第15話 愛を捧げたフール
それからすぐの事だった。
体調は回復することなく、高熱で
「エレオノラ……!」
「フォティオスお兄様……」
風邪が移る事なんてお構いなく、フォティオスお兄様は私の手を握り、目に沢山の涙を溜めた。
「……こんな、こんなことになるなら……、お前を王妃になどさせなかったのに……っ!」
呻くように言ったフォティオスお兄様に、私は必死で首を振った。
「いいえ、いいえ……!そんな事ありません」
「今からでも遅くない。……私達の元に帰っておいで。ゆっくり身体を休めよう。ここは気が休まらないだろう?」
「フォティオス……!」
フォティオスお兄様と一緒に、クリストフォロス様までも私の部屋にいた。
いつもなら、移ってしまうから見舞いさえも止められるのに。
ーー予感はしていた。
こんな寝台に寝たきりの状態でお兄様とはいえ、男の人と会える方が普通ではないのだ。
フォティオスお兄様の肩を掴んだクリストフォロス様を、フォティオスお兄様は振り返って憎々しげに睨み付ける。
その表情を見たクリストフォロス様はほんの少し眉を寄せたが、黙ってその視線を受け入れた。
友人同士だった彼らの険悪な様子などはじめて見た。
「……フォティオスお兄様。私は幸せです。クリストフォロス様に愛されているんですから」
「エレオノラ……!」
フォティオスお兄様はクリストフォロス様から視線を外し、呻くように私の名前を呼ぶ。
「俺にもっと力があれば、隣国の要求を飲まなかったものを……!」
「それは僕もだ。フォティオス」
「大丈夫です。仕方なかったのです。どちらにしても無理だったのです」
私の手を額に押し当て、涙をこぼしたフォティオスお兄様に静かに私は告げた。事実を。
「子供の産めない身体の私が、今までクリストフォロス様のお傍に居られた方がすごい事なのです」
「エレオノラ!」
クリストフォロス様の制止を阻んでまで告げた言葉に、フォティオスお兄様の表情が何が起こったのか分からないような、愕然としたものに変わる。
「エレオノラ……、それは……どういう……?」
「そのままの意味です。私は子供が産めなくなったのです。流行病にかかって命が助かっただけでも、私は幸運だったのです」
「まさか……」
血の気が引いていくフォティオスお兄様に、私は大丈夫という意味を込めて微笑みかけた。
「フォティオスお兄様。だから、クリストフォロス様は何も悪くないのですよ」
いつか言われた。王妃である私が蔑ろにされているのではないか、という問いに関する答えだった。
蔑ろになんかされていない。これ以上ない程に私は愛されていた。
「……フォティオス。そろそろ時間だよ」
「陛下……」
「これ以上はエレオノラに負担を掛けてしまうから」
クリストフォロス様に促されて、フォティオスお兄様は渋々立ち上がる。去り際にお兄様は泣きそうな表情のまま、無理矢理口の端を歪めて笑った。
「陛下に愛想を尽かしてしまった時は、遠慮なく実家に帰っておいで。それでなくても、元気になったら一度実家に帰っておいで。みんないつでも歓迎してるから……」
「はい。そうさせてもらいますね」
クリストフォロス様を前にしてこんな事を言えるのは、きっとフォティオスお兄様だけだろう。
お兄様の誘いを私はきっと果たせない事を知っておきながら、頷いた。
「……エレオノラ」
「クリストフォロス様は大丈夫なのですか?移ってしまいますよ?」
「大丈夫だよ。……気にしなくていいよ。そんなの」
部屋に残ったクリストフォロス様は私の寝台の側の椅子に座り、男らしく骨ばった手を私の頬にあてた。
クリストフォロス様は私の頬の熱さに、一瞬びっくりしたかのように、手を引っ込めようとした。だけど、私は手の冷たさがとても冷たくて、擦り寄ったのを見て無言でもう片方の手も反対側の頬にあてる。
不安そうに揺れる薄氷色の瞳が私をじっと見つめる。
私は自分の手を伸ばして、クリストフォロス様の頬に手をあてる。いつの間にか彼も随分とやつれて痩せ細っていた。
「クリストフォロス様」
「ん?」
「……だきしめて、ください」
クリストフォロス様は少し考えた末に、私の頬から手を離し、寝台に上がってきた。そして胡座をかいて私をおそるおそる横抱きにして、その上に乗せた。包み込むようにして抱き締められる。
クリストフォロス様の胸に顔を埋めて、余計な身体の力が抜けて私は一息ついた。どうしようもなく、彼の傍は安心する。ここにちゃんと私が存在しているような感覚になる。
「エレオノラ」
「はい」
「エレオノラ」
「はい。……どうしたんですか?クリストフォロス様」
迷子の子供のように私を呼ぶクリストフォロス様を見上げようとすると、私を支える腕とは別の方の手でクリストフォロス様は私の視界を覆った。
「エレオノラ……、最初に言っていたよね。僕と離縁してくれって」
「はい……」
「……僕を、恨んでいるかい?」
クリストフォロス様は静かに問い掛けたけれど、実は彼はだいぶ気にしていたのかもしれない。
あのまま離縁していたら、私は実家に帰って世間と隔絶された場所でゆっくりと過ごしていただろう。クリストフォロス様の新しい妻を見ることなく、その生涯を終えていたのだろうと思う。
それでも今となってはそんな平穏より、クリストフォロス様の傍にいた方が幸せだと思えた。
粘ついた嫉妬が私の首を締め上げても、みんなを騙すような真似をしても。
「いいえ。そんな事ありません」
「……っ」
「だって、クリストフォロス様は私をずっと愛して下さっていたでしょう?」
うん、と頷く彼は、私を抱き締める力を強くした。それでも私を傷付けないように、とても優しく。私に縋るように。
「ずっとずっと、私はクリストフォロス様を愛しておりますから」
「……僕もだよ。僕も、ずっとエレオノラを愛してる」
息をつまらせたクリストフォロス様に私は言うべきか迷った。目の前に死がある私を忘れて、クリストフォロス様の子供を身ごもったテレンティアをこれから愛してくれと。
でもそれを私が言うのは、違う気がした。
私を忘れて違う人を愛せだなんて、クリストフォロス様が向けてくれる愛を踏みにじってしまう気がして、言えなかった。
それに、今だけは私だけのクリストフォロス様だ。最後くらい独占しても文句は言われないだろう。
「エレオノラ。こんな僕を愛してくれて、ずっと付いてきてくれて、……っ、ありがとう」
クリストフォロス様の声が嗚咽混じりになったのを聞いたのは、はじめてだった。
視界は覆われたままだったけど見当を付けて、クリストフォロス様の頬に手を伸ばす。彼は視界を覆っていた手で、伸ばした私の手を優しく握り込んだ。
遮るものがなくなった視界に入ったクリストフォロス様の薄氷色の瞳から一筋、涙がこぼれ落ちる。彼に泣かないで欲しくて、微笑みを浮かべようとしたけれど、襲ってくる眠気にまぶたが段々と落ちる。
「エレオノラ……!起きて、お願いだから……、お願いだから、僕を……」
今日は少しお話し過ぎた。フォティオスお兄様と久しぶりに会えたのが大きい。
そういえば、最近とても色々な事があったからきっと疲れきってしまったのもあるだろう。
最後に聞こえたクリストフォロス様の言葉に応えたかったけど、私は温かい微睡みの中に沈んでいった。
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