第3話 透明人間

「透明?」


 彼女が言うことには。

 相手の感情が見えてしまう目で僕を見た時、その目には僕が透明に映ってしまうらしい。

 喜びの黄、怒りの赤、冷静の青に嘘の灰と、様々な分類があるらしいのだけれど、そのどれにも当てはまらない透明。光の三原色的な見方をすれば、それは全ての状態を兼ね備えているのではと思い尋ねた所、どうやらそれは違うらしい。


 ある意味で言えば僕の聞いた通りではあるけれど、それは僕が、極端に嘘を嫌う人間であるから。

 全て正直に正して生きているから、何色にも染まらず、また何色にでも変われるのだと、桐島藍子は言う。 確かに、僕は嘘が嫌いだ。嘘というものが原因で昔いざこざがあって、それ以来何より嫌うものだ。虫より幽霊より核兵器より。

 嘘や騙しが理由で核兵器が暴走して人が何人亡くなっても、それは核兵器ではなく嘘の所為だ。


 なんて持論の元で生きている僕だから、確かに正直ではあるのだろうけれど。


「どれでもなくて、どれにでもなれるって――何かよく分からないですね。悪いことを言われているわけではないと捉えて正解なんですか?」


「ええ。どちらかと言えば称賛していますよ?」


「そ、そうですか」


 称賛とは。

 一体、どれほどの現実を見てきたら、高々嘘を吐かないというだけで称賛に値するというのだろうか。

 彼女がどうやって生きて来たのか、考え出すと少し悲しい。


 ともあれ。


「引きましたか?」


 随分と率直な聞き方だった。

 信じられるかと聞かれないよう次第だと答えた手前、それに答えないわけにはいかない。


 僕の答えは決まっていた。


「正直、引きましたね」


 僕がそう言った瞬間しゅんとなって、


「そうですか」


 と小さく呟くのだが。

 僕が引いたのは、彼女の話についてではない。


「引きました、ドン引きです。自分自身に」


「ご自分に?」


「ええ。サヴァンだ特別だって聞く人皆、勝手な想像の上では、どこか変わったと言うか、人とは違う常識離れした物の味方をするものだとばかり思っていたのですが……これは認識を改めないとなって」


