位にも恨んでいるけど、お前も恨んでいるよ」
ファウスト様が目を細める。金色のまつ毛が影を作った。
「だから、エレオノラ様が亡くなられた時、私は嬉しかったのです。そして、私は殺さなければならなかった。アルガイオの血を穢すテレンティア様の子供を」
「……知ってしまったから、僕はお前を殺したんだ」
ファウスト様は静かにそう言った。
テレンティア様の子供は殺されたと、ビアンカは教えてくれた。まさか、アウレリウス公爵が殺していたなんて。
「エレオノラ様はご存知ないようですが、テレンティア様のお子様はファウスト様の、アルガイオ王族の血を引いておられなかったんです。クリストフォロス様がそう仕組んだのです」
「やめろ!!」
息を飲んだ。本当かどうかなんて、声を荒らげたファウスト様の反応で分かる。彼が正しい事を選択していたと思っていたのに、いつの間にか道を踏み外していたのだ。
ファウスト様は私の腰に手を回して引き寄せた。
「……そう、だったのですね」
いつも無機質だった声。それがほんの僅かに震えていた。
侍女服をキッチリと着こなし、無表情を保ちながらゆっくりとビアンカがアウレリウス公爵の後ろから現れる。
「お父様!!」
ビアンカに連れてこられたらしい、イオアンナが息を切らせて小走りで近寄ってくる。白い肌には汗が滲み、金髪が濡れて張り付いていた。
フォティオスお兄様の苦しそうな姿を見るなり、アウレリウス公爵と同じ色の瞳を大きく開く。
「オリアーナ、何故ここに……?ビアンカまさか、裏切ったな?!」
「さて?何のことでしょう?そもそも、わたくしの主はアウレリウス公爵ではないのですが」
冷たく返すビアンカに、アウレリウス公爵が顔を真っ赤にした。
私もびっくりしている。だって、ビアンカはアウレリウス公爵側の人間だと思っていたから。
「テレンティアであったわたくしの産んだ子供が、クリストフォロス陛下の血を引いていようが、引いていまいが、もう全ては終わった事。アルガイオ時代に生きたわたくし達は全員もう既に死んだ亡者なのです。
……我が子の次の生に幸が多い事を祈ってはいますが、わたくしはもう過去を引き摺りは致しません。わたくしはビアンカ。それ以外の何者でもない。今の生は今だけのものです」
背筋を伸ばし、私達を順に栗色の瞳でビアンカは見つめる。
私、ファウスト様、サヴェリオ様、オリアーナ様、アウレリウス公爵。全員が全員、過去に囚われたまま、今世を生きていた。
「……出来ないです。私には出来ません。私にとって、エレオノラ様はずっと主だし、クリストフォロス様はエレオノラ様の旦那様で、……フォティオス様は夫です」
フォティオスお兄様の汗をハンカチで拭いながら、イオアンナは悲しげに眉を寄せた。
「記憶がある限り、私はずっとイオアンナであり、オリアーナだわ。エレオノラ様を慕った気持ちも、フォティオス様を愛した気持ちも、私の中では全部無かったことにならない」
フォティオスお兄様を優しげに見つめながら、イオアンナは苦笑する。
「どうしようもなく気難しいこの人を支えられるのは私だけって、自負してますから」
私の知らない、長年の絆が見えた気がした。なんとなく、私の死んだ後に結婚した彼らの仲が良好だったと言うのは、本当の事だったんだなと感じる。
私の傍にいる人の服を握る。少しだけ、勇気が欲しくて縋りついたけど、彼は私の手に自身のを重ねた。
「……私も、ずっとずっとファウスト様を愛しています。だから……、だから、私達は幸せになりたい」
大それた願いだった。
でも、どうしても叶って欲しかった願いだった。
初めて未来への希望を持って、その言葉を声に乗せた。
「……私も、諦めない。ファウスト殿下を国王とする事を」
這うような声と共に、私を睨み付けるアウレリウス公爵の執着に背筋が寒くなる。けれど、私は真っ直ぐその視線を受け止める。
「残念だけれど、僕とペルディッカスの意見はどこまでいっても噛み合うことは無いだろう」
ファウスト様がこれ以上話はない、というように打ち切った。アウレリウス公爵は眉間に皺を寄せて、立ち上がる。
「申し上げましたよね?行かせません、と」
アウレリウス公爵が大声を出す。ファウスト様が襤褸を被り直すと、アウレリウス公爵家の私兵らしき人々の足音が聞こえてきた。
「……シスト」
「はいはーい」
ファウスト様の声は抑えていたが、どこから現れたのか同じような襤褸を纏った青年が、軽い声で返事をする。
「足止めをお願いするよ」
「りょーかいっ!……汚名返上、ってね!」
シストと呼ばれた青年がアウレリウス公爵の方へ飛び出すと同時に、ファウスト様が私の膝裏に手を回して抱き上げた。
「さあ、逃げるよ。クラリーチェ」
私達は先の見えない闇へと、明るい希望を持って一歩踏み出した。
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