糸島くんと山田くんとにぎやかな仲間たち
壁は淡い緑色で、床は濃い緑。天井は壁と同じ色で、無機質な白いライトが等間隔に緑の廊下を照らしている。廊下の行き止まりは扉になっていて、「関係者以外使用禁止」と赤い文字で書かれている。緑の背景に赤い文字は、目に痛い。この扉を見るたびにいつもそう思う。慣れることはない。やはり毎回そう思いながら、左手の壁にある操作パネルにパスワードを入力する。次いでセンサーをのぞき込んで網膜認証。扉のロックが解除される。
センサーから顔を離すのと、扉が開くのはほぼ同時だった。
人ひとりが通れるほどの小さな扉。全開になった細長い穴から、むせかえるような緑のにおいが押し寄せる。扉の向こうは深い森だった。
かつては地上でよく見られた落葉樹林を再現した一大空間である。広さは約二ヘクタール。約十メートル分の人工土壌が敷き詰められている。この空間に立てば、足下にはある意味で地下があるわけだ。
地下都市なのに、地下がある。これもまた、ここへ来るたびに思うことだ。
「そんなこと言われ笑う人は、愛想笑いしてくれてるだけだよ」
口にしたわけでもないのに、こちらの胸の内を読み取ったかのように毎度つっこまれる。
声は右斜め上から降ってきた。手のひらくらいの大きさの鳥が、しっぽを上下させてこちらを見下ろしている。頭から続く黒い羽毛が、白いお腹を縦に二分割するように延びている。頭は黒いが、頬は白い。見ようによっては白が四分割だろうか。木の枝に留まっているので今は見えないが、背中は緑を帯びた青色だ。
「おはよう、糸島くん」
「おはよう、山田くん」
糸島は、お腹をそらしてふんぞり返っているようにも見えるその鳥――シジュウカラを見上げて挨拶した。
本物の鳥が人の言葉を話すわけがない。山田くんは精巧な鳥型ロボットである。
山田くん、という呼び名は、糸島が勝手に付けたものだ。山田くんは糸島の愛玩ロボットではなく、この落葉樹林をより本物らしく見せ、かつ監視するために、管理会社によって放たれている人工鳥なのだ。つまり、会社の所有物である。ちなみに、この空間にある植物はすべて本物で、本物のシジュウカラをはじめとする鳥が数種類放たれている。
「昨夜は異常は?」
「B3区に営巣しているヤマガラのひなが一羽、巣から転げ落ちてキツネに食われた」
木の枝から糸島の肩に移動した山田くんは、毛繕いしながら報告した。鳥以外に、本物のキツネやタヌキも、この森に棲んでいる。
「そうなのか」
「許容範囲内の出来事だから異常とは言えないが、糸島くんはあのヤマガラ親子を気にかけていたから教えておこうと思ってね」
「残念だな。もうすぐ巣立ちかと思っていたのに」
「自然界ではよくあることだ。ここは、作られた森だがね。それでも、本物の生命の営みは、地上であった頃のそれと変わりない」
それより、と山田くんは糸島の首をつついた。
「さっさと君の仕事を始めたまえ。お客さんが入ってくるまで、あと一時間もないんだぞ」
ここは研究目的の場所ではなく、かつて地上に存在した落葉樹林を限りなく本物そっくりに再現した観光施設だ。山田くんのような人工鳥以外は本物の樹木や動物なのでかなりコストがかかり、そのために入園料は割高だ。それでも、地下都市で暮らす人々にとっては魅力的な空間で、毎日来園者は絶えない。
「わかってるよ、そうつつくな」
糸島の仕事は、人工鳥たちの管理である。ここにいるのは全部で十羽。すべて違う鳥のロボットだ。糸島はその一羽一羽に勝手に名前を付け、彼らのメンテナンスをしている。山田くんは、監視用人工鳥のリーダーとして設定してあるので、いつもいちばんに糸島の元へやってくる。
「そろそろ『換羽』だ。申請してくれ」
「まだきれいに見えるけど」
糸島は左腕に山田くんを留まらせ、背中を撫でる。
「君は我々のメンテナンス担当の割に鈍いな」
鳥なので表情は変わらないはずなのだが、山田くんはまるで呆れたような顔をした。口調のせいでそう見えたのかもしれない。
「わかったよ、新しい羽を発注しておく」
糸島は携帯端末にメモをした。それから、毎日の点検項目通りに山田くんの状態をチェックしていく。そうしているうちに、次の人工鳥が飛んでくる気配を感じた。
「鈴木さんが来たぞ」
「わかってるよ」
「田中くんが来るまであと七分といったところか」
「山田くん、少しは黙ろう?」
「いつも思うのだが、君はネーミングセンスを少し磨いた方がいい。山田だの鈴木だの田中だの、工夫がない」
「全地下都市の山田さん鈴木さん田中さんたちに失礼なやつだな」
そんな無駄話をしている間に、田中くんの姿が見えた。いつもより来るのが早い。いや、糸島の仕事が遅れ気味なのだ。今日は日常点検に加えて、月に一度の点検項目もあるせいだ。
人工鳥たちが一堂に会してせっつき出すと、とてもかまびすしい。そうなる前に次々終わらせたいが、すでに鈴木さんにせかされはじめているので、にぎやかになりつつあった。
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