展望ビル

@takamoon

第1話

この春、岬の突端に300階建ての建物が完成した。

円筒型をした白い建物で、空に向かってまっすぐに伸びていた。

予告されることもなく、話題にもなっていなかったので、いったいこの建物がどういう物なのか多くの人は知らなかった。


私がこの建物を知ったのは郵便葉書が届いたからだ。

その葉書にはこう書いてあった。

『世界最高層の展望ビルが完成しました。完成記念として貴方を特別にご招待いたします。不信に思われることはありません。貴方は選ばれたのですから。』

二日後、私はその展望ビルへ行った。


陽が少し傾き始めた頃、展望ビルにたどり着いた。

最寄り駅から20分ほど歩いた岬の突端に、空を突き抜けるようにしてそのビルは聳えていた。

本格的な営業が始まっていないのか整地されたビルの周辺はひっそりとしていた。


白い巨大な円筒形の下に取付けられた自動扉を通り、私はビルの中に入った。

中は300階の天辺まで吹き抜けになっていて、見上げると遥か遠くの空が丸く切り取られていた。

吹き抜けの周りは全てエレベーターになっていて、それぞれのエレベーターには、『各階に停まります』と書かれていた。

その中の一つのエレベーターのボタンを押してみた。

ほどなく扉が開き、アナウンスがあった。

「定員は1名さまです。お乗りになり、ご希望の階のボタンを押して下さい。各階に停まりますが、ご希望の階に到着するまで扉は開きません。」

私はエレベーターに乗り込み『300』のボタンを押した。


1階上るたびにアナウンスがあった。

「○○階です。あなたが降りられる階はここではありません。しばらくお待ち下さい。」

同じアナウンスが各階ごとに繰り返されたが、20階を過ぎてからは別のアナウンスに変わった。

「あなたが押した階に着く前に降りたいと思われましたら、階数ボタンの下にある赤いボタンを押して下さい。次の階に停まり、そこで降りていただけます。」

さらに20階を越えたあたりから、エレベーターの上昇音とアナウンスの声とは違う別の音が混じり始めた。

それは、喜んでいるような、ためらっているような、悲しんでいるような、空気を切るかすかな音だった。

その音を聞きながら、何度となくボタンを押そうと思ってはとどまり、結局300階まで上って行った。

「大変お待たせいたしました。あなたのご希望の階に到着いたしました。」

到着のアナウンスが流れ、エレベーターの扉が開いた。


外はまさに暮れかけようとしている空が一面に広がっていた。

海は沈み行く陽で黄金に包まれ、空は太陽の輝きから月の静かな光に移り、星のきらめきは冴え始めていた。


エレベーターを降りた瞬間、風が吹き上がり、私の体は宙に浮いた。

とまどいながら周りを見渡すと、無数の鳥が飛んでいた。

その群れの中を飛び回ろうとしてみたが、水平にしか動くことができなかった。


しばらく飛びながら周りを見ていると、一羽の鳥が私を見ているのを感じた。

刺すような冷たい目。

その視線を感じた方向を見ると、一羽の鳥が上を向き上昇しようとしていた。

そして羽ばたこうとした瞬間、その姿は消えた。

おびえるような震えた目。歓喜に満ちた目。悲しみに暮れた目。静かに落ち着いた目。

次々にいろいろな視線を感じ、その度に首を動かしその方向を見た。

向きを変え一瞬で消える鳥、せわしなく水平に移動する鳥、そのまま気持ち良さそうに飛んでいる鳥。

水平の空に無数の視線と動きが群をなし、私の体をゆっくりと覆いつくそうとしていた。


体が少し重く感じられ始めた頃、エレベーターのアナウンスと同じ声が聞こえてきた。

「もうすぐ時間です。まっすぐ下に降りられますか? 別の階に寄られますか? このまま少し延長されますか? それとも、お望みであれば更に上に行ける階段をご案内できますが、いかがなさいますか?」

機械的に流れる声を聞きながら、私はまっすぐ前を向き、空と海のあわいを放心したように見つめていた。


再び声がした。

「このまま延長されますか?延長がご希望であれば『延長』とお伝え下さい。また、その他のご希望がありましたらその意思をお伝え下さい。もう、時間がありませんのでお早く願います。意向がないようでしたらこちらの判断で対応させていただきます」

