36話【砂】

黒宮に手を引かれ転がるように移動する。二人がいたそこは再び現れた砂人形ゴーレムの拳で打ち砕かれていた。これを喰らっていたらひとたまりも無かっただろう。

形だけ造られた暗い双眸に見下ろされ、冷や汗が背を伝う。傍らに立つ山崎の目は砂人形ゴーレムそっくりに見えた。


「ふぅ…ギリギリセーフってとこだな」

「かくれんぼはお終いか?」

「随分と早え再登場だな。まだ100数えてないだろ、ズルは感心しねーな」

「大して距離も稼げてないのにデカい口叩くなよ」


黒宮は内心焦っていた。策を講じるまでの時間稼ぎとして逃げ込んだこの空間は、自分達には不利である。逃げ場も無ければ、音も響かない。お互いの手の内を完全には晒していないことが不幸中の幸いと言えた。

脳味噌を使えるだけ使い、最善の一手を探る。


「その木偶の坊はこの狭い屋内で暴れるには向かねーと思うぜ?」

「それならこうすればいい」


山崎がくい、と手を上げると、砂人形ゴーレムがその剛腕を振り上げ、ビルの天井を打ち抜いてみせた。

降り注ぐ瓦礫に声も出なかった。大きなものに蹂躙される恐怖の片鱗を垣間見たせいだ。だが、圧倒されている場合ではない。山崎が黒宮の挑発に上手く乗ってくれたおかげでフィールドが一気に広がったのだ。