「え……? え、私、何か変な色とか見えるんですよ?」


「それがどうかしたんですか?」


 その言葉を機に、彼女は固まってしまった。


 この反応、やはりそれなりの経験をしてきたことに他ならない。

 しかし、それがどうしたというのだろう。

 僕からすれば、ただの少し色っぽい大人の女性にしか見えないのだけれど。

 このちょっと変わった”色が見える”という状態を知った今までの人たちは、一体どんな反応を見せたと言うのだろうか。

 どちらかと言えば、それに怒りを覚える。


 そのちょっとだけ変わった側面だって、この人の一部でしかないというのに。


「桐島さん、まだお時間は大丈夫ですか?」


「え、ええ」


「偉そうな語り口調にはなってしまいますが、少し話を聞いてください」


「――分かりました」


 頷くと、両手を膝の上に乗せなおして背筋を伸ばし、僕の目を正面に捉えた。


 少し前に、近所の女の子と似たような話をしたことがある。

 その子は自分の天然パーマが嫌いなのだと言っていた。そんな時に、僕が話したことだ。


 聞く準備万端と見るや、早速と近くにあった紙切れとペンを手に取り、


「使っても?」


「どうぞ」


 許可を頂いたそれを一旦端によかしておいて、


「宇宙って、どのくらい広いか知っていますか?」


「宇宙ですか。どうでしょう、とてもとしか」


「ええ。とても広いですね」


 いきなりな、予想もしていなかったであろう僕の言葉に、桐島さんは固まってしまった。

 しかしお構いなしにと、僕は先を進める。


「変わっている、と自身のことを言っておられましたけど、一体どこが変わっているというのです?」


「他の人は持っていませんし」


「他の人というのは、大人数から見た、ただ割合が一番多い集団ってだけじゃないんですか?」


「それはそうですけれど」


「どこを”普通”と置くか、これが重要なんですよ。僕的には、それは”置く必要がない”というのが答えなんですけどね」


「……どういうことですか?」


 桐島さんは、あわや倒れてしまいそうな程に身を乗り出して、目を輝かせて僕の話に聞き入っている。

 近い。いい香りがする。

 緩いワンピースの胸元からは下着が――


 と、それは置いておいて。


 わざとらしく視線を逸らせて気付かれても、それはそれで居心地が悪い。

 僕は紅茶をもう一口含む動作で以って視線を外し、ごくごく自然な流れを装って話を続けた。


「普通なんて、結局それぞれの尺度だと思うんですよ。距離とか温度みたいに、決まっていない」


「それはそうかもしれませんが…それが、どうして宇宙と?」


「随分と極端な話だと笑わないで欲しいのですけれど――まずは、僕らが住むこの地球です」


 一言保険を入れてそう言って、僕はもらい受けて手元に置いていた小さな紙とペンを手に取り、その左側に小さく丸を書いて塗りつぶした。

 トントンと強調するそれは、今言ったこの地球を現したものだ。


 それとは別に、今度は右側に大きさの異なる棒人間を二人並べて描いて、それらを使って説明を始めた。


「てっぺんにいる僕らと、その反対側に暮らす人たちを比べましょう。スポーツなんかを見ていて、”ド”が付くくらいの素人目にも見てわかるくらい、日本人と黒人ではフィジカル差は大きなものです。プロはその差を埋めていますけど、それは別問題ということで。そうですね……日本のとある人間をA、黒人のとある人間をBと仮に呼称します」


 そして二人の棒人間の隣に、それぞれを示す棒グラフのようなものを書き足しながら、


「全く努力をしていないBと、努力をしたA。二人がいずれ釣り合う可能性は、少なからずあります。が、それはBが努力をしていない場合に限ります。日本と黒人を優劣で分けているわけでないことを承知の上で、この二人には明確な差を作っておきましょう」


 実際、僕はあまり人と人とを比べたくはないのだけれど。

 これは、そんな僕の持論を証明し、それを裏付ける作業でもあるわけで、僕の持論は決して崩れはしない。


 僕の言い分に頷きだけで相槌を打つと、桐島さんは再びメモ用紙に目を落とした。


「Aは特別を持っていない、Bは持っているとして。Bがその才能だけに頼らずに努力を怠らなければ、AはBに追い付くことは出来ません。どころか、その差は開きだってする。極端な話ですけれど」


「はい」


 柄にもなく真面目に語る僕のペースに、桐島さんはすっかり引き込まれている。

 授業でもしてる気分になってくるな。


「この星には、数えきれない程の命があります。人間、動物、虫に植物。数多の命があって、未だ人間が把握していない種だって存在しています。高々人間という一つの括りでも、文化に言語、今言ったような差に見た目、全然違うというのに、それが何種類にも化けるんです」


「…………」


ただ聞き入っている桐島さんは黙り、釘付けになっている。

 宇宙という単語に始まり、未だそれに触れていないという点も忘れて。


 その様子で火が付いたのか、初めはただの講釈気味だった僕も、段々と乗り気になって語りを進める。


「そこで、ようやくと宇宙です」


 先に描いていた丸を塗りつぶしていた絵の回りに、波打つような効果線を入れる。


「さっきの僕の問に、桐島さんは”広い”と答えました。正解です。正解ですが、ただ広いだけではないんです」


「ただ広いわけではない……?」


「ええ。宇宙というものは、今なお広がり続けている――限界がないんです。言ってみれば、広いという言葉すらも当てはまらないくらいの質量ですね。現状で分かっている宇宙の限界を示した動画を少し前に見たのですが――それはまたの機会に。それから何年も経った今でも、更に更に広がっている。その広大な空間の中で、ここと似たような環境が一つもないと、言い切れますか?」