茫漠と前を見つめながら飛んでいた私の頭の中に、冷たい機械音が飛び込んできた。

その声にしびれ、咄嗟に応えた。

「1階ずつ下に降りたいのですが・・・」

その瞬間、目の前の景色は消え私の体はエレベーターの中に移動した。


「これから各階に停まりながら降りて参ります。各階で展望いただける時間は3分となっております。延長はございませんのでご了承下さい。どうしても延長されたい場合はその意思をお伝え下さい。こちらの判断で対応させていただきます。よろしければ扉の左側にある黒いボタンを押して下さい。」

私は黒いボタンを押した。


エレベーターが下降し始め、ほどなく停止した。

「展望時間は3分です。外の景色を十分お楽しみ下さい。」

アナウンスが終わり、扉が開いた。


外はすっかり暮れていた。

月光が波に揺れ、星が冴え冴えと夜空に瞬いていた。


エレベーターを出た瞬間、風が吹き上がり私の体が浮き上がった。

空には無数の鳥たちが水平に飛んでいた。

外に出ると様々な視線が私に向けられた。

それは『300』階の時と同様で、私の体は少しずつ重くなっていった。

既に暮れてしまった上空を見上げると、無数の鳥たちが水平に広がっていた。


しばらくして、声が聞こえてきた。

「間もなく時間となります。どうしても延長をお望みであれば、その意思をお伝え下さい。」

私は延長すること無くエレベーターに乗り、黒いボタンを押した。


降りるごとに上空の鳥の群れは水平に重なっていった。

それぞれの階でその階ごとに飛んでいる鳥たちの視線を感じ続けた私は、その視線に鈍感になっていった。

しかし一方で、見続けられるという不安と下降するたびに増えて行く上空の鳥たちへの恐怖心が加わり、体がこわばり始めていた。


『100』階を過ぎたあたりからボタンを押す指の力が萎え、体全体でもたれかかるようにしてボタンを押すようになった。

扉が開くたび転ぶようにして外に出た体を、風が持ち上げ空に浮かべた。

繰り返される鳥たちの視線と重なる群れに耐えられなくなった私は、次第に外に出ることが嫌になっていった。


『61』階の展望を終えた時、私は意思を伝えた。

「延長でも各階停まりでもなく、即座に1階まで降りたいのですが・・・」

機械音が応えた。

「本当にそれでよろしいですか?当初希望された意思を変更されることになりますので、あなたの意思とは違うこちらの思いで対応させていただくことになりますが、よろしいですね。」

私は考えることなく反射的に「お願いします」と応えた。


エレベーターは『60』階で停まった。

階数表示が『60』と光り、エレベーターの中は静まり返った。

しばらくたって、アナウンスがあった。

「これから一気に1階まで降りて参ります。」

終わると同時にエレベーターは下降し始め、階数表示が次々と変わって行った。

『59・58・57・・』

下降するにつれ固くなる私の体と思考は、やがて大きな塊となってエレベーターの床に転がった。


階数表示が『20』を越えた辺りであろうか、固まっていた体と思考が徐々に溶け始めた。

硬直していた指が動き、体に血液が流れる音が感じられるようになった。

私は指を開きなから両腕を水平に伸ばし、まっすぐ立ち上がった。

下降するエレベーターの中に風が生まれた。

階数表示がどんどん下がって行く。

『15・14・13』

私の体が宙に浮かぶ。

『8・7・6』

垂直に浮いていた体がゆっくりと水平に傾き、静止した。

『3・2・1』

エレベーターが1階に到着した。

その瞬間、扉が開け放たれ外の風が一気に吹き込んだ。


風は私の体を巻きとると、上空へと一気に駆け上った。

ぐんぐんと上昇する体に心地よい目眩を感じながら、私は周りを見渡した。

空一面に群れていた鳥たちの姿は無く、生まれたばかりの陽光がまぶしくあふれていた。


上昇する体が停まった。

私はまっすぐ前を向き、大きく目を見開いた。

空も海も無い、光でもやった空間が広がっていた。

目を凝らしその光の奥をじっと見つめた。

小さな岬が見えてきた。

更に見つめていると、その突端に聳え立つ円筒形の白い建物が見えてきた。

私は、その建物に向かって飛んだ。

目の前に巨大化して行く建物にたどり着いた時、黒い自動扉が音も無く開いた。

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