攻撃を仕掛ける絶好の好機とばかりに黒宮が瓦礫の影に滑り込む。


「チッ…そこか!」


砂人形ゴーレムを操る山崎は黒宮が隠れ込んだ瓦礫の山を破壊する。―が、そこに黒宮はいない。ひゅう、と口笛が聞こえ、振り返れば黒宮はにやりと笑ってまた影に潜った。


「―ッテメェ!」


影を伝って攻撃を躱していく黒宮を追い掛けるように山崎が砂の剛腕を振るっていく。

雅はそのスピードについていけず、瓦礫の破片から身を守るので精一杯になっていた。


「チョロチョロすんな!こ、っち、か!」

「外れ」

「なっ……」


声がしたのは、頭上からだった。

黒宮が天井の穴に腰掛け、余裕綽々といった様子で山崎を見下ろしている。いつの間にか袖を抜いていたコートをひらりと翻したのが最後だった。

コートの影からまるで流星群のようにコンクリート片を降らせ、砂人形ゴーレムに浴びせていく。

激しい砂埃の後にはつい先程まで形を成していた筈の砂だまりだけが残り、山崎は為す術もなく立ち尽くしていた。


「観念しな。もうじき俺らの仲間もここに合流する。四人の字持ちに囲まれて逃げられると思うなよ」

「まだ終わってない」


山崎は変わらずこちらを睨み付けている。黒宮は勝利を確信したようにコートの内ポケットへ手を忍ばせた。―鎮静剤を打つ機会を伺っているのだろう。


「諦めが悪いな。大人しく拘束された方が身の為―」

「危ない!」


ここまで静観せざるを得なかった雅だが、途切れず張っていた反響定位センサーに掛かったを、決して逃す事は無かった。

次々に飛んでくるダガーナイフを弾いていく。


「ちょっと、紫乃。一人で充分だって言うから任せたのに、何これ?」


ナイフの持ち主は柑子色の髪を耳に掛け、山崎を詰った。


「やっぱりこれも“嵐”絡みだったんだね、遠藤さん」

「久しぶりね、森山雅。今日はあの二人は居ないの?」


現れたのは遠藤律一人だけのようで、浅井紅麗は見当たらない。

雅の問いともつかぬ言葉には答えず、遠藤は灯と千尋の不在について尋ねた。


「二人は別の任務で動いてる。今日は居ないよ」

「ふうん」


ハッタリだと見抜いているのだろう。遠藤は薄ら笑いを浮かべた。ペースを乱されている事に気付いた黒宮が苛立ちながら遠藤に問う。


「それより、だ。お前がいるッつー事は、そこの砂かけ女も“嵐”の仲間って事でいいんだよな?」

「そうだね。目的は全然別だけど、敵の敵は味方って感じかな」

「そうか。―なら、手加減は要らねーな。行くぞ、森山」

「!…はい!」


黒宮が一気に山崎との間合いを詰める。続く雅も手近な瓦礫を遠藤へ向けて放った。


「させるか!」


山崎が腕を凪いだのと同時に、窓ガラスが激しい音を立てて割れた。外から舞い込む砂とガラスの破片を巻き込んだ竜巻が黒宮と雅に襲い掛かる。

防塵、防刃を謳うNOAH特注品のコートをも貫いて、容赦無く雅達の皮膚を切り裂いていく。


「ぐっ…!?」

「う、あ、ぁあっ…!」


砂嵐を操ったのだろう。砂人形ゴーレムに気を取られ、外の砂嵐も山崎の能力の一端である事を失念していた。経験した事の無い痛みに、雅は顔を歪める。


「森山!俺の影に入っ…っくぁ」

「ぁ、あぁぁっ……」


黒宮が何とか庇おうと試みるが、痛みと出血にショックを受けている雅は最早立っていられずその場に膝をついた。

気を失ったのか、そのまま動かない。


(クソ、砂嵐が邪魔で動けねぇ…どうすりゃ…)

「あ、気が利くね紫乃。まずは森山雅、アンタからいくよ」


遠藤が空をなぞると、何も無かったはずのそこから十数本のボウイナイフが現れた。その中の一本を手に取り、感触を確かめるように振るう。


「これ、家畜を殺す為の―何だっけ、そう…トサツ用?のナイフなんだって」

「おいクソガキ、やめろ!」

「あはっ、国の下僕にはお似合いねッ」


黒宮の制止も虚しく、切っ先が一斉に雅の方を向き、飛び掛る。刃が雅に触れんとしたその瞬間、砂嵐は別の意思を与えられたかのように雅達から離れた。

その風に煽られた事で、軌道の外れたナイフが雅を傷付ける事は無かった。


「な…制御が利かない!?どうなってる…」

「紫乃!何してんの!」


突然の出来事に山崎と遠藤は動揺した。腕を振り回すが、砂嵐はどこかへ集まるように廃ビルから去っていく。


「あたしが知るか!急に砂が言うこと聞かなくなったんだ!こいつらの仲間の字か!?」

「違う、NOAHにそんな事出来る字持ちなんていない筈よ!」


遠藤の読みは当たっている。NOAHに風塵を操作する事の出来る字持ちは所属していない。―ならば、NOAHにも嵐にも属さない第三勢力の仕業だろうか。


(なんだ―俺にも何が起きてんのか分かんねー。…けど、今しかねぇ)