 桐島さんは首を横に振った。


 僕が見たその動画は、宇宙のある一点から地球を中心に捉え、捉えたまま遠ざかっていき、どこまで広がっているのかを示すものだった。

 太陽系、銀河系と通り過ぎたのは序盤。そこから何倍にも何倍にも膨れ上がって、気が付けば地球はおそか、銀河系なんていうものも見えなくなっていた。


 ちっぽけ過ぎるそんな空間が、その広い宇宙に二つと存在しない筈は決してないのだ。

 あるいは割合や環境が違おうが、生命の宿る余地はいくらでもある。

 高々宇宙人くらいで騒いでいる方が馬鹿馬鹿しい。

 いるのが普通なのだ。


「最近では、宇宙の起源がビッグバンではないと唱える学者まで出てきている始末です。まだ、宇宙のほんの欠片も人間は分かっていないのです。そんな中にいる小さな生命の一つである人間の差が、どれだけの意味を持つと思いますか?」


「それは――いえ、規模は私たちの尺度にしていただかないと」


 あまりに無理やり過ぎる説明に、桐島さんは頬を膨らませて幼い抵抗を見せる。

 良い大人なのに、反応がいちいちちょっと可愛い。


「物は考えようだって言いたいんですよ。一個の星の上にいて向かい合っている僕らです、その人がちょっと変わってるって、それはもう変わっていないのと同義ですよ。僕からすれば、ですけれど」


「そんな無理矢理な」


「そうでしょうか? わざわざ他人という存在を持ってきて比べて、自分が――なんて言う方が、無理やりが過ぎると思います」


「むむむ……当然のように言わないでください」


 どうしたらここまで真顔で話せるのか、といった面持ち。

 しかし、どちらにせよ余程のインパクトはあったようで。 


 目を閉じて深い深い溜息を吐くと、やがて開かれたその目は優しく僕を見た。


「『ものは考えよう』――その通りかもしれませんね。そんな考え方が出来るなんて。やっぱり、貴方は透明です」


 緩く優しく微笑んで、桐島さんはコーヒーを一口。

 まさか宇宙を持ってくるとは、と呆れた様子で嘆息を吐いた。


 僕も、まさか同じ話を他人にするとは思わなかった。

 無茶が過ぎる内容ではあるけれど、納得して貰えたのなら何より。


 ぶっ飛んだ持論も、無駄にはなっていないらしい。


「近所に住んでいた女の子が、ちっちゃな悩みで深く考え込んでいたことがあって。その時に話したないようと同じなんですけどね」


「まあ。そうだったのですね。しかし、突飛な考え方をなさる」


「それは買い被りです。人と違う物の味方が、貴方のいう”色が視える”と同じ、僕の変わった点ということで」


「それは――何だかちょっと、嬉しい気もします」


 窓から差し込む夕日の所為か、仄かに赤く染まった頬で笑みを向けられると、少し心臓の鼓動が早くなるのが分かってしまう。

 初対面だと言うのに説教じみた説得までして。これはダメだ。


 言葉に詰まった時には飲み物を――と口元まで持ってきたカップの中には、もう紅茶の一滴すら残っていなかった。

 向かいでは「おかわりでもいかがですか?」と言いたげに、また悪戯な笑みを浮かべた桐島さんがティーポットを持ち上げて揺らしている。

 そのまま流れで入れて貰ったもう一杯を一口飲み、そう言えばと思い出したことを口にした。


「僕も、人と変わった点はありました」


「そうなのですか? 是非、伺いたいものです」


「そんな大層なものではありませんが――小さい頃からピアノをやっていた所為でしょうか。その前からあった気もするんですが、いわゆる”絶対音感”なるものを持っていまして」


