第10話 新たな懸念
絞りに絞られて。
笑いに笑われて。
楽しそうにしている分には結構なのだけれど、少しはこちらの心も察して欲しい。好きにしてくれと言ったのは確かに僕だ。文句は言うまい。ただ、遠慮や考慮といったものは、人として持ち合わせているのが当たり前なのではなかろうか。
僕と葵の話がそれほど好物か。
双子先輩は目元の涙を拭うと、今更遅すぎる謝罪を、しかし軽いテンションで行った。
片手を立てての平謝り。なんと無礼な。
「お二人は楽しそうで良いですね」
「あ、怒った?」
「いえ別に」
素っ気なく返すと、やれ膨れているだのやれそっぽを向いただのと、すぐに目聡く突っかかって来る。
当然のように、そうするのが普通であるように。
まるでピラニアだ。
「まぁ冗談は半分くらいにして」
「出来れば全てがノリであって欲しかったです」
「そう言わないの。葵ちゃんファンクラブ会員一号二号としては、あの子の未来を見届ける義務があるんですから、えぇ。ね、乙葉?」
「その言い方だと、まるで貴女が一号みたいね。勘違いも甚だしいわ。二番に決まっているじゃない」
どんだけ好かれてるの、葵。
姉の痛烈な一言に、妹も流石に憤慨。別段どうでもいい題材ではあるのだけれど、二人にとってはそうでもないらしく、珍しく両者とも目が光っていた。
どうせこれも一時のノリで、すぐにまた寸劇が始まることだろう。ここは大人しく見守って、火が消えるのを待てば――
「乙葉はいっつもそう。何でも自分が一番一番って」
ん?
「あら。私にとって琴葉は常に二番手。頭、身体能力、見た目、どこで私に勝てると言うのかしら?」
んん?
「自信過剰なお嬢様はすぐに消えるわよ。面白姉妹だなんて、姉九の妹一じゃないかな?」
おいおいちょっと待て。
この雲行きは予想外――想定の範囲外だ。
いつも通りどちらかが倒れて、余ったどちらかが駆け寄って無駄な愛を語り合ってというのが、お決まりのパターンではなかったのか。
こうして喧嘩をするのは初めて見るけれど、明らかに嘘を言っている風には思えない。
「ちょ、お二人――」
と、止めに入りかけた矢先。
「「……っぷ」」
どちらともなく聞こえて破裂音。
「「ふふ。はは、あははは!」」
そうして響く笑い声。
何が起こったのか。
二人からすれば、あの程度の会話はじゃれ合いの延長線上なのだそうだ。外では出さないように気を付けていて、事実一度も出したことはないと言うが、今回はもうちょっとだけ揶揄ってみようと乙葉さんがけしかけた。
それに乗る妹も妹だったけれど、今の流れでやれば確実に僕が引っかかるし、すぐに止めに来るだろうと踏んで――まんまと思惑通りになったというわけだ。
「まぁどれも事実なんだけどね。私ら、嘘とか吐かないし」
「ええ。実際、頭も運動も見た目も、私には敵わないものね」
「それは酷いよお姉さま、胸は勝ってるし。私Dで乙葉はCじゃない」
「ちょ、こら琴葉…!」
慌てて妹の口を塞ぎ、そのまますぐに僕を睨みにかかる乙葉さん。
怖い。怖すぎる。
狼に育てられた某子どもの話をつい思い出すほどに。
「何か聞こえたかしら?」
「……いえ何も」
真っ赤な嘘だった。
姉がCで妹ががDと。着やせするタイプか。
などと分析している内に、気が付けば乙葉さんの指先が視線のすぐ数センチの所までやってきていた。
「口に出していたら、ハルのようになっていたわよ」
こわ、こっわいよお姉さま。
後ろで妹も震えてしまっているよお姉さま。
遥さん、何を言って何をされたんですか。この状況、恐らくは目潰しなのだろうけれど、僕も貴方も眼鏡をしていますよね。下手をすれば洒落にならないレベルの大怪我になってますよね。
変な汗をにじませて硬直する僕と乙葉さんとの間に助け舟を渡したのは、事の発端たる琴葉さんだった。
どうどうと姉を宥め、僕にはぺこっと頭を下げるだけ。
貴女の所為でこうなったというのに。言葉もなしか、言葉も。
「さて冗談は一割にして」
「姉さんは随分と辛辣だな」
まさか妹の上を行こうとは。
「ハルから話は聞いているわ。貴方、葵ちゃんの先生をやっているんですってね」
「また話が早い。あの人、さては喋り魔だな」
「別に責めようって話ではないの。これを、葵ちゃんに届けてほしくて」
「葵に?」
手渡されたのは、都会だネットだと疎い僕ても知っているブランドの菓子包み。
そこそこの大きさ――値段は考えたくもないな。
「ここを受けるというのなら、私たちも無関係ではないもの。ほんの気持ちと必ず伝えて、渡しておいて頂戴」