目の前の敵に集中すべく、黒宮は体勢を低くとった。ボロ切れと成り果てたコートを破り捨てると、内ポケットの鎮静剤に手を掛け、そのまま遠藤の首元へ突っ込んだ。


「ッこいつ―」

「遠藤!」


黒宮の手は、針が遠藤の首を掠め、止まった。紙一重のところで手に持っていたボウイナイフを黒宮の腕に突き立てたのだ。

赤い血が陽の射さないビルの床に滴る。


「―ッッ!ぐぁ、あぁぁッ…」

「は…いい気味ね。…チッ、ちょっと薬が入ったわ。紫乃、今日のところは帰ろ」


少しふらつきながら、遠藤は踵を返して言った。

黒宮が、突き刺さったままのナイフを引き抜くと、勢いを増したように血が流れ出る。それに構うことなく、もう一方の手でナイフを構えた。


「待てッ…よ」

「今日は見逃してあげるって言ってるのよ。そんなボロボロでこれ以上何する気よ?」

「逃がす訳、ねー…だろ…」


出血量のせいか、視界はぼやけている。もう立っているのもやっとだった。


「…おい、遠藤…これ以上は―」

「しょうがないなあ。アンタのとこの薬のせいで気分悪いんだけど、そっちがそのつもりなら」


既に戦意を喪失している山崎を押し退け、今の動きが鈍った状態の黒宮なら充分だろうと、遠藤はマチェットを顕現させた。刃境に指を滑らせ、嗜虐的に微笑む。


「その人に、触らないで」


掠れた声でそう言ったのは、雅だった。


「森山……?」

「なーんだ、起きてたの。そのまま黙っとけばこいつだけ殺って見逃してあげたのに」


マチェットを黒宮に向けて遠藤が言う。以前にも増して、字を使うことに躊躇いが無くなっている様だ。

雅は菖蒲色の髪を垂らしたまま遠藤達の方を見る事さえなく、ただ一言呟いた。


「【音】」


次の瞬間、ビルが激しく揺らぎだした。柱は震え、窓は破裂していく。このビルが倒壊することは、目に見えて明らかだった。


「これっ…アンタが…!?有り得ない…」

「おいやばいぞ、早いとこ逃げねぇとこのビル崩れる!」


狼狽える山崎の目の前に突然、見慣れたコートの人物が二人現れる。


「見つけた!雅ちゃん!黒宮!」

「おい、生きてるか?」


灯と千尋だ。二人に気付き、黒宮はようやく床に膝をついた。今の今まで必死に堪えていたのだろう。


「お前ら…」

「遅くなってごめ…二人共大丈夫!?アタシ達の仲間になんてことを!」

「何か余計なのも居るな…おい、得意の砂嵐はお終いか、あん?」


千尋は今や無力となった山崎を捕まえると、後ろ手に腕を掴み身動きを封じた。


「痛ってぇな!くっそ…離せ!」


呆気なく捕まった山崎を見てか、遠藤は柑子色の髪を振り乱し叫んだ。


「ああもう馬鹿共に構ってらんない!葉鳥!いるんでしょ!!」

「…要らぬ世話を焼いておいて助けを呼ぶとは」


いつの間にか窓枠に立っていた人物が一人、黒宮の隻眼に映る。


「事情が変わったのよ!早く連れ出して!」

「…フン。そこのはどうする」

「いいから早く!」


黒ずくめの青年はため息の後、小さく身を屈めた。すると全身に黒い羽根が生え、気付けば一羽の巨大なカラスへ姿を変えていた。

一瞬の事で、青年もまた字持ちであることを直ぐには理解できなかった。


「じゃあね」

「あっ…おい!おかっぱ女!」


そのまま遠藤は山崎を置いて窓から飛び立ってしまい、倒壊を目前にしたビルの中、NOAHのメンバーだけが残された。


「俺らも出るぞ…!クソ…武藤、転移頼めるか…」

「うん!任せて!」


体を引きずりながら、黒宮が雅の元へ寄る。


「おい森山…」

「ごめんなさい…私の…私のせいで…」


顔を上げた雅は涙と血が混ざってぐしゃぐしゃになったまま、黒宮に詫びた。


「んなこと言ってる場合か!…帰るぞ」

「……はい…」

「みんな、行くよ!…【移】」


一同の退去を待つ様にして、ビルは崩壊を迎えた。



*



時は戻り、雅達のいた廃ビルが倒壊する少し前の事。

辺り一帯を包んでいた砂嵐が集まったその先に、二人の男女がいた。


「【風】!」


吹き荒れんとする砂塵を手元から生み出す風で押さえ込むと、砂は完全に勢いを殺され、ぱらぱらと散っていった。

ふと、空を見上げれば快晴―もう夏は近いようだ。


「―フン。あとは自分達で何とかするんだな」

「基ちゃんはやっぱり優しいね!」


長いポニーテールを揺らしながら覗き込んだ眼鏡の青年の顔は、どこか満足げであった。


「ち、違う!通り道が砂嵐で邪魔だっただけだ!」

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