「絶対音感……聞いた音が何だか分かるっていう、あの?」


「ええ。将来は有望な音楽家だー、なんて親戚からはもてはやされたものです。僕にその気はありませんでしたけれど」


 昔から、母親の鼻歌が音痴であることが気にかかっていて、折に触れて直していたところ、ひょっとしたらという話になった。

 ネットで見つけた簡単なテストをしてみれば――ということなのだが、僕からすれば特別なことは何もない。ただ聞いた音が分かるというだけだ。フラッシュ暗算だの算盤だのと変わらないものだと思っている。


「いいですね、絶対音感。ピアノをやっていたと言うなら、クラシックが楽しくありませんでしたか?」


 コーヒーカップを両手に肘をつき、そこから覗くようにして尋ねてくる。

 その仕草は反応や言動と打って変わって大人っぽくて、またも少し言葉が詰まる。


「まぁ…退屈ではなかったですかね」


「あらあら、素直じゃありませんこと。嘘の色が視えちゃってますよ?」


「え…!?」


 透明だと言ってもらったばかりだというのに。

 これはとんだ失策――


「冗談です」


「…………」


「冗談、です」


「……はぁ」


 一気に緊張の糸が切れた。

 疑いもしなかったぞ、今。


 と、溜息を吐きながら顔を押さえた手に着けていた腕時計が目に入る。

 時刻は既に、ここに来た時より一時間を優に回っていた。


「うわ、もうこんな時間――すいません、挨拶で長居しちゃって…!」


「いえいえ。私の方から招いたので、お構いなく。何なら、夕飯もご馳走しましょうか?」


 慌てて席を立って身なりを整える僕に続いて、桐島さんも立ち上がって夕飯の準備でもするのか給湯室の方へ。


「お綺麗な方からの誘いは大変嬉しいのですが――すいません、今日は」


「あら、口が上手なのですね」


「いえいえ本心ですよ。”悩み”だなんて、もはや美点じゃないんですか?」


「ふふ」


 口元に手を添えて笑う所作は、やはり大人の女性なのだと思わせてくれる程に彼女に似合っている。

 ふと立ち寄った場所で、まさかこんな出会いがあるとは。


 人生、案外面白い。


 なんて馬鹿な考えをしながら部屋を後にしようとしていた僕は、「あっ」と声を上げた桐島さんによって引き止められる。

 振り返ってそちらを見るや、スマホを操作して何かを探しているらしかった。


 やがて目的のものを表示させたらしい桐島さんは、画面をこちらに向ける。

 そこには、電話番号とアドレス、おまけでメッセージアプリのアカウントまでもが表示してあった。


「断りませんでしたね、アルバイト。よろしくお願いしても?」


 そういえば。

 特にやりたいことがあるわけでもなし、こちらの目的も達せられるというなら、請ける他あるまい。


 僕も倣ってポケットからスマホを取り出し、慣れず覚束ない操作で彼女の画面を写真に収める。


「早速とお仕事を手伝って欲しいのですが――折しも、明日は休日ですね!」


「嫌な予感しかしないんですが」


「まぁまぁそう言わずに。初日から、記憶堂本来の仕事は頼みませんとも」


「え、では何を?」


 時間はかかってしまいますが安心を、と一言入れた後で、


「お掃除、及びお片付けをお願いしたいな、なんて。ダメ、ですか?」


 なんと。

 ある意味で言えば記憶堂関連ではあるのだけれど。掃除と来たか。

 まぁ、確かにこれは、アルバイトとしてこれから通う僕としても、流石に看過出来るものでないのは確かではあるか。


 それにしても、美人な大人の女性から繰り出される上目遣い、相当な威力だ。

 狙ってやっていないのが、点数高い――と、今はそれどころではない。


 頼まれた初仕事”お片付け”を承認し、時間は昼前十時を予定。

 建物の脇に外階段があるから、明日はそこから二階のインターホンを鳴らしてくれと伝えられる。



 桐島記憶堂――少し不思議な雰囲気はあるけれど、不思議と胸が躍るのは何故だろう。

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