第16話 愛を捧ぐフール
「こんにちは。久しぶりだね。クラリーチェ」
急に声を掛けられて、読んでいた本をびっくりして取り落とした。声は辛うじて出なかったが、心臓に悪い。
元凶の人は、窓から難なく侵入して私の落とした本を拾い上げた。
「ファウスト様……。まだ前に会ってからそんなに時間空いてませんが……」
「そうかな?毎日顔を合わせてた時と比べると、全然久しぶりって感じがするよ」
ニコニコとご機嫌そうに微笑むファウスト様は、私の姿を見ると安心したように肩の力を抜く。でも、それは私も同じだった。
ファウスト様といると、自分が確かにここにいるような、ここが自分の居場所なんだって思えるのだ。
「何を読んでいたんだい……?『可哀想な王妃様』……」
「あ……」
この王国に伝わるとてもとても古いおとぎ話だ。もう歴史の中に埋もれてしまったとある国の、可哀想な王妃様のお話。
それでもおとぎ話だ。最後は愛した国王様と可愛い子供達に囲まれて、王妃様は幸せになって終わる。
でもこのお話には本当にあった事も書かれているのだ。
ファウスト様もそれを知っていたか、何も言わずに私に本を返した。
「今日はね、お土産を持ってきたよ。あまり形に残るものは駄目だけれど、これならいいかと思って。手を出して」
言われた通りに手を出すと、ファウスト様は上着の裏ポケットから包み紙に覆われた小さな直方体のものをその上に置いた。
「これは……?」
「キャラメルだよ。王都で美味しいって評判だから買ってみたんだ。僕も食べて美味しかったから、クラリーチェにもって」
「キャラメル……」
「知らない?前世の時には勿論無かったし、入ってきたのも少し前だったからかな……。甘いお菓子だよ」
しげしげと見つめる私の手からキャラメルを取って、包み紙を剥くと褐色の物体が姿を見せた。
「ほら、口を開けて」
口を開けると、ファウスト様はキャラメルを押し込んでくる。甘い味が口いっぱいに広がった。
「美味しい……」
「でしょ?」
口を手で抑えながら言うと、ファウスト様は嬉しそうに包み紙を畳んで上着の裏ポケットにしまった。
前世でも甘いお菓子はあったが、やはり今世の方が種類が豊富だ。でもあまり私が
「……社交界、来たんだね」
「……ええ。セウェルス伯爵の提案です」
「そうか……。セウェルス伯爵か……」
ふと、先程まで明るかった彼の碧眼が
今のフォティオスお兄様は、フィリウス侯爵家の嫡男だと聞いた。フィリウス侯爵家は第二王子派。フォティオスお兄様だったら、クリストフォロス様であったファウスト様の味方に付きそうなのにーー。
「フォティオスお兄様と久しぶりに会いました。きっとフォティオスお兄様が今世で生まれ変わっていた事を、ファウスト様はご存知だったのですか?」
「……うん。知っていたよ」
くしゃりと泣きそうな顔で微笑んだファウスト様とフォティオスお兄様に一体何があったというのか。
「ちょっと……ね。僕達仲違いしちゃったんだ。クラリーチェが気にする事じゃないよ」
「そう……だったんですか」
私の言い淀んでいた事が伝わったのか、ファウスト様は苦笑して私の頭を優しく撫でる。あんなに仲がよかったのにーー。
「そういえばファウスト様。フィリウス侯爵家のパーティー、ファウスト様は出席なさってましたか?」
フィリウス侯爵家のパーティーで私は確かに
ファウスト様はびっくりしたように目を見張って、少しだけ視線を私の後ろの方に向ける。1つだけ瞬きして、ファウスト様は苦々しい顔をした。
「……していたよ。ちゃんとね」
嘘だとバレバレだった。それでも、そう言わなければいけない何かがあるのだろう。
「……そう、ですね。そういえば私、ファウスト様にご挨拶していました」
「……うん。今日はそろそろ帰ることにするよ。クラリーチェの元気な顔を見れてよかった」
私の手にキスを1つ落とし、誰もが見惚れる美しい微笑みを私だけに向けて、ファウスト様は窓から身軽そうに出ていった。
断れる訳がないのだ。
本当にこんな隠れた逢瀬がどんなに駄目な事だと知っていても、かつて身を切るような痛みを味わってまで愛して、未だに燻る想いを向ける彼の事を拒みきれるなんて、無理だ。
「クラリーチェお嬢様」
「……っ」
いつの間に部屋に入ってきたのか、侍女のビアンカが無表情で私の後ろに立っていた。
「びっくりしたわ、ビアンカ。いつからそこにいたの?」
「つい先程入ってきたのですが、クラリーチェお嬢様がぼんやりなさっていたようなので、お声掛けをと思いまして」
「そ、そうなの……。ごめんなさい」
「いえ、部屋の中が冷えてしまいますので、窓を締めてもよろしいでしょうか?」
何を考えているか分からない、無機質な栗色の瞳が私をじっと見つめる。まるでじわじわと私を責め立てるように。
「ええ……。お願いね」
「かしこまりました」
ファウスト様との事がバレているかもしれない。そんな、底知れない恐怖と罪悪感に苛まれながら出した声はいつもより小さかった。
ーー見られている。
それも、前回とは比べられない程。
そう気付いたのは、2度目の社交界で出席した公爵家の夜会での事だった。
会場に入場し、早々に主催者に挨拶をしてからパートナーのセウェルス伯爵とダンスを終わらせる。前世とあまり変わらない流れを一通りこなして、他の招待客との挨拶回りに精を出すセウェルス伯爵の後ろについて回っていた。
1度目よりも、2度目が注目を浴びるとはどういう事だろうか。
そんな事を考えていると、セウェルス伯爵がそっと耳打ちした。
「君は堂々としてるといい。注目を浴びるのは、グローリア様が君に興味を示したかららしいよ」
「え……」
グローリア王妃様が、どうして社交界の中心みたいな人が私みたいな男爵家の、それも妾の子供に興味を示したのかというのか。
私の困惑にセウェルス伯爵はニコニコと人当たりの良さそうな笑みを浮かべる。
「フィリウス侯爵家の嫡男のサヴェリオ殿が君に興味を示したらしくてね。君がどんな手を使ったのかは分からないが……。君はそのままでいい。むしろよくやったと言うべきかな?」
フォティオスお兄様が……?
それにセウェルス伯爵は、私に何をやらせようというのか。
「それは……どういう事ですか?」
「君は20も年の離れた男のただの後妻で収まるよりも、もっと楽しい事をしたいとは思わないのかね?」
相変わらず人当たりのいい笑みを浮かべ続けるセウェルス伯爵が、私をただの道具として見てる事はどことなく分かっていた。
けれど、私に何をさせようというのか。
「いいえ……、いいえ、思いません」
「これはこれは残念だね」
全く残念と思っていないような朗らかな声で、セウェルス伯爵は笑う。
フォティオスお兄様が私に興味を持った理由は何となく分かる。昔も妹想いだったから、きっと私が20も年の離れたセウェルス伯爵の後妻になる事を阻止しようとしているのだろう。
セウェルス伯爵が何を企んでいるのかも、フォティオスお兄様が私の事について関わる事にも、この状況に何も出来ない自分が一番歯がゆかった。
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