第22話 愛を捧ぐフール

 寒い。肌寒いなんて生易しいものじゃない。体の芯から冷え切ってしまうような寒さで、私は目を開けた。


 沢山の人の顔が浮かんでくるが、自分がアウレリウス公爵と話した後、攫われたらしいという事だけは分かっている。


 多分主犯はアウレリウス公爵だろう。ファウスト様に私を近付けさせないようにしようという彼の行動は間違ってはいない。でも、もう手遅れなのはアウレリウス公爵は知らないのだろう。


 目で見た限り、周囲に人影はない。ゆっくりと起き上がると辺りの状況が見えた。


 全く記憶にない、古そうなソファーの上に寝かされていたらしい。こまめに掃除されていたとは言い難く、少し埃っぽい空気に思わず眉を寄せた。


 ソファーはこじんまりとした、だけれど全く貧相ではない、それなりの値段のしそうな家具が置かれた一室の真ん中にあった。少なくとも貴族の屋敷に置かれるような家具だと一目見て分かる。


 鏡台も椅子も、寝台も、一応一通りは揃っているが、何故私は寝台ではなくソファーに寝かされていたのか。疑問に思って立ち上がって寝台まで行くと、シーツがうっすらと埃を被っていてとても使用出来る状態になかった。


 幸いにも人が近くにいる感じはしない。派手な音を立てなければ部屋の中を移動してもバレないだろうと思い、こっそり窓辺に向かってみたら、交差するように外から木の板で打ち付けられていた。


 鍵も錆び付いてしまっているのかビクともしない。

 諦めて外の景色を見るけど、背の高い木で覆われて詳しいことは分からなかった。かろうじて、地面からの高さでこの部屋の位置は二階くらいじゃないだろうか、と推測出来ただけだ。


 諦めて部屋のドアまで忍び足で寄り、耳をドアにつけて外の音が何も聞こえないのを確認して、ゆっくりドアノブを回す。


 自分の呼吸が、やけに煩かった。


 回していたドアノブは途中で引っかかった。どうやらこちらも鍵が掛かっているらしい。鍵穴はあったが、肝心の鍵が見当たらない。


 昔住んでいた宮殿も、前世の実家もそうだったが、貴族の屋敷には何かあった時の為に隠し通路がある。この屋敷も古そうだから、部屋のどこかにあるかもしれないと思い、見渡してみたがどこにも不自然な場所は見つからない。


 手段を無くした私は何度もドアノブを回してみるが、金属の音が虚しく響くだけで一向に開きそうにも、古い錠が壊れそうにもなかった。


「……どうしよう」


 ポツリと小さく言葉が零れる。

 外を見る限り、日は登っていた。それも明け方とかではないだろう。どう見ても昼だ。


 最後に覚えているのは夜会の時、だからもう私がどのくらい眠っているのかは分からないが、一晩いなくなっている事はお父様にも、ビアンカにも伝わっているだろう。

 心配を掛けてしまっている……というより、セウェルス伯爵との婚姻もしていないのに攫われるなどあってはならない。お父様は泊をつけるのが目当てなのだから。

 と、そこまで考えて私は顔を青くした。


 私、本当にお父様達に見つけてもらえるの?


 私が行方不明になって、お父様も婚約しているセウェルス伯爵も私を探してくれるの?


 セウェルス伯爵は私じゃなくても、どこぞの貴族の愛人の娘と結婚することは出来る。お父様も本妻との娘が上手く上位貴族を射止めさえすれば、実家に泊を付けられる。


 それに攫われた娘なんて、醜聞でしかない。


 ねぇ、私、本当にあの人達に必要とされてたの?


