第28話 愛を捧ぐフール
ぐるぐるといつまでも渦巻いている。
私の侍女であるビアンカの言葉が。
ーーレオーネ男爵家に帰った所で、貴女はどうなさるのですか?誰も待っていないというのに。
ーーレオーネ男爵はクラリーチェ様とセウェルス伯爵が結婚する事を望んでいるのですよ。何故帰る必要があるのですか?
分かっていた。レオーネ男爵家に居場所がない事なんて。
むしろ私の居場所は、私がレオーネ男爵家に留め置かれていたのはセウェルス伯爵と結婚する為だったのだ。
それがアウレリウス公爵家に変わっただけ。あのままレオーネ男爵家にいても、ここにいても結末は変わらない。どの道セウェルス伯爵と結婚するだけだ。
「クラリーチェ様。レオーネ男爵家からお届け物です」
荷物を持った複数の侍女を連れてきたビアンカは、レオーネ男爵家と変わらない様子で淡々と私の世話を焼く。
まるで私の軟禁状態がさして重要な事ではないように、無表情に仕事をこなしていくのだ。
荷物を置いた侍女達は、ビアンカと私を置いてさっさと退出した。
「……ビアンカ。貴女はこの状況を分かっているの?」
「はい」
「ビアンカは自由に外に出られるの?」
「いえ……、この屋敷の中だけなら自由に動けるだけです」
淡々と私の質問に答えながら、ビアンカは運んできた荷物を開いていく。
その様子をじっと見ていた私だったけれど、出てきたものを見て目を見開いた。
「……こ、これ……、花嫁衣装じゃない……!」
「ええ。レオーネ男爵家がクラリーチェ様が恥をかかないようにと、立派な花嫁衣装を選んだそうです」
「ここに運んでくるの……?」
「何をおっしゃっているのですか?クラリーチェ様、式はもうすぐなのですよ」
「え……」
純白の花嫁衣装。精緻せいちな紋様が施されたレースが幾重にも重なっていて、一目見て高価なものだと分かる。自分自身に用意されたものはこれで2着目だ。
セウェルス伯爵との結婚式に出る訳にはいかない。
少し前の自分なら、むしろ歓迎していただろう。
これでやっとファウスト様を解放できると。
でも、今の私には、とても出来そうになかった。
せめてファウスト様にもう一度、私の昔から変わらない嘘偽りのない気持ちを伝えたい。いつも誰かに見つかるんじゃないかって恐れていた後の事なんて、全く考えてない。
それでも彼と幸せになりたいという願いを、彼に伝えたかった。
この私の言葉で、ケジメを付けたかった。
そうじゃないと、取り返しのつかない気がして。
「……クラリーチェ様は政略結婚がお嫌ですか?」
初めてだった。私の言葉に疑問を投げかけることはあっても、ビアンカから聞いてくることは初めてだ。
「……いいえ、そんなことは」
ーーない、と言いかけて、言葉につまる。
ほら、私、前世でも政略結婚だったでしょう。貴族の娘は政略結婚が基本だったのだから。
そう納得しようとして、私とクリストフォロス様は政略結婚だったけれど、ちゃんと恋愛してからの結婚だった。
「私も……政略結婚だったのです」
「え?ビアンカ貴女……結婚していたの?」
私が目を瞬くと、ビアンカは沈黙したままジッと私を見た。そして、数秒の後のちに再び口を開く。
「会った事の無い男性でした。顔は似顔絵で……、とても素敵でまるで物語の王子様のようなお姿でした。性格もとても穏やかで、非常に優秀なお方だと噂で伝え聞いておりました」
そんな方と結婚出来るなんて、羨ましいわーーと普通の貴族の令嬢なら言ったであろう。私もそうしようとした。
でも、何故だか喉の奥に引っかかるというか、この異様なビアンカの雰囲気を感じて言葉に詰まった。
「損得の絡んだ政略的な結婚でしたが、会うととても素敵な方で、新しい環境に慣れない私に対しても優しいお方でした。そして、私の実家も助けてくれたのです。本当にあの方には感謝していると同時に
ーー私はあの方を恨んでいるのです」
一気に室内の温度が下がった気がした。
ビアンカは一体、何を言っているの?
まずビアンカは私とそう年の変わらない侍女で、ずっとレオーネ男爵家に仕えていて……いつ、結婚していた?
「あの方だけではありません。私は、……私わたくしは、貴女もお恨みしています」
「なん……で?」
掠れた声が出る。いつもの無機質なビアンカの栗色の瞳には、はっきりと薄暗い灯火ともしびが宿っていた。
「どんなに私があの方を愛していても、あの方は私を見て下さる事は一度もなかったのです。あの方の視線の先にはいつも貴女がいて、貴女と幸せそうにあの方は微笑んでいました」
「え……私……?」
「ええ。私は、貴女の代わりにすらなれなかったのです。ーーエレオノラ様」
私の中で崩れ落ちてしまった過去の歯車の一部が、音を立てて蘇る。
政略結婚、彼女の実家への援助、エレオノラ私、クリストフォロス様。
そうだ。なんで思い当たらなかったのだろう。彼女もこの時代に生まれている可能性があったのに。
クリストフォロス様、エレオノラ私、フォティオスお兄様、イオアンナ。そして、
「テレンティア……様?」
かつて同じ夫を持った女性が、初めて今世の私の前で少女らしく微笑んだ。
「思い出して下さって何よりです。エレオノラ様」
「そんな……いつから?」
「貴女と初めて会った時からですよ。エレオノラ様」
唇に弧を描いたビアンカは、ゆっくりと私の前に来て視線を合わせる。
いつもの無機質な瞳じゃない。薄暗い光の中に、隠しきれない高揚が浮かんでいた。
「エレオノラ様はお若くして亡くなられました。クリストフォロス陛下は、それはそれは大層悲しまれておいででした」
「……っ」
クリストフォロス様が悲しんでいたであろうことは分かっていた。それでも、過去を生きていた人からそれを聞かされるのは胸が痛む。
「私わたくし、エレオノラ様がお亡くなりになられた後、子供を産んだんです。可愛い可愛いクリストフォロス様にそっくりな男の子。世継ぎですよ?」
私が死ぬ前にテレンティア様は懐妊していた。
そうか。あの時の子供は、男の子だったのか。
「エレオノラ様がいなければ、……というより、私わたくしが王妃として相応しいのにってずっと思っていたのです。エレオノラ様もお亡くなりになりましたし、これでエレオノラ様と違って名実共にクリストフォロス様の隣は私わたくしのものですよね?」
なんで今まで気付かなかったのだろうか。首を傾げるビアンカが、今ははっきりとテレンティア様と重なる。
「あ、別にたまたまエレオノラ様がクリストフォロス陛下のお側にいらっしゃっただけで、エレオノラ様ではない方でも同じ事を思っていましたわ。だって私わたくしホノリスの王女ですよ?蔑ないがしろにされていいはずがないでしょう?」
ふふっとただの侍女には似つかわしくない、お上品な微笑みを浮かべてビアンカは冷たく言った。
「お話して差し上げましょう。エレオノラ様がお亡くなりになられた後、何があったのかを」
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