「そこは強調しないといけないんですか? いっそ前みたく、厚かましいくらいにグイっといった方が」
「分かってないなぁまこっちんは」
割り込んだのは琴葉さん。
僕を指さしくりくりと回しながら、
「大好きだからこそ、気を遣うのも当然でしょ。そろそろ時期が時期なんだから、プレッシャーかけるわけにもいかないじゃん」
そう言うと、隣では乙葉さんも無言で頷き同意した。
何も考えていない、というわけではないんだな。
それが分かっただけでも、これを届ける仕事を請ける理由としては十分だ。
「分かりました。ただ、予定がたっていないので、賞味期限の確認を――」
「焼き菓子よ、問題ないわ」
「――さいですか。では、ちゃんと届けさせてもらいます」
「ええ。貴方だけが頼りよ」
そう口にする顔は、少し悪戯に染まっていた。
思えば、僕でなくとも遥さんに渡せば良かったものだ。忙しそうだとは言え、講義自体は休まず受けているわけなのだから、会いに行って頼めばいい。
なるほど。先の話から察するに、僕と葵の何かを期待しているといったところか。
こちとら仕事で行くというのに。はた迷惑な依頼だ。
「ところでまこと君」
「だから僕の名前は――え?」
今、普通に呼ばれたぞ。
「何でしょう…?」
「藍子さんは元気にしているかしら? 貴方の話だと、別段変わった様子はないのでしょうけれど」
「察しがつくのなら聞かないでください。どうしたんですか?」
聞くと、二人は少し言葉を詰まらせた。
桐島さんがどうかしたのだろうか。
そう僕が聞くが早いか、二人の方から「実は」と言って来た。
「春に、通潤橋だっけ? に、行ったじゃない」
「ええ、行きましたね。僕と葵、お二人にご両親、後から桐島さんと」
気にかかっているのは、その時の事らしい。
実は、というのも、あの時僕らには話していなかったことが一つあったのだそうだ。
一言でそれを表すなら、あの時の桐島さんと、五年前に岸家が比叡山で出会った桐島さん――同じ人であることは間違いないのだけれど、少し様子が違ったと言うか、それが桐島さんの証言通りだったのだと、また難しいことを言って来た。
曰く、桐島さんは五年前『秋はどうも調子が悪くて。風邪とか病気とかではないのですけれど、何年も前からずっと、秋は元気がなくなってしまうのです。すいません、せっかくの旅路に』と謝っていたそうだ。
付け足しで、冬になれば落ち着き、春になればそれも忘れ、夏はその延長だと。
……一つだけ、察しは付いていた。
「春に再会した時、それで凄く安心したんだけど……ほら、今ってまた”秋”が回って来てるわけじゃん。だからって言うと変なんだけど、私も乙葉も、心配してて」
「どうした、とは聞けないもの。何かしろって訳ではないのだけれど、貴方にはちょっとだけ、観察を頼みたいの。言った通り、何もしなくていいわ。万が一変わったことがあったら、その時は教えて欲しいと、ただそれだけよ」
そう言って、乙葉さんはスマホを掲げてみせた。
会うまでもない。本当に、ただ知りたいだけなのだ。
恩人が、どうして秋になるとナイーブになるのか。
「それを、私たちへの依頼に対する返し――としたいのだけれど。どうかしら?」
「そういうことであれば、ええ。何かあれば、本当にそれだけで良いのですね?」
「ええ、本当にそれだけで良いわ。私たちはあの人に助けれられたし懐いてはいるけれど、あの人に近付いて良いとは思っていないの。だから、何かしようとか変えようとか、話を聞いてみようとか、そんな”ド”あつくくらい厚かましい真似は出来ないのよ」
「……なるほど。分かりました。謹んでお請けします」
「悪いわね」
「いえ。それでは、僕はそろそろ」
と言って席を立つと、なら一緒に帰りましょうと琴葉さん。
実は僕が来る寸前まで勉強をしていて、引き上げようとしていたところに僕がやって来たのだそうだ。
それは悪いことをした――けれど、それなら僕を弄らず要件だけ聞いて伝えて、さっさと帰ってしまえばよかっただろう。わざわざ自分たちから弄り始めておいて、その言い草は如何なものか。
とは僕も強く言えず、とりあえずの溜息を置いて荷物を纏めた。
二人が鞄を持つのを確認すると電気を消し、扉を開けて先に通す。
意外と紳士的なところあるんだね。
そう言って微笑む琴葉さんを横目に、手渡された鍵で施錠。さて守衛室へと思ったところで、返してくれと手を出された。
「その手は?」
「流石に、そこまでやらせるのは悪いじゃん?」