 それでなくても、私はただの道具でしかならなかったのに。


 ズルズルとその場に座り込む。両手で顔を覆って、私は気付かないフリをしてきた沢山の事から無理矢理目を背けた。

 それでも、ずっと頭の片隅に緩いウェーブのかかった金髪の美青年が浮かんでる。


 知っていた。本当は。


 今世の私を誰よりも必要としてくれたファウスト様がいなければ、私は今世を幸せとも感じずに淡々とした日々を無意味に送っていたという事に。


 お父様やセウェルス伯爵よりも、1番最初に顔が浮かんだ彼に、遠い立場にいる彼に助けて欲しいと願ってるなんて。


 彼に会いたかった。どうしようもなく。





「おや、こんな所で寝ていたんですか?」


 ぼんやりとした頭の中に、誰かの声が降ってくる。低くて渋い、私より随分年を重ねたような男の声が。


 そこまで考えてハッと、我に返る。座り込んだまま小さくなっていたけれど、立ち上がれもせずに反射的に床を這うようにしてその人から距離を取った。


「おやおや。かつて凛とした姿を国民に見せていた王妃様だとは思えませんね。……それもそうか。今や男爵の愛人の子供だからな。堕ちたものですね」

「……アウレリウス、公爵」

「ええ。クリストフォロス陛下に再び会い見える事が叶うと同時に、エレオノラ王妃様にもお会い出来るとは思いもしませんでしたよ」


 クツクツと愉快気に肩を揺らすアウレリウス公爵は、床に座り込んでいる私を心底嫌悪したような眼差しで見ながら、優雅にソファーへと座った。


「ああ。エレオノラ王妃様。レオーネ卿の助けなど期待しないで頂きたい。彼らには我が娘、オリアーナと意気投合して我がアウレリウス家にしばしの間滞在する事になったと説明しています」

「そん……な」

「心配しなくても、貴女を痛い目になどはあわせませんよ。最初は殺してしまおうかと思いましたが、女性を甚振いたぶるのは趣味ではありませんから」


 足を組み、ソファーの背もたれに身をあずけたアウレリウス公爵は、言葉遣いとは裏腹に尊大な態度を取る。薄暗い色を灯した切れ長の瞳は、真っ直ぐに私を射抜き、唇は堪えられない愉悦に醜く歪んでいた。


「貴女の身の安全も保証しますよ。クリストフォロス陛下は勿論、他の男の手つきになる訳にはいきませんしね。私としてはクリストフォロス陛下以外なら誰でもいいのですが、セウェルス伯の婚約者ならばセウェルス伯と正式に結婚するのが穏便ですしね。私もこの手を貴女の血で汚さなくて済みます」

「え……」


 状況についていけずに呆然とする私の耳に、部屋の外から誰かがこちらへ向かってくる音が聞こえた。

 アウレリウス公爵にもそれが伝わったらしく、ニンマリと満足そうに微笑む。


「さあ、貴女のが来られましたよ」


 ドアのノックに対する返事もそこそこに、入ってきたのは丸い体型をした私の婚約者であるセウェルス伯爵。珍しく額には汗が浮かび、顔には焦燥感が現れている。


「これは……どういうことですかな?アウレリウス公」

「送った便りのままですよ。セウェルス伯。フィリウス侯爵の嫡男が貴方の婚約者を狙っているらしく、第二王子派の手の者に掛からないようにこうして保護をと思っただけですよ」

「何故貴方がそのような事を……?」


 セウェルス伯爵は訝しむような視線をアウレリウス公爵に向ける。それもそうだろう。アウレリウス公爵は、私がファウスト様に会わせないようにする為にここに連れてきたのだから。


 つまり、第二王子派を出したのは建前か、それとも本当のことか私には分からない。


「いえ、でも……」

「オリアーナがクラリーチェ嬢を大層気に入ったようでね。私としても、娘の友人をみすみす危険な所に起きたくないのだよ。分かってくれるかね?セウェルス伯」

「……失礼ですが、私にはクラリーチェをもっと有効に使う案がございます」

「……ほう?」


 目の前で繰り広げられる私をとして扱う会話。そこに私の意思も感情も存在していない。私がどう思うのかも。ただ、私の利用価値のみ。


「クラリーチェを上手く使えば、第二王子派の中心に近いフィリウス侯爵家の優秀な嫡男の醜聞を流し、評判を下げることが出来そうなのです。どうせレオーネ卿は私とクラリーチェが結婚出来ればいいので、このフィリウス侯爵家の嫡男を追い落とす事には賛成してくれる筈ですよ」

「……駄目だな」

「アウレリウス公……?何故……ですか?」


 やはり、私が予想していた通りの事をセウェルス伯爵は画策かくさくしていたらしい。オリアーナイオアンナサヴェリオフォティオスお兄様にちゃんと伝えておいてくれるといいのだが。それに、お父様が私の事をセウェルス伯爵と縁繋ぎになる為の道具としてしか思っていなかった事も。


 期待はしていなかった。自分の立場もちゃんと理解していた。それでも、心は擦り傷を負ったようにズキズキと痛む。


「セウェルス伯爵とクラリーチェ嬢がはやく結婚してくれないと、私が気が気ではないのだよ。オリアーナが結婚に前向きではなくてね。周りのご令嬢たちがまだ結婚していないからそう思うのだろうけどね」

「ですが……」

「お願いだ。セウェルス伯。我らの王太子様に確かな後ろ盾を早くつける事に繋がるんだ」


 少し躊躇を見せたセウェルス伯爵だったが、最終的にはアウレリウス公爵に押し切られる形で、分かりましたと首を縦に振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る