歩く方向は一緒だと言うのに。そう思いながらも、大人しく鍵を渡した。
日もすっかり落ち、琴葉さんから夕飯でも食べて帰ろうかという話が出てきた。
しかし、それを断ったのは意外なことに乙葉さん。何でも、小説や何やらと書籍にバイト代を使い過ぎて、今月は少しピンチだと。
あれだけ口やかましく妹に言っておいて、そこは管理出来ていないんだな。
可笑しくてつい小さく笑うと、乙葉さんはまた目線すぐのところまで指を持ってきた。
牽制に死刑宣告をするのはよして頂きたい。
やいのやいのと騒ぎながら歩く、静かな夜道。
しかしそれもすぐに止むと、遠くからは車のクラクション、近くは木々の擦れる音だけが木霊していた。
(秋、か――)
先程、双子姉妹から聞いた話を、僕はお兄さんが語ったものを結び付けていた。
桐島さんがこの時期に元気がない理由は、おそらくそれだ。
桐島さん程の有名作家になると、自然その経歴的な物を纏めたサイトも更新されていく。
それを利用して勝手に調べた内容によれば、桐島藍子という人物が新人賞を受賞したのが分かったのは、九月の十六日。受賞先のサイトに堂々と載っていたそうで、自分でもアーカイブを辿ってみればそれは直ぐに見つかった。
喜び勇んでそれを両親、兄に報告したのであれば、その日の内か、遅くても数日以内。自身の力の証明と言っていたのだから、おそらくは前者だろう。
しかし、そこで否定された――と実際は本人が思い込んでいるだけなのだけれど、それは同日の出来事であるから、季節は秋、九月だ。
「またちょっと、面倒なことになって来たなぁ…」
「どしたの、まこっちん?」
「いや何でもありま――むぐっ…!」
どこから取り出したのか、おもむろに口の中全体に広がる熱さ。それが、突っ込まれた肉まんによるものだと気付くのには少しの時間を要した。
「いつの間にコンビニに……」
「夕飯がダメならせめてって、それにちゃんと断ったよ『ちょっと待っといて』って。まこっちんも『はい』とは言ってたけど、やっぱり虚ろだったんだね。考え事? ひょっとして私たちの話した…?」
変なところで鋭いというか、勘が良いのだろうな。
あるいは申し訳なさを覚えているからなのか、それは分からないけれど。
「考え事で、お二人から聞いた話のことです」
「あぅ、やっぱり」
しょんぼり。
肩を落とす琴葉さん。その隣には、いつもくっついて居る筈の乙葉さんの姿がなかった。
聞くと、肉まんかあんまんかカレーまんか、どれにするのか悩み続けているらしかった。
乙葉さんらしいと言えばらしい。
外から見ている分には面白いものだった。
「ごめんね、負担になってる?」
「え…? あぁいえ、それを含んだ大元と言いますか、話した桐島さんのお兄さんの依頼が突っかかって」
「難しい?」
「どうでしょう。まだ尻尾も掴めてはいないので、何とも」
「ふぅん…」
短く返して、もう一つ肉まんを取り出して小さく頬張った。
「これは?」
「まこっちんの口が付いたからいらない」
「ひっどい言い分ですねそれは」
「うそうそ、ごめん。それはまこっちんの分。私はまだ余裕があるから、ついでだよ」
「それは……すいません、わざわざ」
いいよ、と軽く微笑むと二口目。
普段は賑やかでテンションが高くて豪快に笑っている人だけれど、こうして大人しくしていれば普通の女の子だ。僕より二回り程は小さい身体に、艶やかな髪。
きっと、乙葉さんが隣にいるから遠慮なく出来るのだろう。
今、隣に居るのは僕であって、思い通りに返してくれる片割れが相手ではない。
気を遣わせていることに変わりはなさそうだ。
「ねぇ、まこっちん」
ふと、琴葉さんが尋ねてきた。
「何でしょう?」
「……ううん。依頼、頑張って。ちゃんとスクラップ探しとくから」
「それはどうも。頼りにしてます」
「見つからなかったらゴメンだよ?」
「分かってますって。その時は、僕一人で片付けます」
わざとらしく言ってやると、琴葉さんは苦く笑った。
きっと、聞きたかったのは桐島さんのことだ。
何か知っていることはないか。おそらく、その辺り。
知っているとは言えないまでも、この予想だって外れなかろう。
しかし、今これを二人に話すわけにはいかない。
全部片付いて、あの兄妹が勘違いなくまともになって――そうなってから話せばいい。
今話せば、かえって心配させるだけだ。
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